ギリシアとローマの支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 06:34 UTC 版)
「シリアの歴史」の記事における「ギリシアとローマの支配」の解説
アケメネス朝ペルシアの支配は長く続いたが、アレクサンドロス大王率いるマケドニア王国の征服を受けると、急速にギリシア化が進んだ。紀元前322年のディアドコイ戦争でアレクサンドロス帝国は分裂し、紀元前301年にセレウコス朝が建国された。セレウコス朝はインドからイランをへてアナトリアにいたる広大な領土を持っていたが、紀元前200年ころからアルサケス朝、グレコ・バクトリア王国の侵食を受け縮小。さらにポエニ戦争にかかわったことから古代ローマ(共和政ローマ)とローマ・シリア戦争などで交戦状態となって衰退してゆき、紀元前64年にローマ帝国に併合された。 詳細は「シリア属州」を参照 ローマ帝国の支配下ではパルミラなど諸都市が大いに栄えた。ローマ帝国が東西に分裂するとシリアは東ローマ帝国の版図に入る。
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