ギリシアによる統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/02 19:39 UTC 版)
アレクサンドロス大王の後継者(ディアドコイ)の1人、セレウコス1世ニカトール(紀元前306~281年)がセレウコス朝を興し、ティグリス川の西岸、オピスの12マイル(約19.2km)南西に 彼のメソポタミア地方の首都セレウキアを建設した。ヘレニズムの都市セレウキアは、すぐにメソポタミア地方の主要都市、例えばバビロンなどを凌駕するようになった。紀元前2世紀、パルティア王国がセレウキアとオピスを含む、セレウコス朝の東部地方を征服した。パルティア王国は、セレウキアとオピスと中間に首都(後のササン朝ペルシア帝国の首都にもなった)クテシフォンを建設した。クテシフォンの出現により、今度はセレウキアとオピスの影が薄くなっていくこととなったのである。
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