アカデミー賞受賞とその後の活躍
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「ジェームズ・キャグニー」の記事における「アカデミー賞受賞とその後の活躍」の解説
1942年にキャグニーは、「ブロードウェイの父」と呼ばれた作曲家兼俳優の興行師ジョージ・M・コーハンの伝記映画『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』に出演する。当初製作側のワーナーは、この役にフレッド・アステアを考えていたようだが、キャグニーはワーナーを説得してこの役を得、見事なダンスと歌を披露した。第一次世界大戦中の愛国心とアメリカン・スピリットを賞賛したこの映画は、第二次世界大戦中の世相とマッチして興行的にも大ヒットを記録しただけでなく、キャグニーに最初で最後のアカデミー主演男優賞とニューヨーク批評家協会の男優賞をもたらす事となった。 彼はこの映画を後の自伝で「最も好きな映画だった」(中でも、映画後半にホワイトハウスの階段を、タップを踏んで下りてくるシーンが一番のお気に入り)と語っており、ギャングスターとして名を馳せた彼自身がその自伝では自らを『Song & Dance man』と称している。 その後は演技派俳優としても活躍するようになる。ラオール・ウォルシュ監督の『白熱』(1949年)では、マザーコンプレックスで異常性格者の凶悪なギャングを演じたが、母親を仲間に殺され復讐のために脱獄し、ついには石油タンクに火を放って爆死するに至るまでの狂気すれすれな演技が観客を魅了する一方、その暴力描写の凄まじさは議論をよんだ。ただしキャグニー自身はこの作品の演技に満足できず、翌1950年の同種なギャング映画『明日に別れの接吻を』を最後に、ギャング映画から遠ざかる事になった。 その後のキャグニーのギャング演技としては、1920年代の大歌手ルース・エッティングの出世時代を描いた『情欲の悪魔』(1955年)で、愛人のルースを芸能界に売り込むため手練手管を繰り出した実在のギャング、マーティ・スナイダー役が挙げられる。ドリス・デイが演じたルースに執着するキャグニーの演技もまた強烈な執念を感じさせるもので、当時存命であったスナイダー本人からも賞賛されたという。 1950年代には他にも、軍隊物映画の『ミスタア・ロバーツ』『栄光何するものぞ』、怪奇映画の先駆的俳優ロン・チェイニーの伝記映画『千の顔を持つ男』など、多彩な作品で、主演・助演の別なく印象的な演技を見せた。 最後の映画主演は、ビリー・ワイルダー監督の風刺コメディ『ワン、ツー、スリー』(1961年)で、当時冷戦最前線の西ベルリンを舞台に、コカ・コーラ社社長令嬢が社会主義者のドイツ青年と恋に落ちたことで騒動に振り回されるコカ・コーラ西ベルリン支店長をコミカルに演じた。ワイルダーは撮影中、キャグニーが簡単な説明だけで監督の演出意図を素速く理解し、常に的確な演技を見せたことで、そのプロフェッショナルぶりに感嘆させられたことを、自叙伝で語っている。 1967年に『アリゾナの勇者』のナレーションを最後に引退を発表。その後は『ラグタイム』に特別出演して警察署長を演じた以外は、故郷ニューヨークのスタンフォードビルで50年以上連れ添った妻とともに悠々自適の生活を送っていた。1986年3月30日心臓発作のため死去。86歳。
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