エンタテインメントの歴史
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「エルモンテ (カリフォルニア州)」の記事における「エンタテインメントの歴史」の解説
エルモンテはロサンゼルス市に本拠を置くKTLA-TVのバラエティ番組Hometown Jamboreeが生まれた所とされている。この番組は1950年代に実際にエルモンテのアメリカン・リージョン・スタジアムで制作された。土曜の夜に放映されたこのステージショーはカリフォルニア州でカントリーミュージックの普及に貢献したクリフィー・ストーンが司会と制作を行っていた。 1950年代、人種問題に関する不安定な雰囲気とロックンロールに対する敵対意識が融合し、警察の圧力でロックンロールはロサンゼルス市から締め出された。エルモンテ市の郊外にあるアメリカン・リージョン・スタジアムはジョニー・オーティスなどによる一連のロックンロール・コンサートの会場になった。ジョニー・オーティスはアラン・フリードやディック・クラーク等と共にロックンロールを育てる中心になった。この50年代に南カリフォルニア中の10代の若者が、毎週金曜日と土曜日の夜にお気に入りの出演者を見るためにアメリカン・リージョン・スタジアムに集まった。ここで公演した著名な歌手としては、リッチー・ヴァレンス、ロージー & ジ・オリジナルズ、ブレントン・ウッド、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、ザ・グレイトフル・デッド、ディック・デールとそのデル・トーンズおよびジョニー・"ギター"・ワトソン等がいた。ディスクジョッキーのアート・ラボーやハギー・ボーイが大いに宣伝したフライデイ・ナイト・ダンシズには1950年代後半と1960年代に人気のあった多くのレコードアーティストが出演して、このスタジアムの人気を高めた。このスタジアムはこの時代の10代の若者にとって「ハプニング」な場所とも呼ばれた。有線方式のテレビ放送では、1964年3月14日にビートルズやザ・ビーチボーイズが出演した。 エルモンテは長い間ロックンロールのヒット曲『Memories of El Monte』の中で知られている。この歌はフランク・ザッパが作曲し、最初は1950年代から地元で活躍しその後全国レベルになったドゥーワップ・グループのザ・ペンギンズが録音した。この歌はエルモンテのリージョン・スタジアムのことを歌っており、「Art Laboe's Memories of El Monte」など多くのアルバムで聞くことができる。このスタジアムは50年近く前に閉鎖されたが、この音楽は生き続けている。 エルモンテでは、レス・ポール・アンド・メアリ・フォードで有名になった歌手でギタリストのメアリー・フォードが生まれた所である。スキャットマン・ジョンと呼ばれたジョン・ラーキンもここの出身である。1960年代にカントリ・ジョー・アンド・ザ・フィッシュで演奏したグレッグ・マイアーズやジョー・マクドナルドもエルモンテで生まれた。チーチ&チョンのチーチ・マリンはエルモンテに居住していた。 1925年から1942年まで人気のあった場所がゲイズ・ライオンファームだった。ヨーロッパの引退したサーカススター、チャールズ・ゲイ夫妻がここを運営し、歴史家ジャック・バートンやその他多くの同時代人は「1920年代と1930年代のディズニーランド」と呼んだ。ゲイズは映画に使う野生動物を育て、200頭以上のアフリカライオンを飼っていた。1920年代と1930年代にエルモ・リンカーンやジョニー・ワイズミュラーが出演した映画『ターザン』などに多くのライオンが「出演」した。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーが作ったライオンの商標は、先ず「スラッツ」(1924年-1927年)で、その後似たような後継者「ジャッキー」で作られた。1925年、エルモンテ統合高校がそのスポーツチームに「ザ・ライオンズ」と名付け、ビッグゲームがあるときはゲイズがライオンのマスコットを提供した。戦争で食肉が不足したときはこのライオンファームも一時閉鎖された。そこが再開されることはなく、現在州間高速道路10号線に隣接して、バレー・ブールバードとペック道路の交差点南東角に実物大記念碑が置かれている。このファームのために発注された最初のライオン像は近くのエルモンテ高校の正面に置かれている。 競馬では最も有名なジョッキー、ウィリー・シューメーカーは、エルモンテ高校に通っていたが、近くの馬屋で働くことになって辞めた。著作家のジェイムズ・エルロイが短期間エルモンテに住んでいたが、1958年にその母のジュネバが殺された時に離れた。元野球選手フレッド・リンはエルモンテの住人だった。1962年、俳優で映画制作者のティモシー・ケーリーはそのアングラ映画「The World's Greatest Sinner」をエルモンテで撮影した。現代の著作家サルバドール・プラセンシアやマイケル・ジェイム・ベセラはどちらもエルモンテで育ち、その小説の中でエルモンテに言及している。60年代のテレビ番組に出た月毛の馬「ミスターエド」は1949年にエルモンテで生まれ、「バンブー・ハーベスター」と名付けられていた。アーティストが共同で運営する「マインドファンク」はエルモンテでライブスタジオを運営している。2000年以降、マインドファンクはアングラ都市マルチメディア作品を制作している。
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