サンディニスタ!とは? わかりやすく解説

サンディニスタ!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/13 08:16 UTC 版)

『サンディニスタ!』
ザ・クラッシュスタジオ・アルバム
リリース
録音 プルート・スタジオ、マンチェスター 1980年2月
パワー・ステーション、ニューヨーク 1980年3月
エレクトリック・レディ・スタジオ、ニューヨーク 1980年3-4月
チャンネル・ワン・スタジオ、ジャマイカ・キングストン 1980年5月
ウェセックス・スタジオ、ロンドン 1980年8月
ジャンル ポストパンク実験音楽ダブワールド
時間
レーベル エピック、当初はCBS
プロデュース ザ・クラッシュマイキー・ドレッド
専門評論家によるレビュー
ザ・クラッシュ アルバム 年表
ロンドン・コーリング
(1979年)
サンディニスタ!
(1980年)
コンバット・ロック
(1982年)
テンプレートを表示

サンディニスタ!』(Sandinista!)は、パンク・ロック・バンド、ザ・クラッシュの4作目のスタジオ・アルバム。3枚組で発売され、各面に6曲ずつの計36曲収録している[1][2]

経歴

アルバムのほとんどは、1980年にロンドンマンチェスタージャマイカニューヨークで録音された。基本的には、ミックジョー2人のセルフ・プロデュースで、録音とミキシングはビル・プライス、エンジニアはウェセックス・サウンド・スタジオのジェリー・グリーンとエレクトリック・レディ・スタジオのJ.P.ニコルソン、チャンネルワン・スタジオのランスロット・“マキシー”・マッケンジー及びビル・プライス。ダブ・ヴァージョンの曲とトースティングは、1980年のシングル「バンクロバー」で初めて手を組んだマイキー・ドレッドの手による。このアルバムで、バンドはパンクやレゲエのみならず、ダブ、R&Bカリプソゴスペルなどへと拡がりを見せた[3]。ストレートなロックナンバーと同等の、濃密でエコーが効いたサウンドは、明らかにレゲエ、特にプロデューサーのリー・“スクラッチ”・ペリー(1977年にシングル「コンプリート・コントロール」をプロデュースし、1980年にはニューヨークでのショーを主催した)の影響を顕す[1][2]

ニューヨークでのレコーディング開始時、ベースのポール・シムノンは映画出演で忙しく、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズのノーマン・ワット=ロイが代役で呼ばれた。これは、後にワット=ロイとバンド仲間のキーボーディスト、ミッキー・ギャラガーが「7人の偉人」について「彼らの曲を元にしており、彼らも共同作曲者である」という主張をしたため、反感の原因となった。ドレッドもまた、彼がアルバムのプロデューサーとしてクレジットされていないことに怒ったが、彼の名は「Version Mix」という名義でクレジットされている。このアルバムの他のゲストは、俳優のティム・カリー(「ザ・サウンド・オブ・シナーズ」で牧師の役)、歌手のエレン・フォーリー(当時のジョーンズの恋人)、ザ・ヴォイドイズの元ギタリストであるアイヴァン・ジュリアン、エディ&ザ・ホット・ロッズの元メンバーであるルー・ルイス、そしてジョーの旧友で作曲家のタイモン・ドッグは「ルーズ・ディス・スキン」でヴァイオリン、歌を担当し、作曲もしている(後にジョーのバンド、ザ・メスカレロスにも加わる)。ミッキー・ギャラガーの子供達も参加している。息子のルークとベンは、クラッシュの最初のアルバムの曲「出世のチャンス」を歌っている。そして娘のマリアは、「ブロードウェイ」のアウトロに『ロンドン・コーリング』の曲「ブリクストンの銃」の一篇を歌っている[1][2][4]

それまで「ストラマー/ジョーンズ」だった作者クレジットがはじめて「ザ・クラッシュ」になった。また、4人全員がリード・ボーカルを執った唯一のアルバムである。ドラムのトッパー・ヒードンは「イワンがG.I.ジョーに会う時」で独特のリードボーカルを披露し、ベースのポール・シムノンも「歪んだビート」でリードを歌っている[2]

イギリスでのテイクから4枚のシングルがリリースされた。「バンクロバー」(アルバムには収録されていない)と「ザ・コール・アップ」、「ヒッツヴィルU.K.」と「7人の偉人」である。「7人の偉人」はおそらく初のブリティッシュ・ラップ・シングルで白人バンドによる最初のラップ・シングルの一つであるという点において特筆に値する。

LPを3枚組にするのは、『ロンドン・コーリング』の場合と同様レコード会社を欺いた結果である。アルバムのリリースに関して、2つの相反する説がある。1つは2枚組アルバムに12インチシングルを付けると言って、重役が気づく前に3枚組のLPを仕上げてしまうという、前回と同じやり口を使ったという説。もう1つは、確実に3枚組LPにするため、最初の20万枚分の版権をすべて返上したという説である。ストラマーは『パンク・マガジン』誌のジュディ・マクガイアにインタビューでこう言っている。「そう、今君と話しているのが『サンディニスタ!』の版権をフイにした男さ」[5] いずれが正しいにせよ状況はファンの目にバンドの見通しを良くし、ややこしい存在を超越した[6][2][7]

アルバムの内容を抽出して『サンディニスタ ナウ!』と銘打った1枚組のLPがプレスとラジオ局に配られた。表面には「ポリス・オン・マイ・バック」、「誰かが殺された」、「ザ・コール・アップ」、「サンディニスタ!」、「イワンがG.I.ジョーに会う時」と「ヒッツヴィルU.K.」、裏面には「ロンドン塔」、「7人の偉人」、「政府の指導者」、「ジャンコ」、「ワン・モア・タイム」と「ザ・サウンド・オブ・シナーズ」が収録されていた[2][7]

タイトルは、前年に独裁者アナスタシオ・ソモサ・デバイレを政権から引きずり下ろしたニカラグアの左翼ゲリラ組織サンディニスタ民族解放戦線に由来。カタログナンバーの "FSLN1" は同組織のフルネーム "Frente Sandinista de Liberacion Nacional" の頭文字に由来する[3][6][8]

タイトル・ナンバーはクラッシュの詩人ストラマーの、最も広範囲にわたり、最も具体的な政治声明で、現在にまで通じる。この中でストラマーは世界中の紛争、論争を阻止する。すなわち、チリニカラグアキューバアフガニスタンチベットである(最初の3国に対しては、ストラマーは彼が左翼運動か政府側とみなすサイドに立つように見える、残りの2国については、彼が帝国主義的行動とみなすモスクワ北京の共産政権の方針を鋭く批判する)。最初のローリング・ストーン誌の『サンディニスタ!』のレヴューは、「サンディニスタ!」と「平等」「ザ・コール・アップ」をあわせて「アルバムの核心」と評した[7][9]

オリジナルの3枚組LPには「ザ・ハルマゲドン・タイムズ ナンバー3(EP『ブラック・マーケット・クラッシュ』収録の「ハルマゲドン・タイム」を使った遊び)」と銘打たれ3つ折りの歌詞シートが挟まれていた。ナンバー1とナンバー2はクラッシュのファン誌である。歌詞シートにはスティーヴ・ベル名義の漫画と、全曲の歌詞が(まあまあ読める)手書きで載せられていた。2枚組CDではこの歌詞カードのコピーが縮小されて同梱されている[1][2]

ジョーは、ロック界では珍しい3枚組LPのコンセプトについて、『ローリング・ストーン』誌にブルース・スプリングスティーンとのライバル心によるものだと語っている。前作『ロンドン・コーリング』が1980年に発売された時、評論家達は「スプリングスティーンがリリース予定の2枚組アルバム『ザ・リバー』はクラッシュより多く売れ、インパクトも上回るだろう」と評した。ジョーの答えは「そんならブルース、これでも食らえ」で、バンドは『サンディニスタ!』を3枚組に増やした[6][7]

評価

もっと野心を抑え、小さなプロジェクトにすべきだったと言う評論家もいる一方で[要出典]ビートルズの『ホワイト・アルバム』に匹敵するという意見もある[6]

1981年には、評論家によるいくつもの栄誉を勝ち取り、『ヴィレッジ・ヴォイス』誌の「Pazz & Jop」投票で年間最高アルバムに選ばれた。デイヴ・マーシュは、このアルバムがサウンドのみならず、主題も数年先を行っていることに注目した。 [10]。このアルバムは、1980年代後半から1990年代前半のワールドミュージックの流行を予言する、文体上、時事問題上のポプリである。レゲエジャズゴスペルロカビリーフォークダブリズム・アンド・ブルースカリプソ、クラッシュ流のロック、その他様々な要素が『サンディニスタ!』にある。アルバムには、当時まだその中心となる黒人にさえ耳新しかったラップを2曲取り入れている。ジョン・ピッカレラは、バンドの「クラッシュスタイルなんか糞食らえだ。世界はもっと向こうにあるんだぜ」という言葉を受け、「The Clash Drop The Big One」と題したレヴューと最高点の5つ星を与えた[7][11]

ザ・スミザリーンズ、キャンパー・ヴァン・ベートーベン、ジョン・ラングフォード(メコンズ)、サリー・ティムズ、エイミー・リグビー、カトリーナ・レスニカッチ(ウェイヴズ)、レックレス・エリック、ウィリー・ナイル、マシュー・ライアン、ステュー、セックス・クラーク・ファイヴ、シド・グリフィン&コール・ポーターズ、アーラ、ザ・ブリザード・オブ78とマイキー・ドレッド、ルビィ・オン・ザ・ヴァイン、その他のアーティストによるトリビュート・アルバム『サンディニスタ! プロジェクト』が2007年5月15日に「00:02:59 レコード(ヒッツヴィルU.K.の歌詞に因んだレーベル名)」から発売された。このアルバムには「ミッドナイト・ログ」でソウル・フードとミッキー・ギャラガーの競演もある[12][13][14]

『オルタナティヴ・プレス』誌の「重要な10枚の政治的、革命的アルバム」に選ばれた[15]

CMJ誌の「1981年に最も聴かれたアルバムトップ20」において、2位になった[16]

2003年に『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』において、407位にランクイン[17][18][19](書籍第3版では404位[3])。2020年版では323位にランクされている[20]

レッド・ホット・チリ・ペッパーズフリーが、最も好きなロック・アルバムに挙げている。

収録曲

特記無い限り全曲クラッシュ作。CD版ではサイド3までが1枚目のCDで、それ以降が2枚目のCDに収録。

サイド1
  1. 7人の偉人 - "The Magnificent Seven" - 5:28
  2. ヒッツヴィルU.K. - "Hitsville UK" - 4:20
  3. ジャンコ - "Junco Partner" (作者不詳) - 4:53
  4. イワンがG.I.ジョーに会う時 - "Ivan Meets G.I. Joe" - 3:05
  5. 政府の指導者 - "The Leader" - 1:41
  6. 老いたイングランド - "Something About England" - 3:42
サイド2
  1. 叛乱ワルツ - "Rebel Waltz" - 3:25
  2. ルック・ヒア - "Look Here" (モーズ・アリスン) - 2:44
  3. 歪んだビート - "The Crooked Beat" - 5:29
  4. 誰かが殺された - "Somebody Got Murdered" - 3:34
  5. ワン・モア・タイム - "One More Time" (ザ・クラッシュ / マイキー・ドレッド - 3:32
  6. ワン・モア・ダブ - "One More Dub" (ザ・クラッシュ / マイキー・ドレッド) - 3:34
    • 「ワン・モア・タイム」のダブ・ヴァージョン
サイド3
  1. ライトニング・ストライクス(電光一閃!おんぼろニューヨークを直撃) - "Lightning Strikes (Not Once But Twice)" - 4:51
  2. ロンドン塔 - "Up in Heaven (Not Only Here)" - 4:31
  3. コーナー・ソウル - "Corner Soul" - 2:43
  4. レッツ・ゴー・クレイジー - "Let's Go Crazy" - 4:25
  5. もしも音楽が語ることができるなら - "If Music Could Talk" (ザ・クラッシュ / マイキー・ドレッド) - 4:36
  6. ザ・サウンド・オブ・シナーズ - "The Sound of the Sinners" - 4:00
サイド4
  1. ポリス・オン・マイ・バック - "Police on My Back" エディ・グラント - 3:15
  2. ミッドナイト・ログ - "Midnight Log" - 2:11
  3. 平等 - "The Equaliser" - 5:47
  4. ザ・コール・アップ - "The Call Up" - 5:25
  5. サンディニスタ!(ワシントンの銃弾) - "Washington Bullets" - 3:51
  6. ブロードウェイ - "Broadway" - 5:45
    • 曲の最後にマリア・ギャラガーが歌う「ブリクストンの銃」が挿入されている
サイド5
  1. ルーズ・ディス・スキン - "Lose This Skin" (タイモン・ドッグ) - 5:07
    • ボーカル: タイモン・ドッグ
  2. チャーリー・ドント・サーフ(ナパーム弾の星) - "Charlie Don't Surf" - 4:55
  3. メンズフォース・ヒル - "Mensforth Hill" - 3:42
    • 「老いたイングランド」の逆回転
  4. ジャンキー・スリップ - "Junkie Slip" - 2:48
  5. キングストン・アドヴァイス - "Kingston Advice" - 2:36
  6. ストリート・パレード - "The Street Parade" - 3:26
サイド6
  1. ヴァージョン・シティ列車 - "Version City" - 4:23
  2. リヴィング・イン・フェイム - "Living in Fame" (ザ・クラッシュ / マイキー・ドレッド) - 4:36
    • 「もしも音楽が語ることができるなら」のダブ・ヴァージョン。ボーカルはマイキー・ドレッド
  3. シリコン・オン・サファイア - "Silicone on Sapphire" - 4:32
    • 「サンディニスタ!」のダブ・ヴァージョン
  4. ヴァージョン・パードナー - "Version Pardner" - 5:22
    • 「ジャンコ」のダブ・ヴァージョン
  5. 出世のチャンス - "Career Opportunities" - 2:30
    • ルーク/ベン・ギャラガーが歌う新ヴァージョン
  6. シェパーズ・ディライト - "Shepherds Delight" (ザ・クラッシュ / マイキー・ドレッド) - 3:25

メンバー

ゲストミュージシャン

  • ミッキー・ギャラガー - キーボード
  • タイモン・ドッグ - 「ルーズ・ディス・スキン 」でヴァイオリン、ボーカル
  • ノーマン・ワット=ロイ - 「7人の偉人」と「ライトニング・ストライクス」でベース
  • J.P.ニコルソン - キーボード
  • エレン・フォーリー - 「ヒッツヴィルU.K.」でボーカル
  • デヴィッド・ペイン - サックス
  • レイ・ガスコン
  • デイヴ・イェイツ
  • デン・ハガーティ - ボーカル
  • ルーク・ギャラガー - 「出世のチャンス」でボーカル
  • ベン・ギャラガー - 「出世のチャンス」でボーカル
  • マリア・ギャラガー 「ブロードウェイ」でボーカル
  • ゲイリー・バーナクル - サックス
  • ビル・バーナクル - トランペット
  • ジョディ・ウィンスコット
  • アイヴァン・ジュリアン - ギター
  • ノエル・テンポ・ベイリー
  • アンソニー・ネルソン・スティーリー
  • リュー・ルイス - ボーカル、ハーモニカ
  • ジェラルド・バクスター=ワーマン
  • テリー・マクウェイド
  • ルドルフ・アドルファス・ジョーダン
  • バターシー
  • マイキー・ドレッド - 「リヴィング・イン・フェイム」でボーカル

順位

アルバム

チャート 順位
1980 全英アルバムチャート 19
1980 Billboard 200 24

シングル

シングル チャート 順位
1980 ザ・コール・アップ 全英シングルチャート 40
1981 ヒッツヴィルU.K. 全英シングルチャート 56
1981 ヒッツヴィルU.K. ビルボード: 主流のロック 53
1981 7人の偉人 全英シングルチャート 34
1982 7人の偉人 ビルボード:クラブでかけられたシングル 21

認定者 枚数
RIAA (アメリカ) プラチナム 1,000,000

脚注

  1. ^ a b c d ドン・レッツ; ジョー・ストラマーミック・ジョーンズポール・シムノントッパー・ヒードンテリー・チャイムズ、リック・エルグッド、ザ・クラッシュ (2001). ウェストウェイ・トゥ・ザ・ワールド (ドキュメンタリー). ニューヨーク: ソニー・ミュージックエンタテインメント、ドリスモ、アップタウン・フィルムズ. 該当時間: 55:00-63:00. ISBN 07389008262008年2月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g パット・ギルバート (2005) [2004]. “8-13、エピローグ、ディスコグラフィ、バイオグラフィ”. Passion Is a Fashion: The Real Story of The Clash (第4版 ed.). ロンドン: オーラム・プレス. pp. pp. 321, 332, 362, 367, 373-388. ISBN 1845131134 
  3. ^ a b c ジョー・レヴィー; スティーヴ・ヴァン・ザント (2006) [2005]. “404位:サンディニスタ!”. 最も偉大な500アルバム (第3版 ed.). ロンドン: ターンアラウンド. ISBN 1932958614. http://www.rollingstone.com/news/story/6626684/404_sandinista 2008年1月8日閲覧。 
  4. ^ ステファン・トーマス・アールワイン. “サンディニスタ! のレヴュー”. オールミュージック. 2008年2月18日閲覧。
  5. ^ ジュディ・マクガイア. “ジョー・ストラマーへのインタビュー”. punkmagazine.com. 2008年2月22日閲覧。
  6. ^ a b c d "MTV Rockumentary Part 2". MTVロキュメンタリー (Interview). カート・ローダー(紹介者). イングランドロンドン: MTV. 2011年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  7. ^ a b c d e ジョン・ディース. “反逆を金に: The Story of the Clash”. jdeeth.home.mchsi.com. 2008年2月18日閲覧。
  8. ^ ラリー・ジェフィー "The Politics of Rock" Popular Music and Society, Winter 1987, pp. 19-30.
  9. ^ プレストン・ピート (2001年7月9日). “where's the clash when we need them?”. Disinformation. 2008年2月19日閲覧。
  10. ^ デイヴ・マーシュ (1999) [1989]. The Heart of Rock and Soul: The 1001 Greatest Singles Ever Made. ニューヨーク: ダ・カーポ・プレス. pp. p. 78. ISBN 030680901X 
  11. ^ ジョン・ピッカレラ (1981-3-5). “Red-Hot Rock and Roll, A Joyful Noise and Politics That Live: The Clash Drop the Big One”. ローリング・ストーン: pp. 57-58. 
  12. ^ ザ・クラッシュ; Joe Grushecky; Katrina Leskanich; Willie Nile; Ship & Pilot.; Soul Food (Musical group); Sunset Heroes (21 September 2004). The Sandinista! Project A Tribute to the Clash (CD). イングランド: 00:02:59 Records.2008年2月20日閲覧。
  13. ^ サンディニスタ! プロジェクト”. sandinista.guterman.com. 2008年2月20日閲覧。
  14. ^ Cary Baker's conqueroo - The Sandinista! Project Announcements”. conqueroo.com. 2008年2月20日閲覧。
  15. ^ オルタナティブ・プレス (11/00, p.144)
  16. ^ カレッジ・ミュージック・ジャーナル (1/5/04, p.8)
  17. ^ “最も偉大な500アルバム”. ローリング・ストーン (カリフォルニア州サンフランシスコ: ストレート・アロー) (特別編集). (2003-12-11). ISSN 0035-791X. 
  18. ^ 最も偉大な500アルバム”. 特別編集. ローリング・ストーン (2003年11月18日). 2008年1月8日閲覧。
  19. ^ [1]
  20. ^ The 500 Greatest Albums of All Time” (英語). Rolling Stone (2020年9月22日). 2021年12月28日閲覧。

出典

  • パット・ギルバート (2005) [2004]. “8-13、エピローグ、ディスコグラフィ、ビブリオグラフィ”. Passion Is a Fashion: The Real Story of The Clash (第4版 ed.). ロンドン: オーラム・プレス. pp. pp. 321, 332, 362, 367, 373-388. ISBN 1845131134 
  • マーカス・グレイ (2005) [1995]. The Clash: Return of the Last Gang in Town (改訂第5版 ed.). ロンドン: ヘルター・スケルター. ISBN 1905139101 
  • ジョニー・グリーン; ゲイリー・バーカー (2003) [1997]. A Riot of Our Own: Night and Day with The Clash (第3版 ed.). London: オリオン. ISBN 0752858432 
  • ボブ・グルーエン; クリス・セールウィクズ (2004) [2001]. ザ・クラッシュ (第3版 ed.). ロンドン: オムニバス. ISBN 1903399343 
  • クリス・ニーズ (2005-01-25). Joe Strummer and the Legend of the Clash. ロンドン: プレクサス. ISBN 085965348X 
  • キース・トッピング (2004) [2003]. The Complete Clash (第2版 ed.). リッチモンド: レイノルズ&ハーン. ISBN 1903111706 

外部リンク


サンディニスタ民族解放戦線

(サンディニスタ! から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/11 22:43 UTC 版)

ニカラグア政党
サンディニスタ民族解放戦線
Frente Sandinista de Liberación Nacional(FSLN)
党旗
党首 ダニエル・オルテガ
成立年月日 1961年
本部所在地 ニカラグア マナグア
ニカラグア国会
75 / 90   (83%)
(2024年)
政治的思想・立場 サンディーノ主義
キリスト教左派
左翼
国際組織 社会主義インターナショナル
サンパウロ・フォーラム
人民ボリバリアーノ会議
ラテンアメリカ・カリブ政党常設会議
ラテンアメリカ社会主義調整
中央アメリカ議会左派
公式サイト [1]
テンプレートを表示

サンディニスタ民族解放戦線(サンディニスタみんぞくかいほうせんせん、西: Frente Sandinista de Liberación NacionalFSLN)は、ニカラグアで発生した左翼政治運動、後に政党となった。

党名は、1927年から1933年までアメリカ合衆国の侵略に対抗し闘ったアウグスト・セサル・サンディーノに因むもので、活動はサンディニスモ(サンディーノ主義)、活動家(党員)はサンディニスタ(サンディーノ主義者)と呼ばれる。

概要

創設

1961年キューバ革命の影響を受けトマス・ボルヘ英語版(後にサンディニスタ政権の内務大臣)、カルロス・フォセンカ英語版1976年に戦死)らによって創設。1963年ソモサ独裁政権に対する武装闘争を開始。1972年のニカラグア大地震のあと勢力を拡大する。1974年にはモンチエル外相ら30人以上を人質として政治犯を釈放させることに成功した。

一方、内部ではプロレタリア潮流派・持久人民戦線派・第三者派に三分裂する。しかし、1978年、穏健保守的な反政府指導者のペドロ・ホアキン・チャモロがソモサ政権に暗殺されたことを契機として勢力が急伸長し、それに伴い分派の対立もほぼ解消される。

1978年8月22日、マナグア国家宮殿を占拠し、政治家から一般人まで1500人を人質にする事件を起こす。占拠時に首謀者らがサンディニスタを名乗ると、人質の中から拍手が起こり握手攻めに遭うなど国民からの支持が着実に広がっていることが裏付けられた[1]

革命成功

1979年6月には、大規模な軍事攻勢を開始し、同年7月にはニカラグア革命を成功させる。第三者派のダニエル・オルテガが国家再建会議議長に就任(後、1985年ニカラグアの大統領に当選する)。左翼政権の為ソビエト連邦を中心とする共産圏と関係が深く、特に手本となったキューバとは関係が緊密であった。

しかし、革命成功以降、分派対立は再燃し、またサンディニスタ政権は、ニカラグアの第二のキューバ化を恐れたアメリカ合衆国のレーガン政権から絶え間なく敵視・干渉政策にさらされた。国内ではアメリカの軍事援助によってソモサ派の残党を中心とし、サンディニスタから分裂・下野した勢力なども加わった右派ゲリラコントラ」が結成され、サンディニスタ政権とニカラグア内戦が続いた。

ダントー作戦

1988年3月にサンディニスタ政権はコントラ反乱軍が鉱山町ボナンザからホンジュラスの国境近く一帯で、コントラの基地があるホンジュラスから武器など供給活動などしているとしてコントラへの大規模な攻撃作戦(ダントー作戦)を始めようとしていた。この攻撃でコントラは1,000人以上の死亡、負傷者を出した。サンディニスタ軍による、ホンジュラス領土内の侵攻の脅威があった為、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンは対抗してサンディニスタ軍からホンジュラスの国境を守る為とし、黄金のキジ作戦(Operation Golden Pheasant)と命名した、アメリカ陸軍の3,000人以上の部隊をホンジュラスに送り、ホンジュラス軍との合同訓練演習を開始した。アメリカ軍が到着した時、サンディニスタ軍は国境からの撤退がなされ、すぐに停戦が交渉された。

低迷から政権復帰へ

ソビエト連邦の崩壊やコントラとの内戦長期化や経済制裁による生活窮乏化に民衆は耐えられず、11年続いた革命政権は1990年の総選挙で敗北し下野した。その後1995年にサンディニスタ革新運動が分裂するなど、党内対立が続いているが、依然として国会の第2党の勢力を維持。さらに2006年11月5日に行われた大統領選挙では政策を穏健化させたダニエル・オルテガが大統領に当選・復帰し、2007年1月10日に就任した。また同時に行われた国会選挙でも全92議席中38議席を獲得し、第1党に復帰した。2011年11月に行われた大統領選挙でもオルテガが再選を果たし、同時実施の国会議員選挙でも全体の三分の二を制して圧勝したことで引き続き政権与党と議会第1党の座を維持した[2]

なお80年代以来、その武闘派イメージにもかかわらず欧州型中道左派政党を主力とする社会主義インターナショナルの加盟政党でもあったが、2019年1月30日に「反体制派への過剰な弾圧を行い、政府による人権と民主的価値観への侵害」という理由で除名された。

シンボル

サンディニスタの旗は上部が赤、下部が黒に仕切られ、中心に白く「FSLN」の文字が入っている。原型は1930年代の闘争で使用された旗で、左右に黒と赤に仕切られ、黒い側に髑髏を描いたものだった。これはサンディーノがメキシコにいた際に無政府主義者によって使用されていた旗を基にしていた。

思想

FSLNはサンディーノから大きな影響を受けていたが、その思想は「革命」を目指すなどの共産主義的な要素が付け足されており、サンディーノの思想がそのまま継承されたわけではない。内部では戦略などをめぐって3つの派閥が存在した。

  • 持久人民戦争派

 農村部を基盤とした、国民の大部分を占める農民による長期的な闘争を主張した。

 古典的なマルクス主義の理論を標榜し、都市部の労働者を中心とする闘争を主張した。

オルテガをはじめとする勢力で、資本家から司祭、学生、中流階級青年失業者、スラム街の居住者まで広範な層の人々による闘争を主張した。

脚注

  1. ^ 逮捕者500人超える 米の支援で開き直りか『朝日新聞』1978年(昭和53年)9月6日朝刊、13版、7面
  2. ^ “ニカラグア大統領選 オルテガ氏、大差で再選 国会議席3分の2へ”. しんぶん赤旗. (2011年11月9日). https://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-09/2011110907_01_1.html 2012年9月17日閲覧。 

関連項目

外部リンク


「サンディニスタ」の例文・使い方・用例・文例

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