人力車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 06:59 UTC 版)
日本では、主に明治・大正期に移動手段とし用いられた[1]。現在では「観光人力車」が観光地などで使われている[2]。
概要
車軸の両側に1つずつ車輪を持ち、上に乗客が座る台座と雨避けとなる覆いを備え、台座とつながれた柄を俥夫(しゃふ)が曳いて進む。一部には手押し車のように後ろから押して進む車もあった。
日本語では、略して人力(じんりき)、力車(りきしゃ)。車夫はまた車力(しゃりき)とも言った。また英語のRickshaw(リクショー)は「リキシャ」を語源とする日本語由来の英単語。
人力車に関する車の文字は全て俥とも表記した。俥の字は本来はシャンチーの駒である「俥 (ヂィー)」に使われるだけの漢字であったが、明治以降の日本において中国にそのような漢字があることに気付かずに、人力車を表すために作られた国字の一種である(中国に元々あった漢字の字体に暗合したものであるので、正確には国字ではない)。そのため「俥」(くるま)一文字だけで人力車を表している。この他に、明治時代頃の表記では車編の右上に人を、その下に力を書いた合字を書く例もあった[3]。
人力車には乗客が一人乗りのものや二人乗りのものなどがあるが、日本で普及したのは一人乗りのものが圧倒的に多かった。また車夫は通常1人だが、特に急ぎの場合などは2人以上で引いたり、時には押したり、交代要員の車夫が併走したりすることもあった。
日本における人力車
旅客輸送として
1870年(明治3年)和泉要助が発明したと言われる。江戸時代以前には存在せず、代わりに輿や駕籠が使われていた。馬車や馬車鉄道、大砲や荷車を曳かせる軍馬のために街道の道路状況が整地・舗装など整備され普及した。その後、鉄道、自動車の普及により、都市圏では1926年頃、地方でも1935年頃をピークに減少し、戦後、車両の払底・燃料難という事情から僅かに復活したことがあるが、現在では一般的な交通・運送手段としての人力車は存在していない。
東京銀座7丁目に、日本で唯一という芸者送迎専用の人力車の車宿「日吉組」がある[4]。日吉組は旧地名の日吉町にちなんだ名で、所属の車夫・久は映画『あげまん』にも登場し、幌で覆われた一人用の人力車で芸者を送る場面が描かれた[5]。
また、車椅子に着脱式の持ち手を装着して人力車スタイルにし、障害者や高齢者の移動を助ける補助装置が開発されている[6]。
道路交通法
後述「法令」も参照。軽車両となるため歩道上や自転車道上に駐停車はできない(東京浅草の車道上には人力車専用の駐車スペースがあり駐車禁止除外となっている)。
保存
昭和初期までは一般的に存在した庶民的な車両であるため、交通博物館(2006年5月14日に移転の為閉鎖)をはじめ、各地の博物館や資料館などで保存されている。ただし、展示されている人力車には修復されたものや展示のために新たに製造されたものもある。
観光用として
現在は主に観光地での遊覧目的に営業が行われている。人力車を観光に最初に用いたのは1970年の飛騨高山のごくらく舎である。後に京都や鎌倉などでテレビ番組等で度々紹介されて、各地に普及した。当初は京都といった風雅な街並みが残る観光地、又は浅草などの人力車の似合う下町での営業が始まり、次第に伊東温泉、道後温泉といった温泉街や、大正時代風などレトロの街並みが残る門司港、有名観光地である中華街などに広がっていった。観光名所をコースで遊覧し、車夫が観光ガイドとして解説してくれるものが一般的である。
現在、観光用人力車の営業が行われている地域は以下の通りである。
- 北海道・東北地方:北海道小樽市、角館(秋田県仙北市)。
- 関東地方:東京都浅草雷門、埼玉県川越市、千葉県成田市、神奈川県の鎌倉や横浜中華街、箱根。
- 東海地方:静岡県伊豆半島の伊東温泉や松崎町、駿府城公園(静岡市)[7]、掛川城周辺(掛川市)[8]。岐阜県高山市や郡上八幡、伊勢神宮(三重県伊勢市)。
- 近畿地方:大阪府新世界 (大阪)、京都市(嵐山・左京区・東山区)、奈良公園(奈良市)、姫路城(兵庫県姫路市)。
- 中国・四国地方:倉敷美観地区(岡山県倉敷市)、道後温泉(愛媛県松山市)。
- 九州地方:門司港レトロ地区(福岡県北九州市)、由布院温泉(大分県由布市)。
観光人力車の乗車料金は10分程度の移動時間中に観光案内を含めた初乗り運賃が1人当たり1000 - 2000円から15分・30分・60分・貸切など様々である。2人乗りのものに3人乗車することも可能であるが、相当な重さになることから、観光人力車では料金を割り増しとするものが多い。到着した後の観光客への観光案内時間中の駐輪場所の整備、客待ち時における待機場所の整備が遅れているといった課題がある。
観光人力車の他、結婚式や祭などでの演出や、歌舞伎役者の「お練り」などに使用されることがある。
人力車の製造
観光人力車や博物館展示用の人力車製造が続けられている。製造台数の多いメーカーとしては静岡県伊東市の株式会社升屋製作所。
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浅草雷門の人力車(2007年12月2日撮影)
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埼玉県川越市(2009年)
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舞妓装束の観光客(京都)
人力の車について
アジア各国へ輸出され、特にインドでは、明治40年代、年間1万台が日本から輸出され、リキシャなどの名前で地元に根付いていたものの、その後、多くはサイクルリクシャー、オートリクシャーに置き換えられた。
日本
平安時代以降、貴族が乗る人力の輦車、手車がある。これは車輪がついた篭を前後の人間の力で移動させるものである。その他、肩に担ぐ駕籠、輿でも運ばれた。
韓国
香港の人力車
1874年に日本から輸入された人力車が運用を開始した。広東語読みして「人力車 ヤンリッチェー」と呼んだ。1920年代には約2000台が運用されていた。 1980年代は、香港島、九龍半島のスターフェリー乗り場などに観光用の人力車があった。2013年の時点でライセンスは3名が持っていたが、乗車は電話予約が必要であった。しかし、2021年末に新型コロナと車夫の高齢化(70歳)による健康状態悪化を理由として、最後の一人が廃業した。本物の人力車に代わって、香港島のスターフェリー乗り場から市内観光路線(H1)で、オープントップの二階建てバスに人力車のデザインを取り入れた「人力車觀光巴士」[10]というものがあり、人力車と同じような幌が後方に付けられている。
インドの人力車
- 1919年、コルカタ市が正式な交通手段として認定する。
- 1972年以降、コルカタではいくつかの通りで人力車が禁止された。
- 1982年、市当局は1万2000台以上の人力車を押収し、廃棄した。
- 1992年の調査では、3万台以上の人力車が営業中で、そのうち6000台が違法車両や未許可車両であった。
- 新しい許可は1945年以降出されていない。
インドでは、しばしばリキシャはリクシャとも発音される。人力車の運転手をリクシャワーラーまたはリクシャプーラーと言う。
料金は1回の移動につき2、3ドルである。リクシャワーラーのほとんどは簡易な宿舎に住み、仕送りをするために節約している[11]。
2005年8月に西ベンガル共産政府は完全に人力車を締め出す計画を発表したが、リクシャワーラーの抗議とストライキに終始した[12]。
2009年現在、かなりの数の人力車がコルカタにまだ残っており、約8000台、2万人の車夫がいるとされる。リクシャワーラーの組合は、人力車の禁止に強く反対している。
- ^ 精選版 日本国語大辞典「人力車」
- ^ “「200kgの車体を引いて毎日20km以上走る」最年長52歳の人力車夫がこの仕事にこだわるワケ 若い車夫たちの「見本」になりたい”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2021年10月27日). 2022年3月23日閲覧。
- ^ 伊藤晴雨『江戸と東京風俗野史 : いろは引』成島乙次, 弘文館(発売)、1927年。doi:10.11501/1186793。全国書誌番号:46078011 。
- ^ 日吉組出没アド街ック天国、テレビ東京、2005年11月19日(土)放送
- ^ 『 [あげまん] 可愛い女の演出術(メイキング) 』 (1990)
- ^ 車椅子を”引いて”移動をサポートする「JINRIKI」があれば、安心して段差を乗り越えられるNPO法人soar、2018/03/20
- ^ 五條満:人力車引く82歳 現役です◇定年後始めて20年、お客さんと「タイムトラベル」◇『日本経済新聞』朝刊2018年10月22日(文化面)2018年10月28日閲覧。
- ^ 学生による「人力車事業」で城下町を活性化 常葉大学大学ジャーナルオンライン(2015年11月20日)2018年10月28日閲覧。
- ^ Needham, Volume 4, Part 2, 259.
- ^ “人力車観光バス”. Hong Kong ナビ. 2016年3月30日閲覧。
- ^ Eide、1993。
- ^ WebIndia、2005。
- ^ 週刊ポスト 2011年2月18日号 巻頭部グラビア。人力車は座席の底部がまるく、人物は洋傘と帽子、車夫は日本人の鉢巻き姿というシルエット。必ずしも日本製という根拠はない。明治初年というのは、この雑誌の写真解説。
- ^ 東京府下和泉要助外二名ヘ人力車発明ニ付賜金 国立公文書館 デジタルアーカイブ 画像データ表示
- ^ 新聞雑誌25号
- ^ a b c d e 浅井建爾 2001, p. 248.
- ^ 明治9年東京府管内統計表。
- ^ Powerhouse Museum, 2005; The Jinrikisha story, 1996、ほかいくつかのウェブサイトより。
- ^ 吉見俊哉1987『都市のドラマトゥルギー』
- ^ 京急電鉄120年の歴史は大師線から始まった - 開業当時の経路を歩く | マイナビニュース
- ^ a b 『国権と民権の相克』、308頁。
- ^ 日本労働運動史料2 労働運動史料委員会編
- ^ 東京社会新聞3号
- ^ 中外商業新報
- ^ 東京朝日新聞
- ^ 人力車、東京駅から姿消す『東京日日新聞』1938年(昭和13年)4月1日夕刊
- ^ “人力車”. 94才のホームページ. 2012年5月1日閲覧。[出典無効]
- ^ “UNESCO - Rickshaws and rickshaw painting in Dhaka” (英語). ich.unesco.org. 2023年12月9日閲覧。
- ^ 高峡「人力車夫へ「下降」の現象について―樋口一葉文学の人力車夫モチーフ―」『多元文化』第8巻、名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化専攻、2008年3月、135-148頁、doi:10.18999/muls.8.135、hdl:2237/10159、ISSN 1346-3462、NAID 120000976397。
- ^ イントロダクション映画『力俥-RIKISHA-』公式サイト
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