ソニー取締役社長
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1995年6月、前任社長の大賀典雄に抜擢され第6代ソニー代表取締役社長に就任。いわゆる「ヒラ」の取締役から14人抜きでの社長抜擢・就任となった。折しも創業50周年を翌年に控え、ソニー始まって以来の新卒サラリーマン社長として、ソニーの原動力であるチームスピリットを鼓舞すべく、キャッチコピーの「It's a Sony」を棄て、「Re Generation」(第二創業)「Digital Dream Kids」というスローガンを打ち出した。 当時のソニーは企業買収を進めた結果、有利子負債が大きく、経営の技術的なプロとしての側面をもつ出井社長の提案により、ソニーはキャッシュフローバランスを重視するきっかけとなった。デジタル・ドリーム・キッズの先頭に立つ出井は、1980年代前半に8ビットコンピューター事業を手掛けた経験をもとに、パーソナルコンピューター事業への再参入を宣言。インテルのグローブ社長(当時)やマイクロソフトのビル・ゲイツ会長(当時)との連合を先導し、1996年にVAIO 1号機をアメリカ合衆国で発表し、ソニーがAV企業からAV/IT企業に大きく発展する舵を切った。 また出井は、社長就任前からインターネットの可能性に注目しており、それをAV/IT機器とつなげる重要性を説き、1995年11月にはソニーコミュニケーションネットワーク株式会社(現・ソネットエンタテインメント株式会社)を設立。1997年度のビジネスウィーク誌が選ぶ「世界のトップビジネスマン」に選定された。その後2001年10月にスウェーデンの通信機器会社であるエリクソンとの合弁会社である、ソニーエリクソンモバイルコミュニケーションズ株式会社(現・ソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社)を設立し、ネットワーク時代のソニーグループの礎を築いた。 さらに在任中、ソニーに執行役員制度を導入したり社外取締役の起用などを積極的に行い、コーポレート・ガバナンスの改革・強化に努め、日本的経営からの更なる脱却に努めた。 2000年代には、早稲田大学の同窓生である小渕首相及びその遺志を継いだ森首相(いずれも当時)の要請により、2000年7月にはIT戦略会議議長に就任し、ブロードバンドのインフラストラクチャー普及を提唱し、日本のブロードバンドインターネット接続環境整備が、世界に先駆けて強力に推進されるきっかけを作った。 ソニーの経営戦略を、「ものづくり」から「コンテンツ重視」へと転換を図り、ネットワークを介したハードウェア(AV/IT機器)とコンテンツ(音楽、映画、ゲーム等)の融合を唱道し、上述のようなハードウェアの多角化のみならず、コンテンツ事業の拡充も推進(2003年8月にBMGを買収してソニーBMGミュージックエンタテインメント(株)を設立、2005年4月にはMGMを買収)。
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