ケネディとの友情と選挙協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 23:32 UTC 版)
「フランク・シナトラ」の記事における「ケネディとの友情と選挙協力」の解説
「シナトラ一家」のメンバーのローフォードが、1956年に民主党の若手上院議員のジョン・F・ケネディの妹パトリシアと結婚して以降、「ケネディの広報マシン」と呼ばれるようになったローフォードを通じて、ジョンやジョンの弟のロバートやエドワードなどのケネディ兄弟と家族ぐるみの親しい関係を結んだ。 特定の候補との親密な関係を懸念する者もいたが、その後シナトラはケネディ家を通じて民主党への支援を活発に行い、1960年の大統領選挙にジョンが出馬した際には、ローフォードやサミー・デイヴィスJr.などとともに、カリフォルニア州やネバダ州で行われた民主党の選挙資金調達パーティーに出演するなど、ジョンの予備選勝利に向けて協力を行った。 さらに、1960年7月10日の民主党大会の初日前夜に、ビバリーヒルズのビバリー・ヒルトン・ホテルで開かれた民主党の資金調達パーティーでは、シナトラやローフォード、デイヴィスのほかにも、シナトラが親しかったジュディ・ガーランドやトニー・カーチスが出席し、シナトラはアメリカ国歌を歌ったばかりか、会場の各テーブルをまわり代議員へのジョンへの支援への説得を行った。これに対しケネディは、シナトラを「最高の友人」と最大級に誉めそやした。 またジョンは、予備選挙中にシナトラから紹介されたシナトラの元恋人のジュディス・キャンベルを経由して、シナトラとも関係の深かったマフィアの大ボスのサム・ジアンカーナを紹介してもらい(キャンベルとジアンカーナも性的関係にあった)、ウェストバージニア州における選挙への協力を直接要請した他、FBIの盗聴により、シナトラが同州のマフィアからケネディのために寄付金を募り、ケネディの選対関係者に提供したことが明らかになっている。 なおケネディ兄弟は、シナトラから紹介されたジュディス・キャンベルと不倫関係を持っただけでなく、ジョンは同じくシナトラに紹介された女優のマリリン・モンローとも不倫関係にあったと言われる。 1961年1月20日のケネディ大統領就任式の際、ワシントンD.Cで行われた就任パーティー全てを仕切らせたのはシナトラであった。なおこの際にケネディの妻のジャクリーン・ケネディを会場に連れてきたのは、シナトラ本人であった。また、黒人と白人の異人種間で結婚することを人種差別的観点から唾棄したケネディは、シナトラの友人であったサミー・デイヴィスJr.夫妻(黒人と白人の異人種間で結婚したばかりであった)の出席を強く拒否し、シナトラは渋々これ承諾せざるを得なかった。
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