『魏志倭人伝』にみる倭人の習俗とは? わかりやすく解説

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『魏志倭人伝』にみる倭人の習俗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 05:21 UTC 版)

倭人」の記事における「『魏志倭人伝』にみる倭人の習俗」の解説

魏志倭人伝」も参照 3世紀末の280年から297年にかけて陳寿によって完成され『三国志』魏書東夷伝」には、夫余高句麗東沃沮挹婁・濊・馬韓辰韓弁辰倭人の9条が含まれる倭人条には風俗・慣習について以下のように記されている。 男子大人子供区別なく皆が顔と体文様描いている(「文身」)。夏王朝少康の子会稽封じられた際に、このようにして蛟龍の害を防いだ文身巨大な魚棲む怪物寄せ付けないためである。諸国文身それぞれに異なる。 古くから中国詣で使者は皆自らを大夫称している。 その風俗社会生活の意味)は乱れてはいない。 男子は皆頭をそって、頭には木綿をかぶり、その衣は横長でそれをただ束ね結わえて連ねて着るものでほとんど縫ってはいない。女子は髪を伸ばして髷をつくり、衣は一枚を被るようにその中央に穴をあけて頭を通して着る。 稲、紵麻を栽培し育てて絹を紡績し、糸や布を作る牛・馬虎・豹・羊・はいない。 兵器矛・楯・木弓を用いる。木弓は下を短く上を長くし、竹の矢軸の矢は鉄製か骨製の矢じり用いる。 有無するところ、儋耳、朱崖と同じ。 倭地は温暖。 生で食べ物食べる。 人の死に際してははあってものない、土で塚をつくる。 人が死ぬと10日あまり、哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。喪主激しく哭泣し、他の人々飲酒して歌舞する。埋葬が終わると入って体を清める渡海して中国詣でる際は常に一人を頭は通さずのいるまま衣服汚れ放題、肉は食べず婦人を近づけず、喪人のようにしておく。これの名を持衰という。もし途中で吉善があれば彼は他の人と共に生口財物をねだることができ、もし疾病発生したり暴害に遭えば、すなわち持衰が謹まなかったからだとしてこれを殺そうとする。 真珠青玉産出する。 山には丹がある。(植生についても述べられている。) 骨を焼き吉凶を占う(太占)。 集まりや座る順には父子男女区別はない。 酒を嗜む長命で、百歳九十八十歳の者もいる。 女は慎み深い。 国の大人は妬まず、盗みもなく、諍い訴訟少ない。 法を犯す者は軽い者は妻子没収し、重い者は門戸および宗族没収する尊卑初めから決まっていて、大臣たちは服することに納得している。 税を収奪する。邸(偉い人の広い居住屋敷)や閣(偉い人を招くための高い建物)といった豪華な建物がある。 下戸大人道路遭遇するためらってへと入りあらたまった言葉聞くときにはひざまづいて両手は地につけて恭順を示す。 ここに記され文化の諸特徴が、南方要素の強いことはしばし指摘されるところであり、民俗学的、文化人類学的、考古学的ないし歴史学的な論考資料として重視されることが少なくない

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