エトワールへの任命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/16 15:09 UTC 版)
「バンジャマン・ペッシュ」の記事における「エトワールへの任命」の解説
2005年の9月に、パリ・オペラ座バレエ団は北京と上海で公演を行った。そのうち上海での公演(9月22日)では、特別に『アルルの女』と『ジゼル』を1晩で上演するプログラムが組まれていた。当初ペッシュは『アルルの女』1公演のみに出演する予定であったが、北京でマニュエル・ルグリが負傷したために代役で全公演を踊ることになった。その後上海に移動したところ、『ジゼル』を踊る予定だったジョゼ・マルティネスも負傷し、ダンサーが不在の状態にまで至った。 そこで急遽、ペッシュが2つの作品を続けて踊ることになった。『ジゼル』のタイトル・ロールを踊ったオーレリー・デュポンとは初めて組んだが、リハーサルもなしで舞台本番に臨んだ。その後、20分の休憩のみを挟んで『アルルの女』を踊り抜いた。公演終了後、ペッシュはエトワールに任命され、芸術監督のブリジット・ルフェーヴル(英語版)から「エトワールにせずにいられないわ。素晴らしい舞台だったから」との賛辞を受けた。 ペッシュ自身は長期にわたってエトワールに任命されなかったことについて「長い間エトワールになるのを待ったことを後悔していません」と発言し「今までのダンス人生になんの後悔もないし、疑問に思ったこともありません」と続けた。別のインタビューでは「完全に解放されました」と言って、エトワール任命というプレッシャーから逃れたことを「いまはとても自由で、晴れ晴れとした気分です」と喜んでいた。
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