エトワールへの道
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「エレオノーラ・アバニャート」の記事における「エトワールへの道」の解説
アバニャートはプルミエール・ダンスーズへの昇進こそ早かったが、最高位のエトワールにたどり着くまでには13年の時間を要した。当時のパリ・オペラ座バレエ団芸術監督ブリジット・ルフェーヴル(英語版)により早い時期からエトワールの踊る役に多く配役されていて、周囲からも任命を期待されていた。パリ・オペラ座の舞台で踊ってみたい作品は沢山あったが、それらを踊るためにあまりにも長く待たされるのは嫌だということで、アバニャートはパリ・オペラ座以外の世界に目を向けるようになった。ルフェーヴルから外部で活動する許可が下りたため、アバニャートは故郷のイタリアなどで自由なキャリアを送ることができた。 この期間はアバニャートにとって難しい時期でもあった。パリ・オペラ座を長く離れているとエトワールに任命されないのではないかとの心配があったし、身体の維持は常に彼女の最大の関心事となっていた。アバニャート自身は、パリ・オペラ座を完全に離れることは考えていなかった。パリ・オペラ座では多くのコリオグラファーの新作を踊っていたし、ローラン・プティからは『若者と死』への出演を請われていた。アバニャートはエトワール任命直後に行われたインタビューで「あんなにも多彩なレパートリーがあって、世界有数のコリオグラファーたちと仕事することができて、あんなにも素晴らしい公演を行い、同じく素晴らしいレッスン場と教授陣を備えている劇場は他にはないと知っていましたから」とパリ・オペラ座の美点を語っていた。 アバニャートは長きにわたってエトワールに任命されなかったために、自身ではその地位への昇進を期待していなかった。彼女自身によれば、すでにパリ・オペラ座の中では自分の場所を確立していると思っていた。エトワールではないのに公演の初日を任されていて、実質的にはエトワールと同様の扱いであった。 2013年3月27日、アバニャートはニコラ・ル・リッシュをパートナーとして『カルメン』(ローラン・プティ振付)のタイトル・ロールを踊った。終演後、恩師のクロード・ベッシーや夫のフェデリコ・バルザレッティを始めとする家族が見守る中、アバニャートはエトワールに任命された。当初ルフェーヴルはアバニャートのエトワール任命を次のシーズン初めの『椿姫』(ジョン・ノイマイヤー振付)で考えていたという。実際には、『カルメン』を始めとするプティの多くの作品で共演したル・リッシュとの舞台での任命となった。アバニャートも「エトワールに任命されてまずローランのことを思いました。最後に『若者と死』を踊ったとき、彼は舞台を見ていて、『君がエトワールになるのをどれほど望んでいることか』と言葉をかけてくれました」とその喜びを語っていた。
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