『魏志』倭人伝
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「倭・倭人関連の中国文献」の記事における「『魏志』倭人伝」の解説
ウィキソースに魏志倭人伝の原文があります。 『三国志』魏書巻三十 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条(いわゆる『魏志倭人伝』) 「倭人在帶方東南大海之中 依山島爲國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國」 倭人は帯方郡の東南の大海の中におり、山の多い島のうえに国や邑(むら)をつくっている。もとは百あまりの国があり、その中には漢の時代に朝見に来たものもあった。いまは使者や通訳が往来するのは三十国 東夷伝には、夫余・高句麗・東沃沮・挹婁・濊・馬韓・辰韓・弁辰・倭人の九条が含まれている。東夷伝の九条とも大体三部から構成されている。倭人伝も、第一部はその周辺との関係位置や内部の行政区画の記事、第二部はその経済生活や日常習俗の記事、第三部はその政治外交上の大事件の記事、と分けることができる。また、倭国の政治体制に関する記事を一部と考えると四部構成にできる。 東夷伝の韓伝冒頭にも倭という記載がある。 「韓在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里」(『魏志』韓伝) 韓は帯方の南に在り。東西は海をもって限りとなし、南は倭と接する。方4千里ばかり。
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