ギリシアおよびヘレニズム数学(紀元前550年〜西暦300年頃)
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「数学史」の記事における「ギリシアおよびヘレニズム数学(紀元前550年〜西暦300年頃)」の解説
ギリシア数学は紀元前6世紀頃から西暦450年の間にギリシア語で書かれた数学を示す。ギリシア人数学者は東地中海全体、イタリアから北アフリカに広がる都市に住んでいたが、これらの地域は文化と言語で結びつけられていた。ギリシアの数学は、ヘレニズム数学とも呼ばれる。 ギリシア数学は、以前の文化で発達した数学に比べて遥かに洗練されたものであった。ギリシア以前の数学は、すべて帰納的推論を示している。すなわち、繰り返した観測で経験則を証明した。ギリシア数学は、対照的に、演繹法を使用した。ギリシア人は、定義および原理から結論を得る論理を使用した 。 ギリシア数学はタレス(紀元前624〜546年頃)とピタゴラス(紀元前582〜507年頃)が始めたと考えられる。影響範囲について異論はあるものの、彼らはエジプト、メソポタミア、および恐らくインドの知識に影響を受けた。伝説では、ピタゴラスはエジプトに旅行し、数学、幾何学、および天文学をエジプトの指導者から学んだと言われている。 タレスは、幾何学を使用して、ピラミッドの高さや岸から船までの距離を計算する等の問題を解決した。ピタゴラスの定理について、ピタゴラス以前からその主張には長い歴史があるものの、定理に最初の証明を与えたのが彼であるとの名声をもつ。エウクレイデス(ユークリッド)によるピタゴラスの論評において、プロクロスはピタゴラスが彼の名を冠する定理を述べ、幾何学的でなく代数学的にピタゴラス数を構成したと述べている。アカデメイアは、「幾何学に精通しない者はここに入るべからず」とのモットーを持っていた。 ピタゴラス学派は無理数の存在を発見した。エウドクソス(紀元前408〜355年頃)は、現在の積分法の先駆である、取り尽くし法を開発した。アリストテレス(紀元前384〜233年頃)は最初に論理学の法を書いた。エウクレイデスは今日の数学でも使用される形式である、定義、原理、定理、証明の最も初期の例である。彼はまた円錐曲線の研究も行った。彼の本、『ユークリッド原論』は、20世紀の中頃まで、西洋で教育を受けたものすべてに知られていた。ピタゴラスの定理などの幾何学のよく知られた定理に加えて、『ユークリッド原論』には2の平方根が無理数であることや素数が無限に存在することの証明が記述されている。素数の発見にはエラトステネスの篩(紀元前230年頃)が使用された。 ギリシア数学の、あるいは全時代の最も偉大な数学者は、シラクサのアルキメデス(紀元前287〜212年)であると言われている。プルタルコスによると、75歳のとき、地面に数式を書いている最中にローマの軍人に槍で刺されたとされている。古代ローマは純粋数学への関心の証拠をほとんど残していない。
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