この法度の分析とは? わかりやすく解説

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この法度の分析

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 09:46 UTC 版)

禁中並公家諸法度」の記事における「この法度の分析」の解説

第一条条文鎌倉時代順徳天皇記した有職故実書禁秘抄』に書かれている文章抜粋である。これについて橋本政宣第一条にこれに関白連署し公家法としての要件を得る事によってこの法度実際制定権力である江戸幕府への「大政委任」の法的根拠与えた解説する橋本分析によると、武家伝奏位置付けなど朝幕関係のあり方規定し幕府への大政委任法的根拠与えた事は事実であるが、直接的に朝廷統制目的とした条文存在していない。そもそもこの法度対象含まれるのは、大政委任受けた征夷大将軍指揮下に置かれ自身武家官位任命対象である「武家」や僧官任命対象である「僧侶」など、朝廷将軍によって任官された全ての身分拘束されるのである。更に、新規に定められたものは朝幕関係規定以外は宮中座次など、むしろ朝廷内部紛糾していた問題関連する部分が多い。戦国時代混乱期に一旦は解体しかけた朝廷及び公家社会秩序回復に、江戸幕府協力する姿勢示したものとも言える。これは歴史上見れば鎌倉時代皇位継承朝廷内が紛糾した際に鎌倉幕府両統迭立原則呈示し仲裁あたった事例に近い性質のものである(ここで問題とされたものは、後に紫衣事件尊号一件などで再び議論持ち上がったものばかりで、幕府権力をもってしても困難な課題であった事も共通している)。つまり、禁中並公家諸法度本来の趣旨としては公家武家僧侶天皇及びその大政委任受けた征夷大将軍仕えるための秩序作りのための法度であった結論づける。これに対して田中暁龍は法度作成二条昭実朝廷側も関与していたことや宮中座次などの問題解決目指したことについては同意するが、一条兼香江戸時代中期摂関)が示した第一条解釈(『兼香公記享保20年4月22日条)を引用しながら、朝廷において天皇求められ学問和歌文学よりも「国家治政学問」であるという論理は『禁秘抄』が書かれた昔から一貫して変わっておらず、その朝廷側の論理幕府汲み込む形で第一条成立した考えられ幕府側の論理である大政委任法的根拠解釈することで出来ないとしている。 江戸幕府による朝廷及び公家社会秩序回復については、関ヶ原の戦い翌月慶長5年1600年10月)に、公家領の録上を行い翌年には禁裏御料はじめとして女院宮家公家門跡対す知行確定行っている。続いて地下官人制度再編成行っており(出納平田家による蔵人方統率など)、禁中並公家諸法度もその流れ一環として位置づけられる。また、武家官位との関係で言えば武家官位員外官化と公家官位からの分離は既に慶長11年1606年4月導入されていた武家官位推挙江戸幕府への一本化合わせ豊臣氏宗家摂関家豊臣氏庶流豊臣氏庶流および徳川前田・上毛利宇喜多諸氏清華家として位置づけようとした豊臣政権における官位システム解体徳川氏による武家官位掌握目指したものであり、その結果徳川氏一門唯一の武家公卿とする原則(まれに加賀藩前田氏などが公卿となった例がある)が確立された。

※この「この法度の分析」の解説は、「禁中並公家諸法度」の解説の一部です。
「この法度の分析」を含む「禁中並公家諸法度」の記事については、「禁中並公家諸法度」の概要を参照ください。

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