「維新の志士達の集合写真」説
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「フルベッキ群像写真」の記事における「「維新の志士達の集合写真」説」の解説
昭和49年(1974年)、肖像画家の島田隆資が雑誌『日本歴史』に、「この写真には坂本龍馬や西郷隆盛、高杉晋作をはじめ、明治維新の志士らが写っている」とする論文を発表した(2年後の昭和51年(1975年)にはこの論文の続編を同誌に発表)。島田は、彼らが写っているという前提で、写真の撮影時期を慶応元年(1865年)と推定した。佐賀の学生たちとして紹介された理由は、「敵味方に分かれた人々が写っているのが問題であり、偽装されたもの」だとした。 島田の説は学会では相手にされなかったが、一時は佐賀市の大隈記念館でもその説明を取り入れた展示を行っていた。また、昭和60年(1985年)には自由民主党の二階堂進副総裁が議場に持ち込み、話題にしたこともあったという。また、平成16年(2004年)には、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞にこの写真を焼き付けた陶板の販売広告が掲載された。東京新聞が行った取材では、各紙の広告担当者は「論議がある写真とは知らなかった」としている。また、業者は「フルベッキの子孫から受け取ったもので、最初から全員の名前が記されていた」と主張している。平成21年(2009年)にも、朝日新聞と毎日新聞は「フルベッキ写真の陶板」広告を掲載している。また、平成22年(2010年)には、コンピューターで画像処理され、写真に写る46人全員が色付けされて販売され、スポーツ報知に広告が掲載された。 この写真の話題は、間歇的に復活してその度に否定されるにも関わらず再度流行する傾向がある。ちなみに、最初に島田隆資が同定した維新前後の人物は22人であったが、流通するたびに徐々に増加し、現在では44人の人物すべてに維新前後の有名人物の名が付けられている。 島田隆資と同様の見解を取るものの中には、大室寅吉(大室寅之祐)という名でのちの明治天皇が写っているとした説を唱えるものや、「明治維新は欧米の勢力が糸を引いていた」説等の陰謀論、偽史の「証拠」とする例もある(松重正、加治将一、大野芳ら)。 石黒敬章は、フルベッキの後ろに写るごつい顔の人物が、誰であるかはまだ同定できていないが、西郷でないことだけは確かである、としている。
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