アメリカ空軍での採用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:07 UTC 版)
「F-4 (戦闘機)」の記事における「アメリカ空軍での採用」の解説
当初、F-4は艦上機として開発されたが、空海両軍での戦闘機の共用化によるコスト削減を目論むロバート・マクナマラ国防長官の方針もあって、空軍規格に改められた機体をF-110A「スペクター(Spector)」として採用した。1962年に3軍統一の機体命名法が施行されるとF-4Cに改めている。 空軍への採用の際の変更点は 主脚のタイヤを幅を広げた低圧タイヤに変更(幅を19.5㎝から29㎝へ変更) 後席のコンソールの設計変更と位置を低くして、後席での前方視界を確保 レーダーを、F-4Bで使用されているAN/APQ-72を改良したAN/APQ-100に変更 爆撃システムをAN/AJB-7全高度核爆撃制御システムとし、全高度での核爆撃を可能した 新たにAN/ASN48慣性航法装置(INS)を装備 空中給油装置をブローブ・アンド・ドローグからフライング・ブームに変更、胴体背部に受油口が取付けられた エンジンは、推力は変わらないものの、火薬カートリッジ・スターターを付けたJ79-GE-15に変更 主翼の折り畳み機構を手動に変更 アレスティングフックは着陸した際の非常時の事故に備えて残された F-4が当時のアメリカ空軍戦闘機に勝っていたのは、J-79エンジン双発の大パワーと、それに伴う機体規模の余裕であった。ただし全面的に優れていた訳ではなく、低空での速度性能や安定性では高翼面荷重の機体であるF-105に、レーダーや電子装備では全天候要撃機のF-106には劣っていた。しかしながら総合性能においては空軍機を凌駕する事を空軍側でも認めざるを得ず、採用に至った。ベトナム戦争が本格化する直前の1964年、F-4Cを受領した第555戦術戦闘飛行隊が那覇空軍基地の第51戦闘迎撃航空団に配備された。 後の視点から見ればF-4の最大の長所は、低空侵攻任務では欠点となった低翼面荷重であった。ミサイルキャリアーとして開発された機体であり、空戦性能向上を意図したものでなく、艦上戦闘機としての離着陸(艦)能力を確保するためのものであったが、副産物としてまずまずの格闘空戦性能を発揮した。当時の空軍機は要撃機および戦闘爆撃機が主体で、当時のミサイル万能論の影響もあり、空戦性能を軽視していた。結果としてF-4はベトナム戦争において、その空戦性能で活躍する事になる。 また、アメリカ空軍は当初海軍に提案されていたF-4の偵察型をF-4Cの機首を改造した戦術偵察機RF-4Cとして導入した。アメリカ海兵隊でもF-4B/Jを戦術偵察機に改造したRF-4Bを導入した。これに対してアメリカ海軍はRF-4を採用せず、RF-8やRA-5、その後継として偵察ポッドを装備したF-14を用いて偵察を行なった。
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