サッカー日本女子代表チームの誕生
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「女子サッカー」の記事における「サッカー日本女子代表チームの誕生」の解説
「サッカー日本女子代表」も参照 日本女子サッカーにおける初の国際試合は、1977年に台湾で開催された第2回AFCアジア女子選手権へのFCジンナンの出場である。その後チキンフットボール選抜や神戸FCレディースによる香港への遠征が行われた。 1981年6月、香港にて第4回AFCアジア女子選手権が開催される事となり、この時初めて正式な日本女子代表チームが結成され、監督には市原聖基が就任した。この時は日本サッカー協会より強化費用が支給されず、日本女子サッカー連盟が自前で強化費用をまかなった。遠征費の半分は選手たちが自ら負担し、残りは三菱グループやプーマグループが支援した。5日間の事前合宿の後香港へと渡った日本代表チームは1勝2敗の成績で、1次リーグで敗退して同大会を終えた。 同年9月神戸市で行われた博覧会「ポートピア81」の関連事業として日本女子代表が結成され、神戸市の中央競技場でイングランド代表と、東京の国立西が丘サッカー場でイタリア代表と対戦した。イングランド戦に臨む代表チームは関西および清水の選手で、イタリア戦に臨む代表チームは関東および清水の選手で編成するという形をとった。 1984年の中国遠征時は、FCジンナンのコーチであった折井孝男が代表監督を兼任して采配を取った。1986年、鈴木良平が初の専任代表監督に就任した。1989年に退任するまでの間に鈴木は公式戦23試合で采配を取り、うち1986年12月に香港で開催された第6回AFCアジア女子選手権では準優勝の成績を修めた。 2005年1月、日本サッカー協会会長・川淵三郎は「2030年までに女子ワールドカップを日本で開催し、その年までに世界一にする」と宣言。また「女性監督の育成にも力を入れる」と明言した。2007年6月にはJFAより、女子サッカーに特化した「なでしこvision」が発表され、普及で「2015年までに女子プレーヤーを30万人にする」、育成で「才能の発掘と育成のシステムの強化」、強化で「2015年女子W杯での優勝」の3つの大目標が掲げられた。 そして同年4月には、この年トルコのイズミルで行われるユニバーシアード世界大会に参加する女子代表チームの監督に本田美登里(なでしこリーグ・岡山湯郷Belle監督)を任命。日本では各年代を通じて初の「女性代表監督」となる。8月10日から行われた本大会では、大学チーム所属選手となでしこリーグ所属選手による混成チームを率いて第3位の成績を収めた。 2007年、なでしこジャパンは第5回FIFA女子ワールドカップ(中華人民共和国)に出場。翌2008年は2月には東アジア女子サッカー選手権2008で優勝し、女子代表として初タイトルを獲得し、さらに同年8月の北京オリンピックでは第4位となった。 2010年に開催されたFIFA U-17女子ワールドカップで、U-17女子日本代表は決勝に進出し、韓国代表相手にPK戦で敗れたものの、FIFA主催の国際大会では日本女子代表として初、男子を含めても3度目の準優勝を達成した。 2011年、第6回FIFA女子ワールドカップ(ドイツ)に出場。準々決勝で開催国で前大会優勝のドイツを破り、決勝で強豪アメリカ代表を破り優勝した。川淵の宣言より6年、なでしこvisionに先立つこと4年で、男女を通じて初の「世界一」を達成した。この大会における日本代表チームのキャプテンを務めた澤穂希は、大会得点王と大会MVPに輝いた。
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