『鬼鹿毛無佐志』
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浅野内匠頭の17回忌にあたる正徳3年の12月には大阪の豊竹座で紀海音作の人形浄瑠璃『鬼鹿毛無佐志(むさし)鐙』が上演されている。これは宝永7年に大阪の篠塚庄松座で上演された吾妻三八作の『鬼鹿毛武蔵鐙』に負う所が大きいもので、内蔵助は『鬼鹿毛武蔵鐙』と同じく大岸宮内という名である。この作品では赤穂事件を『太平記』に仮託しつつ、そこから離れて足利義政の時代の事件の小栗判官と照手姫の物語も取り上げられている。 本作は構成上の不備がある等傑作とは言い難い面があるが、『仮名手本忠臣蔵』の七段目に影響を与える等、義士劇の系譜の上では重要な位置を占める。 この作品は近松門左衛門のライバルであった紀海音であり、内容的にも近松門左衛門の『碁盤太平記』を意識したものになっている。この『鬼鹿毛無佐志鐙』(とその前作『鬼鹿毛武蔵鐙』)は近松門左衛門の『碁盤太平記』と並び、『仮名手本忠臣蔵』につらなる源流の一つで、この作品で出てきた大岸宮内、小栗判官といった名前は後の作品にも頻出する。
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