カーネル像の発見とは? わかりやすく解説

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カーネル像の発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:29 UTC 版)

カーネル・サンダースの呪い」の記事における「カーネル像の発見」の解説

2009年平成21年3月10日道頓堀川戎橋下流200 - 300メートル付近南側護岸から約5メートル水深約2メートル川底地点で、大阪市建設局による水辺整備事業一環として障害物調査不発弾有無確認最大目的とする)ならびに除去作業依頼され南海辰村建設潜水作業員を投入し磁気探査作業中に反応があった川底調査していたところ、1985年昭和60年)に投げ込まれとみられるカーネル・サンダースの上半身発見され台船クレーン引き揚げられた。 引き上げた作業員たちは、これを人間死体勘違いしたが、すぐにカーネル・サンダース像であることを確認した。像はヘドロまみれて灰色になり、眼鏡手首外れてしまっていたが、原形留めていた。翌3月11日にも潜水作業員が引き続き調査したところ、8時53分に右手、9時頃に下半身発見され引き揚げられ、1125分頃に前日見つかった上半身部分合体し、同じ像のものと確認された。 下半身右手発見後時点眼鏡両足首・左手紛失状態であり、付近入念に調査した発見可能性が薄い(水没中に破損もしくは流失したものと思料される)と判断されたため、同日捜索開始から50分後に作業打ち切りとなった発見された像について日本法人は、2009年平成21年3月時点で、他に行方不明の像は無く外形発見地点などの要素から当時投げ込まれた像に間違いない、とコメントしている。像の処遇について、元来所有権道頓堀にあったがすでに閉店しているため、日本法人引き継いだ形で大阪市協議していたが、同年3月11日日本法人へ像の返還決定し同年3月13日日本法人社長に引き渡された。 像は専門家にて検査最小限修復行い当面の間大阪市内にある警備会社金庫保管されることになった紛失状態の眼鏡は、投げ込まれ以前掛けていた同型フレーム1990年前後まで製造担当していた福井県鯖江市メーカー残存しており、鯖江市福井県眼鏡協会から日本法人贈呈された。 日本法人返還後の像について、この伝説を世に広めきっかけとなった2009年平成21年3月15日放送の「探偵!ナイトスクープ ザ・ゴールデン」に登場しその後甲子園球場内の店舗にて公開する構想2010年春完成予定甲子園歴史館展示する構想もあった。 1985年昭和60年当時阪神監督であった吉田義男は「人形見つかった聞き、『歴史終わったな』と感じた。」と語った

※この「カーネル像の発見」の解説は、「カーネル・サンダースの呪い」の解説の一部です。
「カーネル像の発見」を含む「カーネル・サンダースの呪い」の記事については、「カーネル・サンダースの呪い」の概要を参照ください。

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