アメリカ=ソ連間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 01:48 UTC 版)
詳細は「en:Moscow–Washington hotline」を参照 米ソホットライン(Moscow-Washington hotline、Washington-Moscow Direct Communications Link)は、アメリカ合衆国・ワシントンD.C.のホワイトハウスとソビエト連邦・モスクワのクレムリンとの間のホットラインである。キューバ危機の後の1963年8月30日に設けられた。 二大国家の首脳間で意志疎通を直接行うことで偶発的に戦争が発生しないようにという意図からであった。 これは第二次世界大戦中、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相が、直接、電話で対談した例に倣ったものである。技術的にはスペクトル分割混合方式による音声通信であり、大西洋海底電線を使った。 それ以前、キューバ危機が起きた1962年まで、米国とソ連の通信は6時間かかった。 通信の手順は以下の通りである(クレムリンからホワイトハウスへ送る場合は順序が全て逆になる)。 アメリカ合衆国国務省(ソ連外務省)がワシントン(モスクワ)の大使館と連絡 大使館で、書簡を最高度で暗号化 配達員(クーリエ)が、大使館に自転車で取りに来る 配達員が電報局に持ち帰る 電信電話局が相手国首都へ暗号文をテレタイプで打電 電信局が受信し外務省(国務省)に配達 外務省(国務省)で暗号電報を解読 クレムリン(ホワイトハウス)に配達 確実と思われる資料により、米ソホットラインが設置されてから、10年ほどの状況が分かっている。 ホットラインは専用線であり、米ソホットラインは北欧経由と北大西洋の海底ケーブルが使われた。予備回線が1本設けられたが、緊急時にはありとあらゆる回線が動員される予定であった。また、盗聴と偽通信を防ぐためにワンタイムパッドによる暗号化がされていた。 機械と暗号を準備したのは米国・アメリカ国家安全保障局(NSA)である。 音声ではなく、テレタイプによる文字通信(大文字と数字の)である。 実質的にはホワイトハウスとクレムリンのホットラインではあるが、技術的には米側の端末はアメリカ国防総省内にあり、専門の技術者と翻訳官が24時間365日待機しており、アメリカ合衆国大統領の通信をどこでも確実に行うための専門の部署が国防総省と大統領との通信を確保する。そのため大統領がどこに移動・旅行・避難しようと通信が維持される。理論上は国防総省が通信内容を左右できるが、そのような可能性は考慮外であり、現在に至るまでそのような疑惑が持ち上がったこともない。 月に1回程度、回線の状態を確認するための試験通信が交わされていた。 米側端末は2台あり(予備機の台数は不明)受信用のロシア語鍵盤のと、送信用の英語鍵盤である。お互いに自分の母国語で送信する。 大統領はウエストウイング1階の大統領執務室(オーバルオフィス)ではなく、地下の緊急対応室(シチュエーションルーム)で電話した。 この米ソ間のホットラインは、1967年の6月に起きた第三次中東戦争(六日戦争)の際に初めて利用された。この時は、開戦後まもなくモスクワから国防総省にかかってきたもので、時の大統領と首相であったジョンソン大統領とソ連のコスイギン首相が停戦に向け努力する旨を確認し合っている。
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