関辺のさんじもさ踊とは? わかりやすく解説

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関辺のさんじもさ踊

名称: 関辺のさんじもさ踊
ふりがな せきべのさんじもさおどり
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 白河天道念仏さんじもさ踊保存会
選択年月日 1998.12.01(平成10.12.01)
都道府県(列記): 福島県
市区町村(列記): 白河市関辺
代表都道府県 福島県
備考
解説文:  関辺のさんじもさ踊は、地元天道念仏とも呼ばれ踊り手は、中央赤く太陽描いた扇を持って踊るもので、天道、つまり太陽豊作を祈る天道念仏踊の一つである。
 関辺踊りは「さんじもさ踊」と「さんじもさ音頭」があり、そのほか太鼓連打関係者胴上げなどが行われる。
 この民俗芸能全体の名称にもなっている「さんじもさ踊」は、肩から太鼓を膝のあたりまで吊り下げた二名太鼓打ちが、踊りの場の中央作られた「お棚」を挟んで互いに向き合い踊り手は、その周囲大きく取り囲んで輪になる右手太陽描いた扇を開いて持った踊り手は、太鼓連打合図に、歌いながら右廻り踊り進む。各歌詞には「サンジモサ」という言葉が、調子よくついている。この踊りが終わるとの上の餅などをおろしてしまう。
 次の「さんじもさ音頭」は、単に「音頭」とも呼ばれ太鼓打ち太鼓を脇に抱えて踊り手の輪に加わる。踊り手は扇を閉じて右手持ち歌いながら右廻り踊っていく。踊り区切り太鼓連打されると、踊り手いっせいに取り付いて揺する三度目には、引き抜いて、脇に運んで音頭が終わる。その後短く「さんじもさ踊」を踊る。
 次に踊り手周囲下がって見守るなかで、二名太鼓打ち向かい合い、膝前に下げた太鼓を、ほとんど接するほどに近づけ、速いテンボ太鼓を打つ。
 その後踊り手太鼓打ち関係者加わって輪になり、三度の手打ち行い、さらに関係者胴上げして一連の次第が終わる。
 この「さんじもさ踊り」は、旧暦六月一日前後休日に、地区八幡神社境内行われる踊り手は、一週間前の夜から毎夜練習始め前夜には神社参道に近い地区集会所集まり一通り練習した後、注連縄作りなど、翌日準備しながら集会所に籠もる。当日になると、踊り手は、ミズナラの木やクマザサなどを集め踊りの場の中央に「お棚」を作る。これは、四本ミズナラの木を、二メートルほどの高さになるように立てて支柱にし、その上部に横木渡して供物などを置く作りクマザサ注連縄飾ったのである
 踊り手以外の地域関係者は、境内清掃の上に飾る三組の三つ重ねの餅の製作、踊り手が持つ白扇中央朱色太陽描き、その左右に天と祭の二文字書いた扇を用意し午後踊り備える。
 関辺のさんじもさ踊の現在の歌詞には、念仏うかがわせる言葉はないが、これは明治維新のときに置き換えたためで、「さんじもさ音頭」は本来は念仏踊であった伝えられている。
 江戸時代白河藩領内では、各地で、降りすぎた止めるため「天道念仏が行われ、また八月の盆のころに、「さんせむさー」と歌い出される歌にのせ、鉦や太鼓、笛等で囃し踊る「念仏おどり」が行われていた記録(『奥州白川風俗問状答』文化十四年〈一八一七〉)があり、そのころ以前からの伝承であることをうかがわせている。
 白河市内および隣接西郷村でも、ほとんど各集落ごとに、天道念仏が行われていたが、明治以降徐々に行われなくなり、現在では確実な伝承は、この関辺のさんじもさ踊と西郷村の上羽太天道念仏踊だけとなっている。
 関辺のさんじもさ踊は、関東中心に伝承確認される天道念仏のなかで、芸能中心とした伝承一つとして貴重で、芸能変遷過程および地域的特色示している。



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