エトワールとして
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「ドロテ・ジルベール」の記事における「エトワールとして」の解説
2007年11月19日、マニュエル・ルグリ(彼はオペラ座付属バレエ学校時代、ジルベールの父親の様な存在であった)との共演による、『くるみ割り人形』の公演終了後、24歳にしてエトワールに任命された。彼女の並外れたテクニックと、フランスのバレエ教育の長所を感じさせる踊りは称賛され、以後は定期的に国際的なガラにも招待された。その際、しばしば同年輩のエトワール、マチアス・エマンが行動を共にした。彼らは自分たちで海外公演のスケジュールを検討した上で、モナコや東京で『ジゼル』の公演を行った。 2009年5月、ジルベールはをオペラ座では初演となる、ジョン・クランコ振付『オネーギン』でタチアナを演じ、大成功をおさめる。2ヵ月後に、彼女はオペラ座のオーストラリア公演に参加し、『ラ・バヤデール』のガムザッティを演じた。同年12月には、イタリア・パレルモの劇場に招かれ、『眠れる森の美女』のオーロラ姫を演じる一方で、パリでは『くるみ割り人形』の公演も数回こなした。 2010年の初め、ジルベールは怪我をしたがすぐに回復し、3月のオペラ座の日本公演に参加。ジゼルのタイトルロールをつとめた他、『シンデレラ』の義姉役なども演じた。とりわけイタリアでの評価は高く、4月から7月にかけて、メッシーナ、サン・レモ、アックイ・テルメで『コッペリア』を演じた。7月にはピエール・ラコットの新作『三銃士』で、アンヌ王妃を演じた。数ヵ月後、モスクワとカナダ・トロントでのガラを挟んで、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに招かれ、アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル、マルセロ・ゴメスと『ドン・キホーテ』を踊った。また、同年5月には、『ラ・バヤデール』のニキヤを踊ったが、別の日の公演では当たり役のガムザッティを演じた。6月には『ドガの小さな踊り子』のタイトルロールを演じ、この模様は全ヨーロッパに生中継された。 オペラ座の2011/2012年シーズンの開幕公演で、元ボリショイ・バレエの芸術監督、アレクセイ・ラトマンスキーがオペラ座のために振付けた『プシューケー』を演じ、2011年10月にはベトナムのハノイで、『ライモンダ』の第3幕と、『ダイアナとアクティオン』のパ・ド・ドゥをステファン・ビュヨンと踊った。このシーズンは多忙を極め、パリでは『シンデレラ』と『オネーギン』の主役を演じた他、オペラ座のビアリッツでの巡業に参加し、さらにはサレルノ、オランダのアムステルダム、ギリシャのアテネにも招かれた。また、2012年1月から2月のオペラ座の東京公演の際には、バンジャマン・ペッシュ、イザベル・シアラヴォラ、フロリアン・マニュネらとともに、東日本大震災で被災した宮城県下のバレエ教室でレッスンを行い、ジルベールは石巻市を担当した。 2012/2013年シーズンを迎えて間もなく、ジルベールは『ラ・バヤデール』の収録中に怪我をする。回復後、オペラ座のアメリカ公演(ワシントン、シカゴ、ニューヨーク)に参加し、『ジゼル』に主演。9月にはローマ・オペラ座で、パトリス・バール振付『ロミオとジュリエット』に主演。さらにフランスのテレビ局・アルテの収録で『ドン・キホーテ』のキトリを踊り、2013年初めのオペラ座のシドニー公演では再び『ジゼル』を演じた。その後ロシア・マリインスキー劇場に招かれ、ウラジーミル・シクリャーロフと『ラ・バヤデール』の第二幕を踊った後、マチュー・ガニオと共演した『ラ・シルフィード』で、シーズンの締めくくりを飾った。同年7月、ジルベールはバレエ・シューズメーカー、「レペット」の最初の香水アドバイザーとなった 。 2018年、自身初となるワークアウトDVD「ドロテ・ジルベール/パリ・バレエ・フィット」を発売した。これは、常にベストなコンディションで舞台に立つために彼女が日頃実践しているワークアウトを基礎にして、誰もが家で気軽に取り組めるように作られている。
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