荒野より (小説)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 15:35 UTC 版)
荒野より | |
---|---|
作者 | 三島由紀夫 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 短編小説 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
初出情報 | |
初出 | 『群像』1966年10月号 |
刊本情報 | |
出版元 | 中央公論社 |
出版年月日 | 1967年3月6日 |
ウィキポータル 文学 ポータル 書物 |
『荒野より』は、三島が死と行動の世界に歩みつつあった晩年初期の時期に書いていた身辺雑記風の心情告白として研究されることが多く、自死に至る三島の心情の過程を見る上で、最晩年に書かれた双生児的な随筆『独楽』としばしば並列され論じられる作品でもある[1][2][4]。
発表経過
1966年(昭和41年)、文芸雑誌『群像』10月号に掲載され、1967年(昭和42年)3月6日に中央公論社より作品集『荒野より』として単行本刊行された[5][6][7]。中公文庫より1975年(昭和50年)1月10日に刊行された文庫版は一時絶版になったが、2016年に改めて発行された[8]。
翻訳版は、Estrellita Wasserman訳によりフランス(仏題:Du fond des solitudes)で行われている[9]。
あらすじ
梅雨時の或る明け方、書斎での徹夜の仕事を終え寝室で眠りについた頃、外部の騒がしい音に目を覚ました「私」は、父親が大声で誰かを制止しているただならぬ気配と、何者かが力強く勝手口の扉を叩く音の異常さに気づき、木刀を持って階下に降りていった。
やがて音は別の場所に移り、2階の妻の寝室の仏蘭西窓が激しく叩かれていた。「私」が階下に戻り、子供たちをどこに隠すか家族と相談していると、ガラスの割れる音がした。2階に行こうとする妻に「私」は木刀を渡し、妻より先に上り、書斎に置いてある、もう一つの木刀を取りに上がった。
カーテンに閉ざされた薄暗い書斎の机の角に、背の高い痩せぎすの青年が立っていた。青年はひどく蒼ざめた顔で、書棚から引き抜いた一冊の百科事典をひろげて見ていた。何をしに来たのかと「私」が問うと、その青年は、極度に緊張した蒼白な顔で、「本を借りに来たんです」とふるえ声で「私」を見つめ、1、2歩近づくように身体が揺れて、「本当のことを話して下さい」とさらに切羽詰った声音で言った。
「本当のこと」とは何かと「私」が聞くと、青年は喘ぎながら、また同じ言葉を繰り返すだけだったが、「私」はなるべく穏やかに、「何でも本当のことを話しましょう」と時間稼ぎをした。そこへ警官らが入って来て青年は取り囲まれたが、再び同じ言葉を叫び、警官になだめられながら大人しく連行された。しかし勝手口から追い出されそうになると暴れ出し、激しく抵抗しながら、なおも首を後方の「私」に向け、「三島さあん!」と何度も絶叫して行った。
警察での聞き取り調書が終り、「犯人」との面通しをした時、青年の表情には先刻の「切実な魂」はなく、「私」はそこに単なる「他人の顔」を見るだけだった。小説家として有名になって以来、「私」はしばしば異様な来客に見舞われ、中には、冷静で狡猾な恐喝まがいの者もあり、そんな悪質で陋劣な輩に「私」は激しい敵意と怒りを覚えるのだが、今度の蒼ざめた青年には全く「悪の匂い」を感じなかった。
「私」は、ふるえて立っている極度に蒼ざめた青年の顔を見た瞬間、自分の「影」がそこに立っているような気がしたのである。しかし「私」は今まで誰かに狂信的に惹かれたことも、狂人であったこともない。「私」が狂的な事件や心理に興味を持つ場合は、それが芸術作品に似た「論理的一貫性」を含んでいる時だけで、その作中人物を「私」が愛する理由は、「〈憑かれる〉ということ」と「論理的一貫性」とが「私」にとっては「同義語」だからである。そしてその「論理的一貫性」は、「無限に非現実的」になる可能性もあるが、同時に「狂気からも無限に遠い」のである。
小説を書くという仕事は、「酒を売る人」に似て、「酩酊」を売るのである。正常な人はそれを「酒」と知った上で、一夜の酔いを楽しみ、醒めれば我に返るが、中にはそれが酒とは知らず、何か有益な飲料と勘違いして悪酔いする人がいたり、元から正常な精神でない人がこれを飲み、その「酒精分」から思わぬ怖ろしい事態を招くこともある。
闖入者の青年の狂気が「孤独」に育まれたものであるのを「私」は一瞥で解したが、その狂気の発現には、「私」の文学作品が介在し、活字を通じて見知らぬ他人の孤独の中へ、小説家の孤独がしみ入っていくのである。今度の闖入事件で、「私」は決して作家が見る機会のない、そういった「読者」の顔を直に見たような気がした。
「私」は普段、「孤独すぎる人間」に「或る忌まわしさ」を感じ、彼らを避け、なるべくなら快活で明るく冗談好きな人たちと過ごしていたいが、「私」の知らない「私」の「精霊」は、陰気な背広を着た「方面委員」のように、孤独な人たちの家々を日夜訪ね歩いている。「孤独の病菌」が充ちていたあの青年を、「私」は今、多少の侮蔑と親しみを込め、「あいつ」と呼ぶ。一体「あいつ」はどこからやって来たのか。警官は「私」に「あいつ」の住所は知らせなかった。
だが「私」には「あいつ」がどこから来たのか分かるような気がしている。「あいつ」は、「私」の心から来たのである。小説家の心は広大で、「あいつ」が考えるほど一色でなく、都会のようにビル街もあれば、並木道や商店街もあり、中央停車場や飛行機、路面電車も走り、野球場や劇場もある。「私」はそのどんな細道も諳んじ、この地図は通常丹念に折り畳まれている。だが、「私」が普段閑却している未開拓の荒涼とした、或る「広大な地域」は、その地図には誌されていない。
「私」の「心の都会を取り囲んでいる広大な荒野」の存在を「私」は知りながらも、足を運ばずにいる。だがそこを「私」は訪れたことがあり、いつかまた、訪れなければならないことを知っている。「あいつ」はその「荒野」から来たのだ。「あいつ」は、本当のことを話せ、と「私」に言ったから、本当のことを話した。
登場人物
- 私
- 三島由紀夫。小説家。妻と子供2人と暮し、両親は同じ敷地内の離れの家屋に住んでいる。執筆作業はいつも夜中にし、明け方から眠る生活をしている。万が一に備え、寝室と書斎に木刀を置いている。警察署には剣道を通じて知り合った知人がいる。
- 青年
- 偏執的な闖入者。狂人的な文学青年。東京で一人暮らしをしながら、或る新聞社に勤めている。両親は東京から遠く離れた土地に暮らしている。前年から2、3度三島邸を訪ね、面会を求めていたが、その度に三島の父母が断っていた。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m 青海健「異界からの呼び声――三島由紀夫晩年の心境小説」(愛知女子短期大学 国語国文 1997年3月号)。(青海・帰還 2000, pp. 58–83)。
- ^ a b c 山内洋「荒野より【研究】」(事典 2000, pp. 135–137)
- ^ a b 佐渡谷重信「荒野より」(旧事典 1976, p. 152)
- ^ a b c d e f 清水昶「日常の中の荒野――『真夏の死』、『孔雀』、『荒野より』、『独楽』」(清水昶 1986, pp. 60–75)
- ^ 田中美代子「解題――荒野より」(20巻 2002, p. 806)
- ^ 井上隆史編「作品目録――昭和41年」(42巻 2005, pp. 440–444)
- ^ 山中剛史編「著書目録」(42巻 2005, p. 597)
- ^ “[https://www.chuko.co.jp/bunko/2016/06/206265.html 荒野より 新装版]”. 中央公論社 (2016年6月23日). 2022年12月11日閲覧。
- ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695–729)
- ^ 佐藤秀明・井上隆史編「年譜 昭和41年6月下旬」(42巻 2005, p. 282)
- ^ a b c 三島由紀夫「荒野より」(群像 1966年10月号)。『荒野より』(中央公論社、1967年3月)、荒野・中公 1975, pp. 10–28、群像18 1990, pp. 367–378、20巻 2002, pp. 517–537に所収
- ^ a b c d e f g h i 奥野健男「『英霊の声』の呪詛と『荒野より』の冷静」(奥野 2000, pp. 391–420)
- ^ a b c d 平岡梓「倅・三島由紀夫」(諸君! 1971年12月号-1972年4月号)。「第三章」(梓 1996, pp. 48–102)。
- ^ 江藤淳「文芸時評」(朝日新聞夕刊 1966年9月27日号)。江藤 1989, pp. 373–377に所収。事典 2000, p. 135に抜粋掲載。
- ^ a b c 山本健吉「文芸時評」(読売新聞 1966年9月27日号)。山本 1969, pp. 426–427に所収
- ^ 三島由紀夫「危険な芸術家」(文學界 1966年2月号)。荒野・中公 1975, pp. 124–126、美学講座 2000, pp. 54–56、33巻 2003, pp. 632–634に所収
- ^ a b c 磯田光一「文化主義に背くもの――『荒野より』について」(図書新聞 1967年4月1日号)。「三島由紀夫と現代 文化主義に背くもの――『荒野より』について」(磯田 1979, pp. 137–140)
- ^ a b c d e 佐伯彰一「《評伝・三島由紀夫》――二つの遺作」(『三島由紀夫全集』3巻-4巻、6巻、10巻、13巻、17巻-19巻月報付録)(新潮社、1973年-1974年)。「第二部 追想のなかの三島由紀夫――(一)二つの遺作」(佐伯 1988, pp. 77–126)に所収
- ^ a b c 村松剛「解説」(荒野・中公 1975, pp. 313–319)。「I 三島由紀夫――その死をめぐって 『荒野より』」(村松・西欧 1994, pp. 30–37)に所収
- ^ a b c d e 中上健次「三島由紀夫の短編」(群像18 1990, pp. 306–308)
- ^ a b c d e f g h 佐藤秀明「序章 三島由紀夫の『荒野』」(佐藤 2006, pp. 9–19)
- ^ 澁澤龍彦「絶対を垣間見んとして……」(新潮 1971年2月号)。澁澤 1986, pp. 75–85に所収
- ^ 大野晋『日本語練習帳』(岩波新書、1999年1月)
- ^ 井上隆史編「作品目録――昭和45年」(42巻 2005, pp. 456–460)
- ^ 山中剛史編「著書目録」(42巻 2005, p. 615-616)
- ^ 三島由紀夫「ドナルド・キーン宛ての書簡」(昭和45年2月27日付)。ドナルド書簡 2001, pp. 190–192、38巻 2004, pp. 447–449に所収
- ^ a b 徳岡孝夫「第八章 いつ死ぬ覚悟を?」(徳岡 1999, pp. 209–210)
- ^ a b c d 鈴木亜繪美「第一章 曙(五)『楯の会』百人の兵隊――五期生 須賀清の証言」(火群 2005, p. 69)
- ^ 田中美代子「解説――まだ文学が神聖だった頃」(遍歴エッセイ 1995, pp. 275–282)
- 荒野より (小説)のページへのリンク