「綿ふき病見聞記」に対する『自然Nature』誌への反論の寄稿
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「綿ふき病」の記事における「「綿ふき病見聞記」に対する『自然Nature』誌への反論の寄稿」の解説
健田の所説を見聞した田尻は、すぐには表立った反論を行わなかったが、それは反論の寄稿文中で「感情をしずめるために、冷却期間と強い自制とが必要であった」と田尻本人が記述したように、健田の所説内容に対する田尻の憤慨は大きかった。また健田による発表は各方面に多くの話題を投げかけることとなり、綿ふき病に関して不審や疑念を抱く人々が多数現れてしまい、結果的にそれ以降の研究推進に心理的なブレーキがかかり、新たに研究に加わろうとする参加者を阻害する要因となってしまった。田尻にしてみれば、これまで健田との間で数回の手紙のやり取りを行い、誤解を残さぬように、むしろ田尻の側から進んでN農婦の検診を求め、実際に健田の求めるまま実験処置に協力し、病歴についても十分説明したのに何故?という心情であった。 健田による『自然Nature』誌掲載から約8か月後の1966年3月、田尻は「綿ふき病見聞記」への反論と題する所説を、公平を期すため健田が発表したのと同じ中央公論社の『自然Nature』誌へ寄稿した。 この中で田尻は「健田の疑念」に対する反証をいくつか行った。まず「尿の性状と量」について健田が一言も触れていない点を不可解であると指摘した。排尿回数や排尿量の綿の排出の関係性は「#綿の排出と排尿回数の関係セクション」で前述した通りで、このことについて田尻は健田に対し手紙や口頭で説明しているにも関わらず、その考察がまったくされていない。健田の主張するように綿の人為的挿入を疑うのなら、尿が少ない、あるいは数日間におよぶ無尿の状態も作為的なものだと言うのか、年単位におよぶデータを基にした排尿量と綿の排出量が反比例している事実も、N農婦による計画的作為だと言うのかと反論し、他所の類似例はいざ知らず、N農婦の事例は「作為的な綿の挿入」などという単純な結論で解決できる問題ではないと主張した。 続いて健田がスケッチを行い描いたという一夜の間に創口の数が増えたという内容に対し、長年観察してきた主治医の立場として、いまだかつて一夜の間に創口周辺の状況がこれほど変貌した事実はなく、今回の場合も最初から2日目に描いたスケッチの描写のほうが正しい。健田が訪れた一昼夜の間に創口数の増減などはない。膨隆していた部位に綿が隠されていたのではないか、という疑いについても、健田も田尻と一緒になって膨隆部位周辺にある複数の創口を清掃しており綿の取り残しは無いはずで、まして18個もの多数の綿塊が残っているはずがないと反論した。 このように田尻は健田の指摘した複数の疑念点に対し、主治医としての観点から逐一反論を行い、綿ふき病に対する疑念や興味本位による解釈を払拭しようと試みたが、学会内の反応は非常に冷淡であった。綿ふき病に対する当時の医療関係者間の様子について、東海大学医学部教授で慶應義塾大学名誉教授の小林忠義は後年、次のように述べている。 …要するに、あまり奇異な現象のため臨床家も研究者も「当事者である田尻氏や赤木氏以外は」半信半疑のうちに思考停止に陥って、そんな馬鹿なという感情論だけが残ったようである。もしこれが単なる(綿を産出しない)原因不明の肉芽性疾患であるとしたら、他の奇病と同じように研究者は大いに意欲を燃やしたに違いない… 小林忠義『考える資料 綿ふき病 (医学の座標)』「最新醫學=The medical frontline 1977年8月号」より一部抜粋引用
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