ギリシアの植民地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:29 UTC 版)
発達した経済と良好な地理的自然的条件が、ミレトスのギリシア人をコルキスに引きつけて、紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけて、彼らはコルキスの沿岸部に交易の拠点として、ファシス、Gyenos、ディオスクリア(現スフミ)といった植民地を建設した。ギリシア人にとってのコルキスは、古代ギリシアのことわざにある「最遠の航海」の果てに辿り着く、ギリシア社会が知る最も東の、日のいずる場所と考えられた。コルキスはまた、アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の征服した土地の外側にあった。ファシスとディオスクリアはともに、少数の商人が寡頭政治を敷くギリシア人都市だった。表面上でも全体が同化する以前は、後背地からやって来たコルキス人による騒ぎが時々はあった。ペルシア帝国の崩壊後、エグリシ(Egrisi)という名で知られていたコルキスの重要な部分は、紀元前302年頃に生まれたばかりのイベリア王国(カルトリ王国)に併合された。しかしすぐに、コルキスはそれから離脱し、長(sceptuchi)によって統治されるいくつかの小さな公国に分裂した。それらはポントス王国のミトリダテス6世に征服されるまで、ある程度の自治を維持していた。
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