みな子
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みな子(みなこ、1919年〈大正8年〉11月20日 - 2010年〈平成22年〉5月31日[1])は、日本の芸妓。本名、長尾 みつ(ながお みつ)[1]。昭和初期から平成期まで、約80年にわたって芸妓としての活動を続けた[1][2]。戦後も舞台やイベントでも活躍して、90歳で死去するまで生涯現役を貫き[3]、吉原の文化と芸を世の中に伝え続けたことで、「最後の吉原芸者」と呼ばれた[4]。吉原の伝統芸の継承にも熱心で、晩年は後進の育成や座敷芸の映像保存にも力を注いだ[5]。没後は晩年の5年間の活動を記録したドキュメンタリー映画『最後の吉原芸者 四代目みな子姐さん』が公開され、日本国内外で好評を得た[6][7]。
注釈
出典
- ^ a b c d e 日外アソシエーツ 2010, p. 785
- ^ a b c d e 土方慎二・半田真由子「お座敷の花 誇り高く「吉原芸者」みな子さん死去 遺族らしのぶ」『読売新聞』読売新聞社、2010年6月2日、東京朝刊、25面。
- ^ a b c d e f g 村上智博「「最後の吉原芸者」みな子さん、90歳で逝く」『産経新聞』産業経済新聞社、2010年6月12日、東京朝刊、15面。
- ^ a b c d e f 浅原 2016, pp. 98–101
- ^ a b c 「訃報 みな子姐さん 90歳 最後の吉原芸者」『毎日新聞』毎日新聞社、2010年6月1日、東京朝刊、25面。
- ^ 白江 2016, pp. 242–244
- ^ “最後の吉原芸者 四代目みな子姐さん -吉原最後の証言記録-”. シネマトゥデイ (2013年7月27日). 2020年9月19日閲覧。
- ^ a b c 白江 2016, pp. 245–247
- ^ a b c d e f g h 小泉公平「下町新事情 曲がり角の大衆文化 花柳界」『産経新聞』、1996年5月30日、東京朝刊、22面。
- ^ a b c d e 安原 2007, pp. 60–65
- ^ みな子 2009, p. 67.
- ^ a b 田中啓介「人生の贈りもの 吉原芸者・みな子 150円で7年間の年季奉公」『朝日新聞』朝日新聞社、2008年2月25日、東京夕刊、15面。
- ^ a b c d e f g 森かおり「地名探訪 浅草新吉原 栄華極めた文化の拠点」『読売新聞』、2005年3月23日、33面。
- ^ a b c 「著者は語る 芸者・みな子さん『華より花』」『日本工業新聞』日本工業新聞社、2009年4月27日、14面。
- ^ a b 田中啓介「人生の贈りもの 吉原芸者・みな子 横綱はふんどしかぶって」『朝日新聞』、2008年2月27日、東京夕刊、13面。
- ^ a b c 隈元浩彦「人生は夕方から楽しくなる 最後の吉原芸者、みな子姐さん」『毎日新聞』、2009年6月13日、東京夕刊、3面。
- ^ 田中啓介「人生の贈りもの 吉原芸者・みな子 よその花魁に袖引かれて」『朝日新聞』、2008年2月28日、東京夕刊、10面。
- ^ a b c d e 白江 2016, pp. 250–253
- ^ a b c d 田中啓介「人生の贈りもの 吉原芸者・みな子「美人薄命」、だからね」『朝日新聞』、2008年2月29日、東京夕刊、16面。
- ^ 「「最後の吉原芸者」みな子さん死去」『中日新聞』中日新聞社、2010年6月1日、朝刊、27面。
- ^ a b c 丹治早智子「吉原最後の現役芸者 みな子姐さん死去 誇りと伝統受け継ぐ 各地で華やかな芸を披露」『中日新聞』、2010年6月1日、都心部朝刊、22面。
- ^ 丹治早智子「みやこ新聞 第218号 毎週火曜日 金曜日掲載 粋に“魅せます” 木遣りの技を 古今亭志ん朝師匠の遺志継ぎ 女性芸人が『大江戸小粋組』 永六輔さん 応援団長に 来月29日 旗揚げ公演」『中日新聞』、2005年2月18日、朝刊、24面。
- ^ a b c 丹治早智子「吉原最後の芸者 みな子姐さん告別式 天国のお座敷へ旅立ち」『中日新聞』、2010年6月5日、朝刊、22面。
- ^ a b c d 「花街の息づかい、文化… 吉原芸者 最後の記録 大学講師が短編映画に」『読売新聞』、2013年5月1日、東京朝刊、25面。
- ^ 宮本茂頼「メガロポリス 街ひと ぶらり吉原、文化散歩 街おこし、でも「性風俗の街」の壁」『朝日新聞』、2007年12月3日、東京夕刊、14面。
- ^ 神田紅「暮れない日記 神田紅 其ノ36 江戸ブーム」『産経新聞』、2006年12月3日、東京朝刊、20面。
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