アフリカ諸国における部族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 09:40 UTC 版)
アフリカにおいて部族とされた、あるいは部族とされている人々はどのようなまとまりを押し付けられたり、構築したりしているのかを事例をあげて説明する。 現在人類学者が理解しているアフリカの民族の最も重要で基本的な社会的な単位は、土地を共有し、具体的な血縁関係が把握される血縁集団(リネージュ)である。植民地支配以前、移動も戦闘もこうした集団を単位として行われ、人々は合従連衡を繰り返しながら生活してきた。現在の部族、あるいは民族集団という単位は、このような血縁集団同士が自発的に集合して民族集団として組織された集団と、ヨーロッパ諸国によって植民地に組み込まれる際に、土地の支配権の譲渡の契約を交わすためや分断間接統治を行うために、本来はまとまっていなかった複数の血縁集団を一つのものとして仮構された集団がある。植民地政府は場合によっては、まとまりを捏造してその代表としての首長を作り出したことも知られている。王国や首長制度をしいていた地域では、被支配階級の人々が異なる言語を話していたとしてもひとまとまりの部族であるとしたり、逆にツチとフツのようにほとんど違いがないにもかかわらず、比較的牧畜に重きを置いていた人々をツチ族とし、支配階級という形で分断した場合もあった。 一方で植民地支配が開始された以降もアフリカ人は押し付けられた部族という枠組みをそのまま受け継いでいるわけではない。間接統治は人々を「部族」の「ホームランド」に縛り付け、移動を制限し、「首長」を介して労働力を徴収するシステムであったが、人々はそれに縛られることなく、場合によっては移動し、先住者のいるところに居候し、移住先で新たな氏族を誕生させることもあった(アバメニャ・システム)。このような居候や漂流者を媒介にしてつくられた同盟関係は“氏族”単位での結びつきを生み、民族同士の全面対立につながらないネットワークを生み出す源泉となっている。
※この「アフリカ諸国における部族」の解説は、「部族」の解説の一部です。
「アフリカ諸国における部族」を含む「部族」の記事については、「部族」の概要を参照ください。
- アフリカ諸国における部族のページへのリンク