アフリカ統一機構の役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 03:38 UTC 版)
「ポルトガルの植民地戦争」の記事における「アフリカ統一機構の役割」の解説
1963年5月に設立されたアフリカ統一機構(OAU)は、その第一目的をアフリカの国家間の協力と、アフリカ人同士の結束を高めることに置いていた。また、もうひとつの重要な目的として、アフリカにおける植民地主義の根絶を目指していた。OAUは国連の安全保障理事会に、ポルトガル植民地が置かれている状況を訴えた。OAUはダルエスサラームにてアフリカの解放組織を支援する委員会を立ち上げ、これにはエチオピア、アルジェリア、ウガンダ、エジプト、タンザニア、ザイール、ギニア、セネガル、ナイジェリアが参加した。委員会の支援として、軍事訓練と武器の供給が行われた。またOAUはFNLAによって組織された、アンゴラ亡命革命政府(GRAE)の正統性を世界に発信する活動も行った。これらの支援は、1967年からMPLAとその指導者アゴスティニョ・ネトにも行われ、1972年11月には、両組織が統合を行えるよう、承認を行った。1964年、OAUはPAIGCをギニアビサウおよびカボ・ベルデの代表国として承認し、1965年にはFRELIMOをモザンビークとして承認している。
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