かつみさゆりとは? わかりやすく解説

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かつみ・さゆり

かつみ・さゆりの画像 かつみ・さゆりの画像
グループ名かつみ・さゆり
グループ名フリガナかつみ さゆり
グループメンバーかつみ/さゆり
URLhttp://www.k-marumie.com/katsusayu/
プロフィールかつみとさゆりの2人からなる夫婦漫才コンビ2002年イベント「ぼよよ~ん」で「太平かつみ尾崎小百合」から「かつみ・さゆり」に改名。さゆりが髪飾り自分引っ張る「あ~ボヨヨ~ン」のギャグ一躍人気者に。主な出演歴は、CS『かつみ・さゆりのなかよしがいちばん』、MBSせやねん!』、他多数
代表作品1MBSせやねん!
代表作品2CS『かつみ・さゆりのなかよしがいちばん』
代表作品3KBSきらきん!
職種お笑い/俳優・女優タレント

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かつみ♥さゆり

(かつみさゆり から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/08/18 15:48 UTC 版)

かつみさゆり
メンバー かつみ
さゆり
結成年 2000年4月[1]
事務所 吉本興業
活動時期 2000年 -
師匠 大平シロー(かつみ
六代桂文枝さゆり)
出身 NSC大阪校2期(かつみ
出会い テレビでの共演
旧コンビ名 太平かつみ・ひろみ、どんきほ〜てなど(かつみ
太平かつみ・尾崎小百合
芸種 漫才
ネタ作成者 両者
同期 かつみ
長原成樹
吉田ヒロ
伊集院光
ピンクの電話 など
さゆり
爆笑問題
さまぁ~ず
月亭方正
江頭2:50 など
公式サイト 公式プロフィール
テンプレートを表示
かつみ♥さゆり
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年4月23日 -
登録者数 17.8万人
総再生回数 101,284,029回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2026年7月22日時点。
テンプレートを表示

かつみさゆりは、吉本興業(東京本社)所属の夫婦お笑いコンビ[2][注 1]。メンバーは、かつみ(旧 太平かつみ[1])とさゆり(同 尾崎小百合[1])。愛称は、かつさゆ[3]

漫才のほか、テレビ番組のレポーターなども務めている。また、かつみの多額の借金に関する様々なエピソードでも知られている。2017年、80歳で完済できる目途が立った[4]

メンバー

かつみ1963年2月27日 - )(63歳)
ツッコミ担当。本名、市田 克彦(いちだ かつひこ)。
京都府出身、身長172センチメートル血液型O型。京都市立川岡小学校・白浜町立白浜第一小学校を経て和歌山県立箕島高等学校商業科、桃山学院大学経済学部卒業。箕島高校時代は野球部所属。大学では落研へ所属、高座名は「我楽多亭正露丸」。師匠は大平シローで、NSC大阪校2期出身。フランス人女性広島弁の女性との交際を経て1996年3月27日にさゆりと結婚。
桂文枝一門の定紋である結三柏。
さゆり(1969年7月15日 - )(57歳)
ボケ担当。本名、市田 小百合(いちだ さゆり)。
兵庫県神戸市長田区出身、身長163センチメートル、血液型B型。兵庫県立夢野台高等学校卒業、大阪音楽大学短期大学部ピアノ科中退。師匠は六代桂文枝。アイドルグループ・吉本坂46のメンバー(現在活動休止中)。

コンビ結成の経緯

かつみ1984年8月に元「トラコ&与作」の与作と「太平かつみ・ひろみ」を組むも、程なくして解散した。1985年に月亭八方の弟子であった同期のきびのだんごと共にコンビ「どんきほ〜て」を結成、1987年に「ABC漫才・落語新人コンクール」(朝日放送主催)で最優秀新人賞を受賞など数々の賞を獲得するも、きびのだんごが義父(妻の父)が経営するディスカウントチェーン「ジャパン(現・スギホールディングス)」へ後継者として入社するため、1999年11月を以て引退に伴い解散。

2000年4月、中田カウスの勧めにより妻であるさゆりと共に「太平かつみ・尾崎小百合」として夫婦漫才コンビを結成。清水坂の清水順正「桂三枝の順正ゆどうふ食べくらべ大会」で初漫才。

2002年2月に行われたイベント「ぼよよ〜ん」内の観客およびインターネットによる投票による改名企画により、コンビ名を「かつみさゆり」に改名[1]。さゆりが髪飾りを自分で引っ張る「あ〜ボヨヨ〜ン」のギャグで人気を得る。

なお、結婚披露宴の媒酌人桂三枝夫妻であった。出会いのきっかけは『三枝の激闘スタジアム』にて共演し、番組で帰りが遅くなったさゆりを自宅まで送るよう三枝がかつみにお願いしたが、さゆりを乗せた車中で意気投合した流れでかつみさゆりをラブホテルに連れ込み押し倒したのが始まりであったと、さゆり自身が明らかにしている[5]

人物

かつみ

  • 京都鳴滝音戸山町の、とある大資産家の3番目の愛人による子供として生まれる。しかし実の父親とは5回程度しか会っておらず、母子家庭で資金援助は一切無かった[6]。実母の実家は駄菓子屋経営。アニメのTシャツを着る機会が多い。下戸。高校卒業後はエール予備校に1年通った。同じタイへイ門下のジミー大西は1年先輩。女性によく声をかけていて、近所のコンビニで、きれいな女性と思って声をかけたら石田靖の嫁だった。ぼんちおさむの嫁にも声をかけたことがある。
  • 高校野球の名門である箕島高校の野球部へ所属。部が春夏連覇を果たした際、かつみは2年生でアルプススタンドにて応援していた。1学年上の先輩には石井毅嶋田宗彦などがいた。
  • 25歳頃から財テクに乗り出し、株や不動産の売買で3億円を稼ぎ出す[7]信用取引の大勝負に出たが、相場はかつみの予想通りにはいかず大暴落(バブル崩壊)。かつみは4億7000万円の大損を被り、1億7000万の借金を背負わされる羽目になった[7]
  • 借金は最も多い時期で2億5000万円あった[8]。1999年には自らの借金に加え、すでに亡くなっていた実父が保証人になっていた会社が倒産したことによる10億円の催促状がかつみに届いたが、吉本興業の会長に紹介してもらった顧問弁護士の助力で10億円については相続放棄することができた[9]
  • オオクワガタの繁殖を試みたが、さゆりがコバエ退治のためバルサンを誤って焚き失敗[7]ピコピコドンという100円ショップの経営にも乗り出したが、大量の発注ミスがあり閉店[7]。2007年には起死回生を狙い、新たにラーメン店経営へ着手。11月1日(たむらけんじの「炭火焼肉たむら」2号店と同日)、かつみをオーナーとしてさゆりの兄(開店に向け3か月間有名ラーメン店で修行した)が店長を務めるラーメン店「ボヨヨンラーメン ウマインジャー」を大阪市都島区にオープン。さゆりが自分の部屋をイメージして手がけた内装は、ピンクを基調とした壁紙にハート型の鏡やシャンデリア、『暮らしカルマガジン みかさつかさ』で当時共演していた秋野暢子が描いた絵画などが飾られ、通常のラーメン店のイメージとは一線を画したものとなっている。本人曰く「(さゆりの部屋に来てもらうというイメージでデザインしたら)ラブホみたいになってもーた」とのこと。また店の看板も、かつみが手書きしたイメージを元に看板屋へデザインしてもらうようさゆりに頼んでいたが、さゆりが看板屋に「これで作ってください」と頼んでしまったためロゴがデザインされることなく、かつみが手書きしたままの文字が施された看板となった
  • 店の経営はさゆりの兄に任せていたが、売上の低迷に加え店内アルバイトの募集に応募してきた人物をほぼ全員採用する(日本語も話せない外国人を含む)など経営の杜撰さが露わになり、メロンパン販売で人気回復を目論むも裏目に出て2008年6月末を以て閉店[7]。その後は2008年11月13日より、千葉県千葉市にあるショッピングモールOne's Mall内にある「ラーメン劇場」で同名のラーメン店を営業していたが、こちらも2009年1月末で閉店。なおメロンパン生地とラーメンのネット通販は、閉店後も引き続き行われていた。2008年の『オールザッツ漫才』ネタ組トリで、たむらがラーメン屋経営の実態を暴露した。
  • 2012年4月28日にはスイーツ食べ放題店「ボヨヨンスイーツガーデン」を、道頓堀中座くいだおれビルにオープンさせた。今回は店を経営のプロにあらかじめ見てもらい[7][10][11]、「ボヨヨンラーメン ウマインジャー」の7ヶ月間を超えて最長となる3年11ヶ月間続いていたが、中座くいだおれビルが香港の投資ファンドに買収された[12]影響で家賃が高騰したため、20回目の結婚記念日にあたる2016年3月27日に閉店[13][14]
  • 自己破産について聞かれることもあるが、かつみ曰く「自分は自力で3億を稼いだ実績があるから、そのプライドで頑張っている」という[7]。また借金については2017年、池田泉州銀行によって低金利での借り換えに成功し支払額を大幅に軽減できている[15][8]
  • 2015年に200万で買ったバンクシーの作品が2021年3月時点で4500万の価値。1990年頃に13万5000円で買った草間彌生の作品を、草間がブレイクしてオークションによって90万で売却したが2021年時点で3500万の価値。さゆりとの初デートも美術館と画廊巡り。
  • 痛快!明石家電視台』(毎日放送)の収録日当日、本来出演の予定だった中川家がマネージャーの連絡ミスによって大阪に来られなくなり、番組スタッフが代役を探していたところ2人のスケジュールが空いていた。さゆりとはすぐ連絡が取れたものの、かつみとは一向に繋がらなかった。そこでさゆりが長年の勘を働かせ「サウナに行っているのでは」と提言し、それを受けた番組スタッフが大阪市内に位置するサウナへ片っ端から電話したところ、かつみが見つかってどうにか収録には間に合った。
  • モノマネの持ちネタの1つに沖田浩之があり、沖田が無名であった頃からやっていたと語る。

さゆり

  • 神戸市で電気店を営む吉永小百合の大ファンの両親の下で生まれ、兄が1人いる。中学の時には新聞配達をしていた。高校ではサッカー部マネージャーを務める。
  • 好きな漫画はキングダム。私服はセシルマクビー
  • 初仕事はブーマー・ウェルズ阪急ブレーブス)へのインタビューだった。
  • ドラえもん』の声優オーディションの際にかつみ村上ショージと共に受けるも、本人曰く台本に載っていない台詞を発したため途中で審査員から「もういいです」と言われ、演技を最後まで披露することなく不合格にされたという。
  • 3歳からピアノを習っていた。入試2か月前に志した音大にも合格していたが[16]、1年で中退。その理由は「通学途中の坂を登るのがしんどかった」ためとしている。
  • 吉本入り以前からミスコン荒らしとして知られ、番組のアシスタントを務めていたこともある。その際に桂文枝と知り合い、一時は文枝の個人事務所に所属していた。かつみとの出会いも、文枝(当時は三枝)の冠番組『三枝の激闘スタジアム』(関西テレビ)で共演したのがきっかけ。現在は頬を赤く強調した道化的なメイクを施し三枚目キャラクターとして活動しているが、元々は吉本屈指の美人タレントとして知られた。2022年時点では50歳を超えたが、それでもメークアップもあったとはいえ美人と認められることもある[17]
  • 吉本入り後は主に吉本新喜劇に出演していた。
  • 結婚前後にかけてはかつみが経営するスナックでも働き、火の車状態の家計を助けていた。またこの頃、「かつみのアホの嫁」(ここでの“アホ”は、“天然ボケ”という意味)として関西のテレビ番組にしばしば出演するようになり、現在のスタイルを築いていった。
  • 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災において、神戸市内のさゆりの実家が被災。しかし偶然にもかつみフランスパリへ旅行中で不在だったためにさゆりは被災を免れた。家族は全員無事だったが、さゆりの部屋は地震で完全に潰れた状態だったといい、愛猫を亡くしている。さゆりの実父はかつみが娘の命を救ってくれたも同然と感激し、2人の結婚を承諾したというエピソードがある[8]
  • 2004年6月中旬にて病に倒れ、かつみのみでのテレビ出演が続いた。診断の結果、さゆりは卵巣嚢腫子宮筋腫子宮内膜症からなる3つの病気に罹っており1か月後の2004年7月中旬、MBSテレビ『ちちんぷいぷい』で復帰。その後、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』で当時の詳細を語った。

受賞歴

  • 全日本ネイリスト協会主催 2005年「ネイルプリンセス」関西部門受賞 ※さゆりのみ

出演

関西ローカル

全国ネット

映画

テレビドラマ

CD

CM

書籍

著書

関連書籍

  • 『きれいに暮らす。関西版2「おうち de ECO」特集』別冊家庭画報(2009年5月11日、世界文化社ISBN 978-4418091157 - さゆりがエコ住宅をレポート

脚注

注釈

  1. コンビ名表記の時は赤、個人名表記の時はピンクのハートを用いる[1]
  2. 1 2 2018年4月1日に放送持株会社に移行し子会社として分社設立。2018年3月31日までは「朝日放送」。

出典

  1. 1 2 3 4 5 かつみ・さゆりオフィシャルサイト
  2. “かつみさゆり「信用取引をドカーンと」バブル期に投資で大失敗 現在の借金額にスタジオどよめき”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 2024年4月28日. 2025年1月9日閲覧.
  3. “シルクが明かす かつさゆ・さゆり、借金1億超のかつみと結婚前に年収1億円プロ野球選手との縁談あった”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 2024年3月23日. 2025年1月9日閲覧.
  4. 「払った利息だけで2.6億円」 漫才コンビ「かつみ・さゆり」のさゆりが告白する明るい借金生活、完済のめどは80才頃”. 2023年5月22日閲覧。
  5. “千鳥の「相席食堂」2022/7/12放送”. 2022年11月5日閲覧.
  6. しくじり先生』2016年6月6日放送
  7. 1 2 3 4 5 6 7 1億7千万の借金を背負った芸人夫婦はなぜ明るく暮らせるのか?”. 週プレNEWS. 2015年10月24日閲覧。
  8. 1 2 3 “知りたい聞きたい お金のはなし:「借金よりひどい地獄」を経験 さゆりさんがどうしても伝えたいこと”. 毎日新聞. 2023年5月26日. 2026年7月3日閲覧.
  9. “実は最大借金額は12億円……“ノストラダムスの大予言”の年に起きた悲劇”. 集英社. 2026年7月3日. 2026年7月3日閲覧.
  10. 大阪日日新聞 (2012年5月2日). ボヨヨンと好発進 かつみさゆりのカフェ開店”. 2012年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月3日閲覧。
  11. 女性自身〔光文社女性週刊誌〕 (2013年10月18日). 馬主、100均、ラーメン店…かつみ・さゆり明かす事業失敗の過去”. 2013年10月18日閲覧。
  12. J-CASTニュース (2015年3月3日). 大阪「くいだおれ」ビル、香港ファンドが買収”. 2016年3月24日閲覧。
  13. 日刊スポーツ (2016年3月23日). かつみ・さゆり、結婚記念日に経営スイーツ店を閉店”. 2016年3月24日閲覧。
  14. スポニチ Sponichi Annex 芸能 (2016年3月23日). かつみ・さゆり 結婚記念日にスイーツ店閉店「10回目 慣れてます」”. 2016年3月24日閲覧。
  15. ORICON NEWS (2017年11月27日). かつみ・さゆり、借り換え成功で借金の元金減る「半沢直樹みたいな人がいた」”. 2017年11月27日閲覧。
  16. 芸能人のピアノ自慢番組は面白い”. リアルライブ (2010年8月12日). 2018年3月26日閲覧。
  17. 「かつみ・さゆり」のさゆり、美少女戦士から大人美女に変身 「別人!キレイ」フォロワー驚く”. 日刊スポーツ (2022年12月7日). 2022年12月7日閲覧。

外部リンク


かつみ・さゆり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 03:55 UTC 版)

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かつみ♥さゆり
メンバー 太平かつみ(かつみ
尾崎小百合(さゆり)
結成年 2000年4月[1]
事務所 吉本興業東京本社
活動時期 1995年頃 -
師匠 大平シロー(かつみ)
六代桂文枝(さゆり)
出会い テレビ番組で共演
旧コンビ名 太平かつみ・尾崎小百合
芸種 漫才
ネタ作成者 両者
公式サイト かつみ・さゆりOfficial Site「ぼよよ~ん」
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かつみさゆりは、太平かつみ(個人としての表記はかつみ[1])と尾崎小百合(同さゆり[1])による日本夫婦漫才コンビ[注 1]。所属事務所吉本興業東京本社。愛称「かつさゆ」。漫才の他、テレビ番組のレポーターなども多く務める。また、かつみの多額の借金に関する様々なエピソードを持ちネタにすることでも知られている。

プロフィール

桂文枝一門の定紋である結三柏。

コンビ結成の経緯

太平かつみは、1984年8月に「トラコ&与作」の与作と「太平かつみ・ひろみ」を結成。1985年に月亭八方の弟子であったきびのだんご(本名:前谷正弘)とともに漫才コンビ「どんきほ〜て」として活動していたが、だんごが妻の父が経営するディスカウントチェーン店『ジャパン(現・スギホールディングス)』に後継者として入社するために引退しコンビは解散。

その後、中田カウスの勧めにより、妻である小百合とともに漫才コンビを結成。小百合が髪飾りを自分で引っ張る「あ~ボヨヨ~ン」のギャグで人気を得る。なお、かつみ♥さゆりの結婚披露宴の媒酌人は六代桂文枝夫妻であった。

人物

太平かつみ

とある大資産家の3番目の愛人の子供として生まれ、父親とは5回程度しか会ったことがなく、母子家庭で資金援助は全く無かった。[2]よくアニメのTシャツを着ている。

高校時代

高校野球の名門である箕島高校の野球部に所属。部が春夏連覇した時、かつみは2年生でありアルプススタンドで応援。1学年上の先輩に石井毅嶋田宗彦など。

財テク

25歳位の頃から財テクに乗り出し、株や不動産の売買で3億円を稼ぎ出す[3]信用取引の大勝負に出たが、相場はかつみの予想したとおりには行かず大暴落(バブル崩壊)。かつみは4億7000万円の大損を被り、1億7000万の借金を背負うことになった[3]

財テクにまつわる不運

オオクワガタの繁殖を試みたこともあるが、さゆりがコバエ退治のために誤ってバルサンを炊いたことにより失敗[3]。ピコピコドンという100円ショップの経営にも乗り出したが、大量の発注ミスがあり閉店[3]

2007年には起死回生を狙い、新たにラーメン店経営に着手。11月1日(たむらけんじの「炭火焼肉たむら」2号店と同日)、かつみがオーナーを、さゆりの兄(開店に向け3か月間有名ラーメン店で修行した)が店長を務めるラーメン店「ボヨヨンラーメン ウマインジャー」を大阪市都島区にオープン。さゆりが自分の部屋をイメージして手がけた内装は、ピンクを基調とした壁紙にハート型の鏡やシャンデリア、『暮らしカルマガジン みかさつかさ』で当時共演していた秋野暢子が描いた絵画などが飾られ、通常のラーメン店のイメージとは一線を画したものとなっている。本人曰く、「(さゆりの部屋に来てもらうというイメージでデザインしたら)ラブホみたいになってもーた」とのこと。また店の看板も、かつみが手書きしたイメージを元に看板屋にデザインしてもらうようさゆりに頼んでいたが、さゆりが看板屋に「これで作ってください」と頼んでしまったため、ロゴがデザインされることなく、かつみが手書きしたままの文字となってしまった。

店の経営はさゆりの兄に任せていたが、売上の低迷に加え、店内アルバイトの募集に応募してきた人物をほぼ全員採用(日本語が話せない外国人を含む)するなど経営の杜撰さがあらわになり、メロンパン販売で人気回復を目論むも裏目に出て、2008年6月末をもって閉店[3]。その後、2008年11月13日より、千葉県千葉市にあるショッピングモールOne's Mall内にある「ラーメン劇場」で同名のラーメン店を営業していたが、こちらも2009年1月末で閉店。なおメロンパン生地とラーメンのネット通販は、閉店後も引き続き行われていた。2008年の『オールザッツ漫才』ネタ組トリで「褌一丁にサングラス」のたむらけんじがラーメン屋経営の実態を暴露した。

2012年4月28日にはスイーツ食べ放題店「ボヨヨンスイーツガーデン」を道頓堀中座くいだおれビルにオープンさせた。今回は店を経営のプロに見てもらっており[4][5][3]、「ボヨヨンラーメン ウマインジャー」の7ヶ月間を超えて最長となる3年11ヶ月間続いていたが、中座くいだおれビルが香港の投資ファンドに買収された[6]影響で家賃が高騰したため、20回目の結婚記念日にあたる2016年3月27日に閉店[7][8]

なお、自己破産について聞かれることもあるが、かつみ曰く「自分は自力で三億を稼いだ実績があるから、そのプライドで頑張っている」とのこと[3]。また、借金については2017年、池田泉州銀行によって低金利での借り換えに成功、支払額を大幅に軽減できているという[9]

サウナ好き

痛快!明石家電視台』(毎日放送)の収録日当日、本来出演予定だった中川家がマネージャーの連絡ミスにより大阪に来られなくなり、番組スタッフが代役を探していたところ、かつみ・さゆりのスケジュールが空いていた。さゆりとはすぐ連絡が取れたが、かつみとはどうしても繋がらなかった。さゆりが長年の勘で「サウナに行っているのでは」と言い出し、番組スタッフが大阪市内にあるサウナに片っ端から電話したところ、かつみが見つかり、無事収録に間にあった。

尾崎小百合

神戸市で電気店を営む両親のもとに生まれる。兄が一人居る。好きな漫画はキングダム

小百合と音楽

3歳からピアノを習っていた。入試二か月前に志した音大の合格も果たしている[10]

ミスコン荒らしと結婚後の苦労生活

さゆりは吉本入り以前からミスコン荒らしとして知られ、テレビ番組のアシスタントを務めていたこともある。その際に桂文枝と知り合い、一時は文枝の個人事務所に所属していた。かつみとの出会いも、文枝(当時は三枝)の冠番組「三枝の激闘スタジアム」(関西テレビ)で共演したのがきっかけである。現在は頬を赤く強調した道化的なメイクを施し三枚目キャラクターとして活動しているが、元々は吉本屈指の美人タレントとして知られた。吉本入り後は主に吉本新喜劇に出演していた。

結婚前後にかけてはかつみが経営するスナックでも働き、火の車状態の家計を助けていた。また、この頃、「かつみのアホの嫁」(ここでの“アホ”は、“天然ボケ”という意味)として関西のテレビ番組にしばしば出演するようになり現在のスタイルを築いていった。

奇跡的な大震災の回避

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災にて、神戸市内のさゆりの実家が被災。しかし、さゆりは偶然にもかつみとフランスパリへ旅行中で不在だったために被災を免れた。さゆりの部屋は地震で完全に潰れた状態だったといい、もし彼女が実家にいたら命の危険もあったとされている。さゆりの父は、かつみが娘の命を救ってくれたも同然と感激し、かつみにさゆりとの結婚を承諾したとのエピソードがある。

人気絶頂期の入院

2004年6月中旬、さゆりが病に倒れ、かつみ一人でのテレビ出演が続いた。診断の結果、さゆりは卵巣嚢腫子宮筋腫子宮内膜症の3つの病気にかかっており、1か月後の2004年7月中旬、MBSテレビ『ちちんぷいぷい』で復帰。その後、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』でこの時の詳細を語った。

ボヨヨンにまつわるエピソード

さゆりのボヨヨン(髪飾り)は手作りで、ヌーブラのケースに入れて保管している。制作費は片方2000円で、「ボヨヨン代」として確定申告もしている。本人曰く以前は一から手作りしていたが、最近は花のパーツを購入して制作している。また、片方7gが最高の重さ(黄金比)であるとも説明している。

ボヨヨンが誕生したきっかけは、かつみが体を張るロケにさゆりが勝手に同行し、お手製のポンポンでかつみを応援していたことである。その後、ポンポンを首に掛けられる様に紐を付けたり、頭に付ける様にするなどして試行錯誤を重ねて現在のスタイルになる。また、最初は「頑張るポン」という名称だった。さゆりのボヨヨンに対して、かつみはネクタイに仕込まれた糸を引っ張るとネクタイがピンと立つ、「ネクタイぴーん!」というギャグを持っている。後藤田正純水野真紀の披露宴の際、このギャグを当時の首相だった小泉純一郎の前で披露したところ、後でSPにこっぴどく叱られたという。

受賞歴

  • 全日本ネイリスト協会主催 2005年「ネイルプリンセス」関西部門受賞 ※さゆりのみ

出演

関西ローカル

全国ネット

映画

CD

CM

書籍

  • 借金星(かつみ著・ヨシモトブックス) - ISBN 9784847018831
  • きれいに暮らす。 関西版2 「おうち de ECO」特集(世界文化社) - ISBN 9784418091157、さゆりがエコ住宅をレポート

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ コンビ名表記の時は赤、個人名表記の時はピンクのハートを用いる[1]
  2. ^ a b 2018年4月1日に放送持株会社に移行し子会社として分社設立。2018年3月31日までは「朝日放送」。

出典

  1. ^ a b c d かつみ・さゆりオフィシャルサイト
  2. ^ しくじり先生』2016年6月6日放送
  3. ^ a b c d e f g 1億7千万の借金を背負った芸人夫婦はなぜ明るく暮らせるのか?”. 週プレNEWS. 2015年10月24日閲覧。
  4. ^ 大阪日日新聞 (2012年5月2日). “ボヨヨンと好発進 かつみ♥さゆりのカフェ開店”. 2012年5月5日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年5月3日閲覧。
  5. ^ 女性自身〔光文社女性週刊誌〕 (2013年10月18日). “馬主、100均、ラーメン店…かつみ・さゆり明かす事業失敗の過去”. 2013年10月18日閲覧。
  6. ^ J-CASTニュース (2015年3月3日). “大阪「くいだおれ」ビル、香港ファンドが買収”. 2016年3月24日閲覧。
  7. ^ 日刊スポーツ (2016年3月23日). “かつみ・さゆり、結婚記念日に経営スイーツ店を閉店”. 2016年3月24日閲覧。
  8. ^ スポニチ Sponichi Annex 芸能 (2016年3月23日). “かつみ・さゆり 結婚記念日にスイーツ店閉店「10回目 慣れてます」”. 2016年3月24日閲覧。
  9. ^ ORICON NEWS (2017年11月27日). “かつみ・さゆり、借り換え成功で借金の元金減る「半沢直樹みたいな人がいた」”. 2017年11月27日閲覧。
  10. ^ 芸能人のピアノ自慢番組は面白い”. リアルライブ (2010年8月12日). 2018年3月26日閲覧。

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