ぷろふいる
1933年(昭8)5月創刊。京都のぷろふいる社発行。経営者は京都の老舗呉服商の若主人、熊谷晃一。氏は京都の老舗百貨店、藤井大丸の分家の長男でもある。
はじめは西田政治や山本禾太郎、山下利三郎など、東京の「新青年」に対抗すべく、京阪神在住作家の同人誌的性格が強かったが、1933年(昭8)に経営者熊谷晃一の親戚であり、東京在住の堀場慶三郎が東京支局を開設し、東京の作家たちも執筆をするようになり、しだいに全国に展開する。当時は「新青年」が探偵小説に力を入れていなかったこともあり、部数を伸ばしたが、ついに営業雑誌まで成長することはなかった。
創作や評論に力を入れ、特に海外作品を論じた井上良夫の評論「英米探偵小説のプロフィル」など見るべきものが多い。また、「シュピオ」とともに、探偵小説と芸術を巡る甲賀三郎、木々高太郎の論争の舞台のひとつになった。本誌によって登場した作家には、蒼井雄や西尾正がいる。翻訳も長編を掲載するなど、力を入れていた。しかし、クイーンの「フランス白粉の謎」を「飾窓の秘密」の題で、馬場重次の訳により掲載したが、五分の一に満たない抄訳で、しかも犯人が違っているという事件を起こした。
戦前の雑誌のなかでは「新青年」を除いては、最も寿命が長い。
1937年(昭12)4月に休刊し、「探偵倶楽部」と改題するはずだったが、経営者の熊谷晃一の株売買が失敗し、休刊した。全48冊発行。
その後、1946年(昭21)7月から季刊雑誌として復活。創作は再録と編集者である九鬼澹の新作ぐらいで、随筆欄が豊富だったが、戦後の出版界の動乱期に関西の小冊子では太刀打ちできず、長続きしなかった。第二次「ぷろふいる」は1947年(昭22)12月まで続き、1948年(昭23)から「仮面」と改題し、また、別会社から「小説」を発刊した。
ぷろふいる
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『ぷろふいる』は、日本の探偵小説専門誌。1933年に京都で創刊された。1933年5月号から1937年4月号まで、4年間で全48冊刊行。発行はぷろふいる社。
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