スーパーフライ級時代
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「オマール・ナルバエス」の記事における「スーパーフライ級時代」の解説
2010年5月15日、ブエノスアイレスのエスタディオ・ルナ・パルクで、ホルヘ・アルセの王座返上に伴いエバース・ブリセノとWBO世界スーパーフライ級王座決定戦を行い、12回3-0(117-108、2者が117-108、118-107)の判定勝ちを収め、フライ級に続く2階級制覇に成功した。 2011年2月12日、ブエノスアイレスでビクトル・ザレタ(メキシコ)と対戦し、12回3-0(119-108、2者が120-107)の判定勝ちを収め初防衛に成功した。 2011年4月16日、無敗の指名挑戦者セサール・セダと対戦し、12回判定勝ちを収めて2度目の防衛に成功した。 2011年6月11日、ウィリアム・ウリナと対戦、6回にウリナが減点されるとペースがナルバエスに傾き結果3-0(3者とも117-110)の判定勝ちで3度目の防衛に成功した。 2011年10月22日、ニューヨークの マディソン・スクエア・ガーデン・シアター でWBC・WBO世界バンタム級王者ノニト・ドネアに挑戦したが、プロ初黒星となる12回0-3(3者共に108-120)の判定負けを喫し3階級制覇に失敗した。 2012年4月21日、サンフアンのエスタディオ・アルド・カントーニでWBO世界スーパーフライ級2位で指名挑戦者のホセ・カブレラと対戦した。8回と10回にカブレラが減点されて自滅に近い形になり、12回3-0(2者が118-108、120-106)の判定勝ちを収め4度目の防衛に成功した。 2012年10月20日、ブエノスアイレスのエスタディオ・ルナ・パルクでジョニー・ガルシア(メキシコ)と対戦した。当初は10月17日に行われる予定だったが前日の16日に父が亡くなる不幸があり3日延期された。試合は終始ナルバエスがペースを握ると7回にダウンを奪って先制。11回に立て続けに3度ダウンを奪い、この試合4度目のダウンでガルシアが力を失ったように失神ダウンしレフェリーがその場でストップをかけた。11回2分55秒KO勝ちで5度目の防衛に成功した。 2012年12月15日、トゥクマン州トゥクマンでデビッド・キハノ(プエルトリコ)と対戦し、12回3-0(120-106、119-109、120-108)の判定勝ちを収め6度目の防衛に成功した。 2013年5月25日、ブエノスアイレスのエスタディオ・ルナ・パルクで、WBO世界スーパーフライ級1位のフェリペ・オルクタ(メキシコ)と対戦し、12回2-1(2者が115-113、110-118)の判定勝ちを収め7度目の防衛に成功した。試合後オルクタのセコンドについていたイグナシオ・ベリスタインは判定に不満を漏らした。 2013年8月24日、チュブ州トレレウのヒムナシオ・ムニシパル N°1でWBO世界スーパーフライ級15位の久高寛之(仲里ジム)と対戦し、10回1分26秒TKO勝ちを収め8度目の防衛に成功した。 2013年12月21日、ブエノスアイレスのヴィラ・ラ・ナータ・スポーティング・クラブでWBO世界スーパーフライ級9位でWBO世界スーパーフライ級ユース王者のダビ・カルモナと対戦した。6回にダウンを奪い、あわやカウントアウト寸前まで追い詰めると7回に連打をまとめカルモナ陣営のタオル投入で試合終了し、9度目の防衛に成功した。 2014年5月17日、コルドバ州ヴィヴァ・マリアのアウフィテアントロ・ムニシパルでWBO世界バンタム級ユース王者のアントニオ・ガルシアと対戦し、ボディショット一撃でKOを奪い試合終了。4回3分KO勝ちを収め10度目の防衛に成功した。 2014年9月19日、アルゼンチンのコルドバ州で7度目の防衛戦で苦戦したWBO世界スーパーフライ級1位で指名挑戦者のフェリペ・オルクタと再戦し、12回2-0(2者が116-112、114-114)の判定勝ちを収め11度目の防衛に成功した。 2014年12月30日、日本のリングに初登場。東京都渋谷区の東京体育館で元WBC世界ライトフライ級王者でWBO世界スーパーフライ級8位の井上尚弥(大橋ジム)と対戦し、初回にキャリア初のダウンを2度奪われる展開となり、2回も井上の攻勢の前に劣勢を強いられこの試合4度目となるダウンでナルバエスは立ち上がることが出来ず2回3分1秒KO負けを喫し12度目の防衛に失敗、4年7ヵ月保持していた王座から陥落した。試合直後のリング上ではナルバエス陣営が井上はグローブに鉛を仕込んでいるのではないか?とチェックを要求したが、大橋秀行会長がグローブをその場で外して相手に確認させるとナルバエスのトレーナーは、苦笑いを浮かべて「グレートなニューチャンプだ!」と一言返したとのこと。 2015年10月10日、10か月振りの復帰戦がいきなりの地域王座決定戦。Ce.De.M.N。2でディエゴ・ルイス・ピチャルド・リリアーノとWBOラテンアメリカスーパーフライ級王座決定戦を行い10回3-0(2者が100-90、99-91)の判定勝ちで王座獲得に成功し試合後来年に井上との再戦を熱望した。
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スーパーフライ級時代
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「ホルヘ・アルセ」の記事における「スーパーフライ級時代」の解説
暫定王座を返上したアルセはスーパーフライ級に階級を上げた。2006年9月23日に元WBO世界ライトフライ級王者マシブレレ・マケプラ(南アフリカ)とWBC世界スーパーフライ級王座指名挑戦者決定戦を行い、これに4回TKOで勝利して挑戦権とWBCインターナショナルスーパーフライ級王座を獲得した。下の階級から上がってきたという不安を全く感じさせない戦いぶりだった。 2007年4月14日、WBC世界スーパーフライ級王者クリスチャン・ミハレス(メキシコ)に挑んだが、ミハレスに圧倒され0-3の判定負けを喫した。 一時期はバンタム級での試合も行ったが(後に世界王者となるトマス・ロハス(メキシコ)とWBCラテンアメリカバンタム級王座決定戦を行い6回TKO勝ちでこの試合に勝利している)2008年9月15日にWBA世界スーパーフライ級暫定王者ラファエル・コンセプション(パナマ)に挑戦し、コンセプションが9回終了時に棄権を申し出た為TKO勝ちで暫定王座を獲得した。なお同日、名城信男(日本)がWBA世界スーパーフライ級王座決定戦に出場し、正規王者となった。 2008年11月1日に正規王者の名城がいるにもかかわらずWBO世界フライ級王者のイシドロ・ガルシアと防衛戦を行い4回48秒TKO勝ちで初防衛に成功した。 2009年2月7日、ホンダセンターにて、WBA・WBC・IBF世界スーパーフライ級スーパー王者ビック・ダルチニアン(オーストラリア)と対戦した。終始ダルチニアンの猛攻にさらされ、11回終了時に有効打でカットした左目尻の傷が悪化しドクターストップが掛かり、3団体統一王座の獲得に失敗すると共に王座から陥落、暫定王座はスーパー王座に吸収される形で消滅した。 2009年6月27日、フェルナンド・ルマカド(フィリピン)とIBFインターナショナルスーパーフライ級王座決定戦を行い、3回35秒KO勝ちで王座を獲得し再起に成功した。 2009年9月15日、ダルチニアンの返上に伴い行われたIBF世界スーパーフライ級王座決定戦に出場するもシンピウェ・ノンクアイ(南アフリカ)に0-3の判定負けを喫し、王座返り咲きに失敗した。 2010年1月30日、マービン・ソンソナ(フィリピン)の計量失格に伴い剥奪されたWBO世界スーパーフライ級王座決定戦に出場し対戦相手アンキー・アンコタ(インドネシア)の左目上の裂傷により7回1分34秒負傷判定になり、判定勝ちで王座獲得に成功し2階級制覇を達成した。その後、王座は返上した。 2010年7月31日、元WBA世界スーパーフライ級王者マーティン・カスティーリョ(メキシコ)と対戦し、1回2分56秒KO勝ちを収めた。
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