アメリカにおける歴史
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クリ胴枯れ病は1900年ごろにクリ材やクリの木にまぎれて北米に偶然にもたらされたと考えられている。1905年にこの病気を研究していたアメリカの菌類学者William Murrillは病原菌を分離した。 クリ胴枯れ病菌のアジア産のクリへの感染は1904年にニューヨーク州ロングアイランド(Long Island)で確認された。アメリカ北部に分布していた40年生に満たない40億本近い健全なクリが壊滅的な被害を受けた。カリフォルニア州や太平洋岸北西部(Pacific northwest)に少数の集団が残るのみである。この病気のために、アメリカグリ材は10年間で市場から姿を消した。だが、まだ再生材(Reclaimed lumber)として手に入れることは可能である。現在残っている木は根元や根を菌に抵抗性のある台木を使用している。たくさんのアメリカグリの稚樹がまだ生き残っている。。平行して病気に免疫のあるアジアのクリからの必要最小限の遺伝子の導入も行われた。このような努力は1930年代に始まり、クリの木を国に取り戻すためにマサチューセッツ州をはじめ全米各地で今も続いている。1940年までにはアメリカクリの成木はこの病気の蔓延でほとんど絶滅状態となった。 アパラチア山脈(Appalachian Mountains)の周辺では雑多な広葉樹4本に対してアメリカグリ1本が同等の価値と評価されていた。成木は真っ直ぐな幹で枝下高15m(30mに達するものも時々見られた)で、樹高は60m、胸高直径40㎝に達した。菌による胴枯病は40億本ものアメリカグリを枯死させ、東海岸ではまたたく間にその数を減らした。アメリカグリの一種チンカピングリ(Castanea pumila)は特に胴枯病に感受性が強い。ヨーロッパグリや西アジアのクリも感受性が強いがアメリカ産のものほどではない。病気に抵抗性を持つものはニホングリ(Castanea crenata)やシナグリ(Castanea mollissima)などの抵抗性品種はアメリカ産品種と掛け合わせて病気抵抗性品種を生み出すために使われている。 アメリカグリ財団(The American Chestnut Foundation)では抵抗性を得たクリについて、21世紀初頭にも元々の分布域に再導入することを計画している。
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アメリカにおける歴史
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ピザは19世紀後半にイタリア移民によってアメリカ合衆国にもたらされ、イタリア移民が多かったサンフランシスコ、シカゴ、ニューヨーク、フィラデルフィアなどで広まった。19世紀後半のシカゴでは、頭の上にピザを置いた金属のトレーを乗せ、1つ2セントで売られていた。 アメリカ初のピザ専門店に関してはいろいろな説がある。有力なのは、マンハッタンのリトル・イタリーにある、ジェンナーロ・ロンバルディー (Gennaro Lombardi) の店である。ジェンナーロは1897年に雑貨店を開き、1905年にはニューヨーク州発行の商業許可証を得てピザ専門店ロンバルディーズ (Lombardi's) を開いた。調理師は従業員のアントニオ・トトノ・ペロで、価格はすべて5セントだった。5セントさえ出すことができない客が多かったため、そういう客には出せる金額に応じた量を売っていた。1924年にトトノはロンバルディーズを辞め、コニーアイランドで自分の店トトノス (Totonno's) を開いた。なお、ロンバルディーの最初の店は1984年に一度閉店し、1994年に同じ通りでロンバルディーの孫が再開している。 ニュージャージー州でピザが売られたのも早い。1910年、ジョーズ・トマトパイ (Joe's Tomato Pies) という店が開かれ、1912年にはパパス・トマトパイ (Papa's Tomato Pies) が開かれた。1936年、パパスと同じ一族がデ・ロレンツォス・トマトパイ (De Lorenzo's Tomato Pies) がオープンした。まもなくジョーズは閉店し、パパスとロレンツォスが人気のピザ屋となった。 コネチカット州ニューヘイブンのフランク・ペペがピザリア・ナポレターナ (en) は1925年にオープンし、ニューヘイブンスタイル (en) と呼ばれるクラムパイを販売した。1938年、フランク・ペペの甥サル・コンシグリオが同じブロックの反対方向にサリーズ・アピザ (Sally's Apizza) を開いた。この両店とも、現在でも創業者の一族が経営している。1939年、ダモーレ家がロサンゼルスにピザ店を開いた。 1940年代までは、ピザを食べるのはほとんどイタリア系住民に限られていた。第二次大戦後、イタリアに駐留しているアメリカ軍兵士が地元のピザを食べ、一般のアメリカ人にもピザが広がった。
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