「ヘイポー」として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:10 UTC 版)
詳細は「世界のヘイポーシリーズ」を参照 『ガキの使い』では1990年末/1991年初頭からスタッフいじりの一環で「パーマン2号」として売り出される。この頃は出っ歯だったが、現在は差し歯。 1992年11月8日の放送で、初めて「ヘイポー」のクレジットが出る。元番組プロデューサーの菅賢治の説明によると「彼は(声が)こもるから『斉藤です』が『ヘイポウです』に聞こえる」。その後、「世界のサカモト」こと坂本龍一の出演を経て、1994年9月11日の放送で初めて「世界のヘイポー」のクレジットに。当初は「斉藤さん」「ヘイポー」「世界のヘイポー」等、呼称は一定しなかったが、1990年代末には「ヘイポーさん」でほぼ統一されるようになった。なお、番組終了後のクレジットでは本名表記である。 番組内ではヘイポー主役の企画が度々放送されている。『ガキの使い』でヘイポーが主役の企画は毎回低視聴率を記録するがスタッフ内での評価は高い。 ちょっとした物音がしただけで小動物のようにおびえ、子供向けの小型フリーフォールに乗るだけで、長時間ゴネて隣にいた子供たちに馬鹿にされたり、お化け屋敷に入るロケでは長時間ゴネた上に、パニック状態に陥って他の出演者・スタッフに多大な迷惑をかけた。このような経緯から「ヘイポーうすっぺら裁判」の企画は、ガキの使い裁判で浜田雅功と並んで最多の5回行われている。この企画では、スタッフらの証言により日頃のビビリ・スケベ・虚言癖などの「日々の悪行」が暴かれ、その都度開き直って釈明したり、不可解な弁明をするヘイポーが毎回、陪審員らの失笑や顰蹙を買う、という流れがある。いずれも有罪判決を受け、夜の廃校を舞台とした罰ゲームやホラー映画鑑賞など「恐怖の罰ゲーム」が執行されるが、「(本人にとっては)罰にはなっているが、僕と視聴者にとっては(そのビビリ様を)見れば見るほど、どんどん腹立ってくる」と松本がコメントするほど、極度のビビリである。このため罰ゲームの仕掛人や鬼ごっこの鬼として登場する場合、役に立たないことが多い。あまりにもビビるため一部の視聴者からは「あれは演技ではないのか?」との声もあるが、「本当に正真正銘のビビリである」とラジオ番組『放送室』の番組内にて、松本と高須光聖が発言している。そのためにヘイポーを使ったホラー企画ではヘイポーがビビリすぎてトラブルが起こらないように、気を使って怖さをマイルドにしている。特に夜の廃校(吉本興業 東京本部)を舞台とした罰ゲームでは、スタッフが懸念していた通り、恐怖のあまり学校の3階の窓を開けて逃げようとしたため、慌ててスタッフらが止める事態となった。ちなみにその後スタッフらと合流した際には、ココリコの遠藤章造を見てはビビり、骸骨の標本を見てはビビり、スタッフを見てはビビり、自分で足を滑らせてビビり、挙句の果てには、床を見てビビり、学校を出た後も校庭に置かれていたメガホンを見てビビっていた。これらの見事なビビりっぷりにより、『ガキの使い』でヘタレキャラとして売っていた月亭方正の株を完全に奪い取ってしまった。また、『ガキの使い』において、普段は周りから色々と突っ込まれてばかりの方正でさえも、ヘイポーの企画では他メンバーと同様、ツッコミを入れたり、ヘイポーのあまりにも酷いへタレっぷりに唖然とする様子が見られる。 同僚の菅や高須にいわせると、昔はしっかりしていたらしいが、年をとるに従ってヘタレ度がどんどん増していったという。自身がメインの企画において、企画に対して不服があると、ロケに同行している番組のスタッフに延々と不満を漏らしたり、酷い時には逆ギレする事が多々ある。また、都会生まれの都会育ちであることから、ロケで田舎町を訪れた際、田舎に対する偏見を持つような発言をすることが多い。 2014年、生誕60周年(還暦)になり、「ガキの使い」から「世界のヘイポーDVD」(自身がメインの企画の内容)が5巻同時に発売された(番組内での宣伝には実弟の斉藤篤司郎も出演した)。 放送開始当初(深夜時代~プライムタイム移行直後まで)は、ディレクターを担当。菅賢治が演出からプロデューサーへ昇格した後に自身も総合演出に昇格。2017年3月まで総合演出を務めていた。その後もアドバイザーとして2021年3月まで番組に関わっていた。
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