アフリカ装甲軍が「大釜陣地」を形成し戦いの主導権を握る
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「ガザラの戦い」の記事における「アフリカ装甲軍が「大釜陣地」を形成し戦いの主導権を握る」の解説
大規模な地雷原とイギリス軍の頑強な抵抗、さらには補給物資も途切れ、ロンメルは罠にはまったような危機的な状況にあった。しかし、5月29日の早い時間に、補給物資を積んだ車両がイタリア軍のトリエステ、アリエテ両師団に守られながら激しい砲火の下をビル・ハケイムの北の地雷原を突破し、包囲されていた枢軸国軍へ補給物資を届け、ロンメルは冷静さを取り戻すことができた。5月30日には、ロンメルは地雷原の東側の現在位置を橋頭堡とするために、イタリア第10軍団が地雷原の西側から補給路を通す動きと連動し、これまでとは逆方向の西に向かって攻撃を開始した。次の2日間にわたり行われた西への攻撃により、シディ・ムフタハ (Sidi Muftah) のボックス陣地にあったイギリス第50(ノーサンブリア)歩兵師団の第150歩兵旅団を撃破し、地雷原に2本の作戦開始地点と直接結ぶ通路を通し、連合国軍の戦線を2分した。 6月1日の夜、ロンメルは第90軽師団及びトリエステ師団を攻撃部隊として、南方の物資補給路の障害となっているビル・ハケイムに対する攻撃を再開した。再度の攻撃は失敗し、ビル・ハケイムの自由フランス第1旅団はさらに10日間も戦闘を続け持ちこたえた。 ロンメルの兵站の状況が絶望的であったことを知らずに、ドイツ軍装甲部隊の受けた損害を過度に楽観的な情報を基にして評価し、中東方面軍総司令官オーキンレックは第8軍司令官のリッチーに対し、ドイツ軍装甲部隊が存在していない海岸線に沿ってトミミ、メキリ (Mechili) 間を突破する反攻を行うよう強く促した。しかし、リッチーはトブルクが危険にさらされることを懸念し、エル・アデムの陣地に援軍を送り込み地雷原にできた通路に対抗する防御のためのボックス陣地を築くことに集中していた。 6月5日、イギリス第8軍はようやく反撃を開始したものの、ドイツ軍に準備日数を与えてしまっており、また戦線の北側イギリス第13軍団でも何の進展も無かった。イギリス第7機甲師団及びインド第5歩兵師団のドイツ軍大釜陣地の東側面への攻撃は6月5日 02:50 に開始され、計画の初期目標である比較的安全な歩兵部隊の予備的な攻撃は順調に進んだ。しかし、さらに西側の枢軸国軍主力の防御陣地に対する第22機甲旅団の攻撃は激しい砲撃に遭い前進が阻まれた。夜明けには第32陸軍戦車旅団が北から攻撃に加わったものの、また激しい砲撃の中に突入することになり、これにより70輌の戦車のうち50輌に損害を出してしまった。 6月5日の早い時間に、ロンメルは東側へアリエテ師団と第21装甲師団を攻撃に当たらせ、北のナイツブリッジのボックス陣地に対し第15装甲師団の一部部隊を攻撃に向かわせることとした。ドイツ軍の東へ向けた攻撃を受けたビル・エル・ハルマト (Bir el Harmat) にはイギリス軍2個師団の戦術司令部とインド第9、第10歩兵旅団の司令部及びその他の小部隊が散在していた。イギリス第22機甲旅団は156輌の戦車のうち60輌を喪失し、さらにドイツ第15装甲師団の攻撃を受け戦場から撤退した。連合国軍の攻撃部隊のうち、3個インド歩兵大隊、1個偵察連隊及び4個砲兵連隊が大釜地区にとり残された。機甲部隊の支援を受けられなくなったこれらの部隊は、6月6日圧倒的な攻撃に直面し、一つずつ殲滅されていった。 ロンメルは主導権を握り続け、大釜陣地を強化し、多くの敵の防衛拠点に攻撃を行った。6月6日から8日の間、ビル・ハケイムに対し一斉に攻撃を開始し、その防御陣地は縮小したものの、フランス軍守備隊は抵抗を続けその正確な砲撃によりドイツ軍に多くの損害を与え、第7自動車化旅団及びインド第29歩兵旅団の部隊の支援を受け敵の連絡を妨害し続けた。枢軸国軍はさらに戦闘部隊を増強し、6月9日に再び攻撃を開始し、6月10日ついに防御陣地深くに突入した。この時点で自由フランス軍陣地は守りきれなくなってきており、リッチーは彼らに夕方には撤退するよう命令した。囲まれてはいたものの、ケーニグ将軍は枢軸国軍の配備に撤退できる隙間を発見し、第7自動車化旅団から約5マイル (8.0 km)西の輸送のための集結地点へ逃れた。元の守備隊員 3,600名のうち負傷者 200名を含む約 2,700名がビル・ハケイムから脱出した。6月11日に第90軽師団が占領したときには、500名の自由フランス軍将兵が捕虜となり、その多くは移動に耐えない負傷者だった。
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