ケネディの選挙不正と議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 23:42 UTC 版)
「1960年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「ケネディの選挙不正と議論」の解説
この時の選挙でケネディ陣営が、禁酒法時代に密造酒の生産・販売を行っていた関係からマフィアと関係の深い、父親のジョセフ・ケネディ・シニアの協力の下、マフィアやマフィアと関係の深い労働組合、非合法組織を巻き込んだ大規模な選挙不正を行っていたことが現在では明らかになっている。 またケネディは、予備選挙中にシナトラから紹介されたシナトラの元恋人のジュディス・キャンベルを経由して、イリノイ州シカゴのマフィアの大ボスのサム・ジアンカーナを紹介してもらい、ウェスト・ヴァージニア州における選挙への協力を直接要請した他、FBIの盗聴により、シナトラが同州のマフィアからケネディのために寄付金を募り、ケネディの選対関係者にばらまいたことが明らかになっている。 共和党は当時これら2州の結果を他の9州の結果と共にひっくり返そうとして失敗したという事実に拘わらず、ニクソンは全国の一般投票で実際には勝っていたとしている。これら2州はもしニクソンが制して居れば、選挙人選挙の結果でもニクソンが勝っていたはずなので重要である。 ケネディはイリノイ州で投票総数475万票のうちわずか9,000票に足りない差で制した。ニクソンが州内101の郡のうち92郡を制していたにも関わらずであった。ケネディのイリノイ州での勝利はシカゴによるものであり、リチャード・J・デーリー市長が11月9日の朝遅い時間までシカゴの票の大半を保留にしていた。デーリーの行動と力の有るシカゴ民主党の組織はクック郡で45万票差という異常な勝利をケネディに与えた。これはシカゴの1960年時点の人口355万人の10%以上に相当した。このことでイリノイ州の他の地域では厚かった共和投票にかろうじて打ち勝つことになった。ニクソン支持の「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」の記者、アール・マソはシカゴの投票を調査し、イリノイ州がケネディに奪われるだけの選挙違反の十分な証拠を見付けたと主張した。 テキサス州では、ケネディが51%対49%という僅差でニクソンを破った。共和党員の中にはリンドン・ジョンソンの恐るべき政治マシーンが、ジョンソンの地元のメキシコ国境付近の郡部で十分な票を盗み、ケネディに勝利をもたらしたと主張する者がいる。 歴史家のアーサー・シュレジンジャーのようなケネディに近しい者は、「ケネディが取ったテキサス州の票差(46,000票)は単純に大きすぎて、選挙違反では覆らない」と主張した。イリノイ州でも、シュレジンジャーやその他のケネディや民主党の支持者が、「仮にニクソンがイリノイ州を制したとしても、ケネディはまだ選挙人票276票を持っており、対するニクソンは246票なので、この州だけではニクソンを勝者には出来ない」と指摘した。さらに加えて、イリノイ州は最も広範な異議申し立てのあった場所であり、クック郡の州検事で共和党のベンジャミン・アダモースキーは自身の再選も果たさなかったが、その繰り返し先頭に立った行動にも拘らず成功しなかった。ニクソンとアダモースキーの両人に有利な純誤差を示したが(ある投票区はニクソンの場合に40%という彼等に有利な誤差を示したが、選挙違反ではなく誤集計を示唆するものだった)、どちらの候補者も結果を覆すまでには至らなかった。共和党が支配する州の選挙委員会は異口同音に結果に対する異議申し立てを拒絶した。さらに共和党に支配される州南部地域において不正行為の可能性を示唆するものがあり、共和党の異議申し立ては行き場が無いために民主党も真剣に追及することはなかった。 選挙終盤にケネディ陣営のイリノイ州やテキサス州などの大票田における大規模な不正に気づいたニクソン陣営は正式に告発を行おうとしたが、アイゼンハワー元大統領から「告発を行い、泥仕合になると国家の名誉を汚すことになる」と説得されて告発を取りやめている。ある共和党指導者たちはニクソンに対し、ケネディへの投票の幾つか、特に大きなカトリック教徒投票区の多数がケネディの選出に貢献したイリノイ州、ミズーリ州およびニュージャージー州の再集計を追及しその有効性に異議を唱えることを勧めたと言われている。ニクソンは再集計を要求することを公に拒否し、「それは憲法の危機を生む」と言った。またマソや「ヘラルド・トリビューン」には、選挙が民主党に盗まれたということを示唆する記事を出版しないように説得もした。しかし、ニクソンは個人的には共和党全国議長のスラストン・モートンに再集計を要求するよう奨励し、モートンは11州で再集計を行い、1961年の夏まで裁判所に異議申し立てを続けた。ケネディの選挙運動によって申し立てられた再集計でケネディが逆転された唯一の州はハワイ州という結果になった。 なお、ニクソンはケネディ陣営がニクソンが過去に精神科のカウンセリングを受けた過去がある証拠をつかんでいた(現在ではこのような経歴が問題視されることはない)ものの、「切り札」として公開していなかったことをつかんでおり、「やぶへびになることを恐れ告発に踏み切れなかった」という意見もあるが、いずれにしても告発を行わなかったニクソンの潔い行動は、ニクソンに批判的な人々からも称賛を受けている。
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