「ケーペニックの大尉」事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 06:02 UTC 版)
「ヴィルヘルム・フォークト」の記事における「「ケーペニックの大尉」事件」の解説
彼はいくつかの古着屋などを巡り、軍服や徽章、軍刀などを買い集め、「プロイセン陸軍第1近衛歩兵連隊(ドイツ語版)所属の大尉」としての衣装を作り上げた。1906年10月16日正午、陸軍大尉に変装したフォークトは西ベルリンで大通りの立哨勤務を終え兵舎に向かおうとしていた近衛兵に声を掛ける。さらに立哨中だった近衛兵2名とその他の兵士10名を呼びつけ、「最高の至上命令」(auf allerhöchsten Befehl)なるものに基づき、自らの指揮下に入るように命じた。彼ら14名は移動手段にベルリン市街線を用いているが、フォークトは兵士たちに対して「車を用立てることができなかった」と説明した。途中の駅では兵士らにビールをふるまっている。ケーペニックに到着すると、フォークトは兵士らに1マルクずつ与えて昼食をとるようにと命じた。その後、「これから市長と、おそらくはその他にも何人かを逮捕しなければならない」と切り出した。 部隊が市庁舎に到着すると、フォークトは「職員および訪問者の出入りを完全に封鎖せよ」と命じた。そして、庁舎内に乗り込んだフォークトは「皇帝陛下の名の下に」(im Namen Seiner Majestät)、上級秘書ローゼンクランツと市長ゲオルク・ランガーハンス(ドイツ語版)の逮捕を宣言し、彼らを執務室に軟禁した。彼はまた庁舎に派遣されていた憲兵(Gendarmerie)の指揮官を呼びつけ、秩序の維持と任務の遂行のために一帯の閉鎖を行い、また自分たちの邪魔をしないようにと命じている。さらに帳簿係を呼びつけると、市の財政について確認しなければならない事項があるので帳簿を提出するようにと命じた。その後、市の予算と帳簿との照会を行い、予算のうち3557.45マルクを不正な資金として「押収」したのである。帳簿係から受領証への署名を求められると、フォークトは名を「フォン・マールツァーン」(von Malzahn)、肩書きを「第1近衛連隊大尉」(H.i.1.G.R.,「Hauptmann im 1.Garde-Regiment」の略)と記入した。フォン・マールツァーンは彼が最後に収監されていた刑務所の所長の名前だった。 フォークトはランガーハンス市長らから逃亡を試みないよう言質を取った後、近衛兵らに市長らを徴用した馬車でノイエ・ヴァッヘに護送して尋問を行うように命じた。そして残りの兵士たちにはあと半時間ほど市庁舎を占拠するように命じた。自らは住民らの注目を集めながら駅へ向かい、レストランで新聞記者からの取材に応じた後、悠々とベルリン行きの列車に乗り込み平服に着替えて姿を消したのである。 しかし、彼はこの計画をかつて刑務所の同房者に語っていたため、事件から10日後の朝には逮捕されることになる。ベルリンの第2地方裁判所 (Landgericht II) では、彼の「制服の不正着用、公の秩序に対する犯罪、監禁、詐欺、重大な文書偽造」(wegen unbefugten Tragens einer Uniform, Vergehens gegen die öffentliche Ordnung, Freiheitsberaubung, Betruges und schwerer Urkundenfälschung“)に対して懲役4年の判決が言い渡された。しかし1908年8月16日には皇帝ヴィルヘルム2世の勅命に基づく特赦を受け、釈放された。 詐欺の動機については、いくつかの矛盾する説が存在する。フォークト自身が裁判や後に出版される自伝や舞台劇で主張するところによれば、大金ではなく追放処分に従い国外へ移るための旅券が欲しかったための犯行であったという。一方で伝記作家ヴィンフリート・レシュブルク (Winfried Löschburg) は、市の金庫からは実際には2,000,000マルクもの大金が消えていたとして、フォークトの主張は非常に疑わしいと指摘している。また旅券発行はケーペニック市役所ではなく、ベルリンにあるテルトウ郡(ドイツ語版)役場が担当していた。市庁舎占領中にも彼は旅券を探すような素振りは見せなかったという。また逮捕の発端が刑務所の同房者からの証言だった事も、少なくともこの襲撃計画自体は追放処分以前から計画されていたということを示している。なお、その後の裁判では彼の主張が非常に疑わしいとした上で、彼が更生し社会への復帰を行おうとしていたにもかかわらず、環境がそれを認めなかったがゆえの犯行であると判断された。
※この「「ケーペニックの大尉」事件」の解説は、「ヴィルヘルム・フォークト」の解説の一部です。
「「ケーペニックの大尉」事件」を含む「ヴィルヘルム・フォークト」の記事については、「ヴィルヘルム・フォークト」の概要を参照ください。
- 「ケーペニックの大尉」事件のページへのリンク