カーネル時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 02:18 UTC 版)
『ニュー・ワールズ』第1号の巻頭作はモーリス・ヒュージ「The Mill of the Gods」で、ジョン・ラッセル・ファーンが3つのペンネームも用いて4作を提供し、ウィリアム・テンプルが「The Three Pylons」を掲載している。第2号には、ジョン・ウィンダムがJohn Beynonのペンネームで書いた「The Living Lie」、第3号にはA.C.クラーク「継承」が掲載された。金星移住者について描いたウィンダムの作品は1950年に『Other Worlds』誌で再掲載され、クラークの作品は『アスタウンディング・サイエンス・フィクション」に掲載された。 1954年からマクラーレン社は『ニュー・ワールズ』を主要雑誌とするように安定化を図り、この年から1960年までをマイク・シュリーは『ニュー・ワールズ』の黄金時代と述べる。カーネルはJ.G.バラードの処女作「脱出」を1956年12月号に掲載、1950年代のバラードの作品の多くは『ニュー・ワールズ』『サイエンス・ファンタジー』に掲載され、バラードはカーネルから自分の方法で書き続けるように助言されたと述べている。 カーネルはブライアン・オールディスの初期作品も多く掲載している。またジョン・ブラナーも『ニュー・ワールズ』1955年4月の「Visitors' Book」から頻繁に登場する。ジェームズ・ホワイトは1953年1月号の「Assisted Passage」で登場し、1957年からはエイリアンのための病院を扱った「セクター・ジェネラル」シリーズを開始した。ジョン・ウィンダムは『トリフィドの日』(1951)などですでにジャンル外でも知られていたが、1958年4月から宇宙家族Troonsシリーズを開始した。A.C.クラークはイギリスでの作品発表は少ないが、『ニュー・ワールズ』1958年11月号で「Who's There」を掲載している。コリン・カップは「異端エンジニア」シリーズを1959年10月から掲載。他に1950年代後半には、J.T.マッキントッシュ、ケネス・バルマー、E.C.タブなどが活躍した。 1950年代に行われた調査では、『ニュー・ワールズ』の女性読者は5〜15%、また年代別では19歳以下が1954年には5%、1958年位は18%、1963年には31%と、若い層において人気を持つようになった。またこの期間には、科学・技術職の読者が増加している。この時期の優れたアーティストとしては、ブライアン・ルイス、ゴードン・ハッチングス、ジェラード・クインがおり、彼らはヴァージル・フィンレイに近いスタイルと言われる。しかしカーネルは「ダイジェスト版雑誌と同じくらい時代遅れ」として1957年には挿絵を使うことをやめた。 マイク・アシュリーによると、『ニュー・ワールズ』は1960年代になると質の低下が始まり、それでもホワイト「セクター・ジェネラル」や、異星での無神論者と聖職者の衝突を描くハリイ・ハリスン「アシュケロンの通り」などの人気作が掲載されていた。バラードは通常の小説はアメリカの雑誌に売り、『ニュー・ワールズ』には実験的な作品を載せた。
※この「カーネル時代」の解説は、「ニュー・ワールズ」の解説の一部です。
「カーネル時代」を含む「ニュー・ワールズ」の記事については、「ニュー・ワールズ」の概要を参照ください。
- カーネル時代のページへのリンク