MiG-23 (航空機) 概史

MiG-23 (航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 02:49 UTC 版)

概史

主翼下にR-23中射程ミサイル、胴体下にR-60短射程ミサイルを搭載したポーランド空軍のMiG-23MF
可変翼の駆動機構、東ドイツ空軍で使われた後にドイツ博物館航空分館へ収蔵された機体

開発

1960年代ミグスホーイ両設計局がSTOL用リフトエンジン搭載有尾翼デルタ翼機と可変翼機の製作を指示されたのが始まりである(ミグは1960年代初めから可変翼機の研究をしていたが、当時は技術的に困難であった)。ミグは新型機を製作するにあたり、リフトエンジン2基を搭載する実験機23-31(MiG-21DPD)を1966年に製作し、この機体のデータを基にしたSTOL機23-01(MiG-23DPD)と、可変翼の23-11[注 1]MiG-23)を同年に製作した。翌年の実験で23-01が機体重量と機内空間が有効に使用できないことや飛行時での不安定性があり、整備面でもこの方式が実用的でないことが判ると、23-11が採用された。

可変翼は、胴体中央にある固定翼部外側にピボット軸を取付けて、その外側にある外翼部がピボット軸を回転軸として回転することで後退角を変化させる仕組みとなっており、アメリカ合衆国の開発したF-111戦闘攻撃機戦闘爆撃機と呼ばれることもある)やF-14戦闘機ヨーロッパで共同開発されたトーネード攻撃機など1960年代後半から1970年代前半の軍用機に共通する特徴で、このような航空機は可変翼機と呼ばれている。この時期の軍用機は敵に滑走路を破壊された場合の対処方法を重要視して設計されており、離着陸距離を短縮できる可変翼機や滑走路を必要としないVTOL、STOL機に大きな関心が集まっていた。可変翼は、高速で飛行する際は翼を後退させて抵抗を減らし、離着陸や低速飛行の際は前に広げて揚力を大きくすることができるため、MiG-23も可変後退翼の採用によって、離着陸距離を短縮している。

ただしF-14の可変後退翼はさらに進歩しており、後退角や後縁フラップを自動コントロールにして空中格闘戦能力が大幅に向上していた。一方後退角を手動で制御するMiG-23の前期型(MiG-23Mなど)までは格闘戦能力の向上効果は無く、MiG-23の可変翼は、SPK-1システムを介して油圧により16-72度の範囲で後退角が変わるものであったが、戦闘時には主翼を45度の中間位置に固定させるようになっていた。しかし後期型のMiG-23MLDでは、戦闘時の後退角度は33度に変更され、後退角度制御こそ手動のままであるが、前縁フラップは自動制御になり、格闘性能を向上させている。主翼には、後縁に単隙間フラップと上面にスポイラーを装備しており補助翼はなく、前者は前縁フラップと連動して空戦フラップとして機能して、後者は後述の全遊動式の水平尾翼の組合わせにより機体のローリングの操縦を行う。尾翼は前縁後退角65度の垂直尾翼と前縁後退角57度の全遊動式の水平尾翼があり、胴体背部には垂直尾翼まで伸びるドーザル・フィンが取付けられている。後部胴体中心線の下面には、油圧により右側に折り畳まれる構造の大型のベントラル・フィンが取付けられており、離着陸時には、降着装置と連動して作動する。また、水平尾翼下の後部胴体側面の左右にエアーブレーキを装備している。

機首に搭載するレーダーは、初期の機体には、MiG-21と同じJバンドを使用するRP-22サフィール21(NATOコードネーム ジェイ・バード)火器管制レーダーを装備しており、最大捜索距離は29km、目標の最大追跡距離は19.3kmの性能を持ち、全天候迎撃能力は制限されたものであったが、その後の機体には、同じくJバンドのパルス・ドップラー・レーダーを使用した、サフィール23D-Sh(NATOコードネーム ハイラーク)を装備しており、最大捜索距離は80.4km、目標の最大追跡距離は56.3kmと大幅に性能が向上した。その後の発展型には、サフィール23ML(NATOコードネーム ハイラーク2)やルックダウン・シュートダウン能力を付与したサフィール23Pなどの能力向上型を装備している。

武装は、胴体中心線に23mmのGSh-23L機関砲を装備しており、ハードポイントは胴体中央下面・主翼固定部・可変翼に兵装パイロンを装備している。

燃料容量は機内に4,650-4,700ℓを搭載でき、さらに最大で2,370-2,400ℓを増槽に入れて搭載することができる。

MiG-23は本来、前線の制空権を確保するための前線戦闘機であるため、空中戦のみならずある程度の対地攻撃能力も持つよう設計されていた。MiG-23MLなど、後期型では種別は多用途戦闘機に変更されている。また、特に対地攻撃を重視した派生型もあり、その内ソ連空軍向けに開発された機体はMiG-27と呼ばれている。一方その輸出向けの機体の名称はMiG-23のままであった。

発展

戦闘機型としては、初期レーダー搭載型MiG-21同様のサプフィール21レーダーを搭載した初期生産型のMiG-23S、本来のサプフィール23を搭載し1970年代ソ連空軍の主力となったMiG-23M、及びそのダウングレード・輸出型のMiG-23MSとワルシャワ条約機構向けの輸出型MiG-23MF、機体構造を全面的に見直しエンジンを換装した後期型のMiG-23ML、その防空軍向けの迎撃戦闘機型MiG-23P、それに準じた空軍向けのMiG-23MLA、第4世代機に対応するための改良型MiG-23MLDとその輸出型などがあり、戦闘爆撃機型には輸出向けのMiG-23BN、ソ連空軍向けのMiG-27/K/M/D及びインド空軍向けのMiG-27ML、その他練習機型の前期型MiG-23UBと後期型MiG-23UMなどがある。艦上攻撃機型MiG-27は量産されなかった。なお、攻撃機型MiG-23/27シリーズの国内対抗機と言える機体にSu-17はいずれも前線偵察機としても使用されたが、MiG-23/27シリーズには偵察能力は付与されなかった。

配備

MiG-23は、ブルガリアルーマニアポーランドチェコスロバキアといった東側諸国へ相当数が輸出され、その他にはアルジェリアインドといったアジアアフリカなどの非同盟諸国キューバアンゴラといった社会主義共産主義諸国にも輸出された。中ソ対立を起こしていた中華人民共和国は同様にソ連と対立し始めたエジプトからMiG-23を入手してJ-8IIなどの開発に役立てた[1][2]。また、日本周辺では北朝鮮に約46機が配備されており、2003年3月にMiG-29 9-13と共に米軍偵察機RC-135を迎撃、2009年4月5日に行われた北朝鮮によるミサイル発射実験の際に北朝鮮側のMiG-23が周囲を警戒、うち1機が原因不明で墜落した。2010年11月23日に発生した延坪島砲撃事件においては、北朝鮮側は砲撃直前にMiG-23戦闘機5機を出動させ、哨戒任務を行っていた。

しかしながら、冷戦終結に伴う各国の予算逼迫と経年劣化によりMiG-23の多くは既に退役しており、ヨーロッパでは2002年10月のブルガリア空軍からのMiG-23MLA/MLD/UBの退役を最後に姿を消した。これら多くの国でMiG-23/27の退役が進む一方、2005年になってアンゴラはロシアに対し自国のMiG-23を能力向上型のMiG-23-98に改修する契約を結んでおり、2007年現在実際に改修されたとされる機体の写真が公表されている。また、リビアのMiG-23MLAもウクライナでオーバーホールを受けている。コンゴ民主共和国では、新規に中古の複座型が導入されている。コートジボワールでは、フランス軍によって破壊された同国のSu-25UB(旧ベラルーシ空軍機)の補完として旧ブルガリア空軍機のMiG-23MLD(輸出型)が輸入されている。

戦果

MiG-23は、対戦闘機戦闘においては、使用国自体の体制的な問題もあり、西側製の戦闘機に多くの場合敗れている。リビア空軍機をアメリカ海軍機が撃墜したことはアメリカ合衆国によって広く宣伝された。また、イスラエルも同様に自国の戦果を大きく宣伝しており、多数のMiG-23を撃墜し自らの損害はごく僅かであったとしている。中東戦争やその後の消耗戦、イラン・イラク戦争及び湾岸戦争以降のイラクでも多くの機体が撃墜・破壊されたとされている。一方で、主翼が前進状態であればそれなりに敏捷であり(後退して翼幅が狭くなっているとスポイラーの効きが悪くてロール率が低下するから)、アンゴラでは、ミラージュIIIインパラとの至近距離(半マイル(およそ800m)程度と言われる)のドッグファイトで後ろに回りこみ、相手を撃墜している。実戦においてより大きな役割を果たしたのは攻撃機型で、インドスリランカエチオピアなどでの働きが知られている。

リビア対アメリカ合衆国
1989年1月4日にリビア空軍のMiG-23MSアメリカ海軍F-14Aの攻撃により撃墜されるという事件が起こった。この事件は、1989年のシドラ湾事件と呼ばれる。
なお、このとき撃墜された機体がMiG-23MSであるとするのはロシア側の資料であり、アメリカ合衆国側の情報ではこれはMiG-23MLであったということになっている。
シリア対イスラエル
1982年6月のベッカー高原空中戦では、シリア空軍のMiG-23MSがF-16AF-4Eなど12機を空中戦で撃墜したとシリアによって公表されている。なお、MiG-21F-15をはじめとする5機を撃墜したとされている。一方、ソ連の資料に拠ればシリア空軍の空中戦の戦果はすべてMiG-23によるものであり、5機を撃墜、損失は6機であった。また、イスラエルに拠れば同国国防軍空軍は十数機のMiG-23を撃墜したとし、空中戦における損害は皆無であったとしている。
その後もイスラエルとシリア空軍はしばしば衝突を繰り返していたが、ソ連の資料に拠れば、シリア空軍に新型のMiG-23MLが供給されてより短期間のうちに3機のF-15を撃墜し、MiG-23MLの損失は皆無であったとされている。ただし、このF-15の撃墜に関しては、ミサイルが刺さったまま帰還した例など複数あり、これらの事象もあって、日本をはじめとする西側諸国では、F-15は自軍機による撃墜を除くと一度も撃墜されたことのない「無敵の戦闘機」であるとされており、イスラエルの記録ではMiG-23全機種を通算して20機以上の撃墜が報告されている。
イラン・イラク戦争
1982年9月22日から始まったイラン・イラク戦争では、イラク空軍のMiG-23MS/MLが7機のイラン空軍機を撃墜したと主張されており、そのうち一機はF-14であることが確認されている。
なお、イラクのMiG-23MLにはミラージュF1EQ-5/6からパイロンを流用し、エグゾセ対艦ミサイルを搭載できるよう改修された機体があった。この場合、エグゾセを機体中央線下に装着するため、本来の固定装備の連装機関砲は取り外されていた。
湾岸戦争
1991年1月17日から始まった湾岸戦争においては、開戦初日にイラク空軍のMiG-23MLがイタリア空軍トーネード1機を撃墜したと主張されている。実際、同日にイタリアのトーネード1機が原因不明の未帰還となっているので、イラク側の主張が正しい可能性はあると思われる。但し、MiG-29によるとする説もある。一方多国籍軍は、合計8機のMiG-23を空中戦で撃墜したと主張している。
なお、湾岸戦争前に海外へ補修などに出されていたイラク空軍の機体は、東ドイツへ渡されていたMiG-21bisをはじめどれも本国に返還されなかったが、MiG-21bis/UMなどとともに1機のMiG-23MLAもユーゴスラビアから返還されなかった。この機体は他のMiG-21などとともにユーゴスラビア空軍及び防空軍に編入されたのち、現在ではセルビアの博物館に野外展示されている。
アンゴラ
アンゴラでは、同国空軍及び支援していたキューバ空軍のMiG-23が南アフリカ共和国インパラミラージュF.1CZとしばしば空中戦を行った。こうした中、南アフリカもインパラ、ミラージュF1各1機の損失を認めている。
インパラは練習機兼用の攻撃機でMiG-23の方が圧倒的に高い能力を持っているものの、MiG-23とミラージュF1とでは機体の決定的な性能差はなく、むしろ南アフリカの搭載ミサイルであった短射程ミサイルR550マジックとアンゴラが使用したR-24の差異に拠るところが大きいと言われる。なお、アンゴラのMiG-23の機上レーダーは南アフリカの戦闘機のレーダーより高性能であったが、その稼働率は極めて低く、レーダーの性能差によるアドバンテージは得られていなかったと考えられている。また、これと関連し、レーダー誘導ミサイルの稼働状況も万全なものではなかったとの説もある。
戦果の一方で、当時最新型のMiG-23MLAをはじめ数機が南アフリカ共和国軍の戦闘機の機関砲によって損害をうけており、また、地対空ミサイルの攻撃により撃墜されている。なお、アンゴラではキューバ空軍のMiG-23BNも活動していた。
冷戦が終了するとキューバは撤退したが、そのためアンゴラ政府軍は苦境に立たされた。アパルトヘイトの廃止後南アフリカ共和国と停戦したアンゴラ政府は、1990年代半ばより南アフリカ共和国の元軍人の創設した民間軍事会社エグゼクティブ・アウトカムズ社に支援を求め、アメリカ合衆国のCIAの支援により政府に対するテロ行為を行ってきた反政府ゲリラに対する戦闘を続行した。その結果政府軍はゲリラ側を圧倒し、どうにか和平に漕ぎ着けることに成功した。この戦闘において、南アフリカ共和国空軍の元パイロットであった社員はかつての敵機MiG-23MLAに対し、特に23mm連装機関砲の対地攻撃における威力は素晴らしいという評価を下している。また、同じく傭兵としてMiG-23MLAに搭乗したオランダパイロットは、自身が操縦したF-16Aと比べて、垂直面の運動性はMiG-23が勝り、水平面での運動性も劣らないと評している。
なお、アンゴラでは1990年代以降中古のSu-27SKSu-25を導入しているが、これらは古いMiG-21MF/bisやSu-22(Su-17M2の輸出型)などの代替であり、MiG-23MLAはMiG-23-98仕様に改修されて今後も使用される予定である(MiG-23MLAより古いMiG-23MFについては不明)
ソ連のアフガニスタン侵攻
MiG-23が実戦活動を行った軍事行動の中で最もよく知られているのはソ連のアフガニスタン侵攻である。この戦争では戦闘機型のMiG-23も主として地上目標に対する攻撃任務に投入されたが、空中戦における戦果も報告されており、ロシアの情報に拠れば、MiG-23MLDがR-60によってパキスタン空軍のF-16A 1機を撃墜したとされている。パキスタンはこの損失を認めているが、自軍機の誤射によるとしている。またパキスタン側は、この時の空中戦でMiG-23MLDを二機とも撃墜したと主張しているが、実際はMiG-23の1機が損傷したのみで、基地に帰還している。
また、ソ連のアフガニスタン侵攻に際してはMiG-27各型が空軍戦力の主力として投入されたが、アフガニスタンの複雑な地形に悩まされ思ったような成果は挙げることができなかったようである。
大韓航空機撃墜事件
大韓航空機撃墜事件の際にはソ連防空軍のMiG-23P数機が迎撃に上がりSu-15TMを補佐、結果、Su-15のR-98ミサイルによる旅客機の撃墜に至った。一部では、MiG-23が撃墜したとする情報も流れたが、MiG-23は迎撃には参加したものの実弾は発射しなかった。
アフリカの角
エチオピアは隣国エリトリアとの戦争においてMiG-23BNを航空戦力の主力としていた。一方、エリトリアもMiG-23BNを用いエチオピア側を攻撃した。
スリランカ
スリランカ空軍のMiG-27Mは、タミル・イーラム解放の虎(LTTE)への切り札としてMi-24V/Pなどとともにウクライナから輸入され、同じくイスラエルから輸入されたクフィルC7とともに主力爆撃機として使用された。
これら大幅な戦力の増強によりスリランカ政府軍はLTTEを力で屈させることに成功した。
インド対パキスタン
インド空軍へは、それまでのSu-7BMKHF-24マルートの代替としてMiG-23BNとMiG-27MLが配備されたが、そのうち1機のMiG-27MLがパキスタンとのカシミール地方を巡る紛争で対空砲火によって失われている。
リビア
リビアとエジプトチャドとの戦闘でもリビア空軍のMiG-23が使用されたとされている。2011年リビア内戦では、MiG-23MLなどが多国籍軍の戦闘機などと交戦し1機が空戦の末に撃墜されている。
朝鮮民主主義人民共和国
2003年3月に、2機のMiG-23がMiG-29 9-13と共同で米軍RC-135偵察機に対しスクランブル発進を行い接近し威嚇した。

注釈

  1. ^ 試作機の名称はYe-23I
  2. ^ それ以前の機体には、可変翼の最前進位置用の兵装パイロンしかなく、後退角が変わると大きな空気抵抗を発生させるためほとんど使用されなかった。
  3. ^ この際、パイロットが「ミサイルはやめろ。また叩かれる。」と大韓航空機事件を仄めかす発言をしている。

出典

  1. ^ “长城拥抱苏伊士:中埃军事合作的那些事儿”. 360doc个人图书馆. (2015年9月8日). http://www.360doc.com/content/15/0908/10/7536781_497643422.shtml 2018年8月27日閲覧。 
  2. ^ “我国通过埃及获得的米格-23MS出口型战斗机”. 空军世界. http://www.airforceworld.com/fighter/Mig-23MS-China-import-from-Egypt.htm 2018年8月1日閲覧。 
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