アフリカ装甲軍が「大釜陣地」を形成し戦いの主導権を握るとは? わかりやすく解説

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アフリカ装甲軍が「大釜陣地」を形成し戦いの主導権を握る

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:08 UTC 版)

ガザラの戦い」の記事における「アフリカ装甲軍が「大釜陣地」を形成し戦いの主導権を握る」の解説

大規模な地雷原イギリス軍頑強な抵抗さらには補給物資途切れロンメルは罠にはまったような危機的な状況にあった。しかし、5月29日早い時間に、補給物資積んだ車両イタリア軍トリエステアリエテ師団守られながら激し砲火の下をビル・ハケイムの北の地雷原突破し包囲されていた枢軸国軍補給物資届けロンメル冷静さ取り戻すことができた。5月30日には、ロンメル地雷原東側現在位置橋頭堡とするために、イタリア第10軍団地雷原西側から補給路を通す動き連動しこれまでとは逆方向の西に向かって攻撃開始した次の2日間にわたり行われた西へ攻撃により、シディ・ムフタハ (Sidi Muftah) のボックス陣地にあったイギリス50(ノーサンブリア)歩兵師団の第150歩兵旅団撃破し地雷原に2本の作戦開始地点直接結ぶ通路通し連合国軍戦線を2分した。 6月1日の夜、ロンメルは第90軽師団及びトリエステ師団攻撃部隊として、南方物資補給路の障害となっているビル・ハケイムに対す攻撃再開した再度攻撃失敗し、ビル・ハケイムの自由フランス第1旅団はさらに10日間も戦闘続け持ちこたえたロンメル兵站状況絶望的であったことを知らずに、ドイツ軍装甲部隊受けた損害過度に楽観的な情報を基にして評価し中東方面軍総司令官オーキンレックは第8軍司令官リッチー対しドイツ軍装甲部隊存在していない海岸線沿ってトミミ、メキリ (Mechili) 間を突破する反攻を行うよう強く促した。しかし、リッチートブルク危険にさらされることを懸念し、エル・アデムの陣地援軍送り込み地雷原にできた通路対抗する防御のためのボックス陣地を築くことに集中していた。 6月5日イギリス第8軍はようやく反撃開始したものの、ドイツ軍準備日数与えてしまっており、また戦線北側イギリス第13軍団でも何の進展無かったイギリス第7機甲師団及びインド第5歩兵師団ドイツ軍大釜陣地東側面への攻撃6月5日 02:50開始され計画初期目標である比較安全な歩兵部隊予備的な攻撃順調に進んだ。しかし、さらに西側枢軸国軍主力防御陣地対する第22機甲旅団攻撃激し砲撃遭い前進阻まれた。夜明けには第32陸軍戦車旅団北から攻撃加わったものの、また激し砲撃中に突入することになり、これにより70輌の戦車のうち50輌に損害出してしまった。 6月5日早い時間に、ロンメル東側アリエテ師団と第21装甲師団攻撃に当たらせ、北のナイツブリッジボックス陣地対し15装甲師団一部部隊攻撃向かわせることとした。ドイツ軍東へ向けた攻撃受けたビル・エル・ハルマト (Bir el Harmat) にはイギリス軍2個師団戦術司令部インド第9、第10歩兵旅団司令部及びその他の小部隊が散在していた。イギリス22機甲旅団156輌の戦車のうち60輌を喪失し、さらにドイツ15装甲師団攻撃を受け戦場から撤退した連合国軍攻撃部隊のうち、3個インド歩兵大隊、1個偵察連隊及び4個砲兵連隊大釜地区にとり残された。機甲部隊支援受けられなくなったこれらの部隊は、6月6日圧倒的な攻撃直面し一つずつ殲滅されていったロンメル主導権握り続け大釜陣地強化し多くの敵の防衛拠点攻撃行った6月6日から8日の間、ビル・ハケイムに対し一斉に攻撃開始し、その防御陣地縮小したものの、フランス軍守備隊抵抗続けその正確な砲撃によりドイツ軍多く損害与え、第7自動車化旅団及びインド29歩兵旅団部隊支援を受け敵の連絡妨害し続けた枢軸国軍はさらに戦闘部隊増強し6月9日に再び攻撃開始し6月10日ついに防御陣地深く突入した。この時点自由フランス軍陣地守りきれなくなってきており、リッチーは彼らに夕方には撤退するよう命令した囲まれてはいたものの、ケーニグ将軍枢軸国軍配備撤退できる隙間発見し、第7自動車化旅団から約5マイル (8.0 km)西の輸送のための集結地点逃れた。元の守備隊員 3,600名のうち負傷者 200名を含む約 2,700名がビル・ハケイムから脱出した6月11日に第90軽師団占領したときには500名の自由フランス軍将兵捕虜となり、その多く移動に耐えない負傷者だった。

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