小豆島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 22:00 UTC 版)
歴史
小豆島について文献に見える最古の記録は『古事記』の国産みの段で、伊邪那岐命と伊邪那美命のまぐわいにより「小豆島」(あずきしま)、亦の名を「大野手比売」(おおぬでひめ、おおぬてひめ、大鐸姫、阿豆枳島神社の祭神)が生まれたと記述されている。「おおぬでひめ」の「鐸」は銅鐸のことで、実際に三五郎池の西側から銅鐸が出土している。
小豆島は古代から吉備国児島郡に属し、吉備国が分割された後も備前国に属すなど、中世までは本州側の行政区画に組み込まれていた。平安時代初期からは皇室の御料地となるが、1347年(貞和3年)にはそれまで南朝に呼応して島を支配していた飽浦信胤が細川師氏に攻められて倒されて以後、島は細川氏領となり皇室領は解体された。またこの細川氏は讃岐国守護であり、この時から政治的な支配者という側面では本州側の手を離れ、四国側に移っている[6]。
実質的にはこの時(1347年(貞和3年))から小豆島は讃岐国へと所属が変わっているが、書簡などに見られる名称に讃岐国あるいは讃州という呼称は定着せず、依然として備前国という呼称が用いられていた。このような状態は江戸時代の1689年(元禄2年)の文書まで見られたが、以降、宝永年間からはようやく讃岐国あるいは讃州という呼称が定着し、備前国という表示は行われなくなった[7]。
小豆島は大阪以西における海上交通の要衝地であるため、1585年(天正13年)に豊臣秀吉の蔵入地(直轄領、後の天領)になって以降、その重要性から時の中央政権が直接領有する時代が続いた。
大坂の陣後、江戸幕府が大坂城を再建するにあたって新しい石垣を造営するために西国の諸大名は幕府の許可を得て小豆島の各地に石丁場を設置した。記録で知られるところでは福岡藩黒田家、熊本藩加藤家、小倉藩(後に熊本藩)細川家、竹田藩中川家、安濃津藩藤堂家、松江藩堀尾家、柳川藩田中家、佐賀藩鍋島家、広島藩浅野家の石丁場が知られている。石丁場は公儀普請の際に当時の島の代官であった小堀政一(没後は大坂町奉行・大坂舟奉行に権限を移管)の許可を得て初めて石を切りだせることになっていたが、良質な石を得られる場所は貴重であったために諸大名はいつ生じるかも分からない公儀普請に備えて石丁場を保持し続けた。石丁場を持っていた大名が改易になると新領主がその石丁場を継承することもあったが、そうした大名が現れなかった石丁場では公儀の許可を得た商人による請負に転換され、そうした場所では限定的ながら商用に用いることも許されることになった[8]。
地区 | 1708年(宝永5年)- 1712年(正徳2年) |
1721年(享保6年)- 1739年(元文4年) |
1740年(元文5年)- 1829年(文政12年) |
1830年(天保元年)- 1837年(天保8年) |
1838年(天保9年)- 明治維新 |
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池田村 | 幕府領 (高松藩預地) |
幕府領 (高松藩預地) |
幕府領 (倉敷代官所など) |
幕府領 (倉敷代官所など) |
津山藩領 |
土庄村 | |||||
淵崎村 | |||||
上庄村 | |||||
肥土山村 | |||||
小海村 | |||||
草加部村 | 幕府領 (伊予松山藩預地) |
幕府領 (倉敷代官所など) | |||
福田村 | |||||
大部村 |
江戸時代初期までの間は小豆島が4つの庄に分かれたうち、池田地区は池田荘(池田郷)となる。そののち、小豆郡のうち東部三郷(草加部、福田、大部)は江戸幕府直轄の天領(倉敷代官所管轄)として、池田地区とも幕府の天領地となる。西部六郷は津山藩領として統治された。また天保年間、池田郷は津山藩の領地となる。明治初期には廃藩置県により小豆島は倉敷県に属したが、その後は香川県に属する。一時は香川県が統廃合を繰り返したため、名東県、愛媛県と所属を香川県と一にするが、最終的には香川県となる。
現在も土庄町が岡山県津山市と歴史友好都市交流を行うのを始め、香川県はもとより岡山県側の岡山市、玉野市、倉敷市、備前市、兵庫県赤穂市、姫路市など瀬戸内海北岸地域との結びつきも深い。
年表
近世
- 1585年、羽柴秀吉が小西行長に小豆島1万石を与える。
- 1586年、小西行長がグレゴリオ・デ・セスペデス神父を島に派遣し、キリスト教が伝わる。
- 1588年、天領になる。
- 1598年、伊勢参りに行った島民が三輪の素麺作りを学び、島独特の手延べそうめんを作り上げる(小豆島そうめんの起こり)。
- 1620年、大坂城修復の際、小豆島より多くの石が採られ運ばれる。
- 1637年、肥前島原で発生した島原の乱で多くの農民が殺害されたため、小豆島からも島原半島南部に移住が行われる。その際に手延べそうめん技術も島原に移入され、現代では長崎県南島原市は手延べそうめん製造でライバルとなっている。
- 1686年、島の仏教僧侶により、小豆島八十八ヶ所霊場が整備される。
- 1804年、高橋文右衛門が島外へ向けて醤油の製造販売を開始(小豆島醤油産業の起こり)
- 1858年、加登屋製油所が創業(現在のかどや製油)。
近代・現代
- 1907年、「丸金醤油株式会社」設立(現在はジャパン・フード&リカー・アライアンス)。
- 1908年、西村地区にてオリーブの栽培が開始される(小豆島オリーブ産業の起こり)。
- 1931年、豚熱が発生。島内でブタ2129頭死亡[9]。
- 1934年、寒霞渓(神懸山)が日本初の国立公園(瀬戸内海国立公園)に指定される。
- 1945年、武部吉次が島外へ向けて佃煮(葉柄佃煮)の製造販売を開始(小豆島佃煮産業の起こり)
- 1954年、小豆島を舞台とした映画『二十四の瞳』が公開、大ヒットとなり観光ブームが訪れる。
- 1957年、小豆郡大部村が土庄町に編入。これより小豆島は土庄町、池田町、内海町の3町体制となる。
- 1974年、7月6日から7日にかけて梅雨前線による集中豪雨。島の東側で土石流や山腹崩壊などの土砂災害が頻発して、死者・行方不明者27人、負傷者10人[10]。
- 1989年、ギリシャのミロス島と姉妹島提携を結ぶ。
- 2006年、池田町、内海町が合併。小豆島町となり、小豆島は2町体制となる。
- 2010年より3年ごとに瀬戸内国際芸術祭が開催される。
- 2013年、離島振興法により離島振興の対象地域となる。
注釈
- ^ 小豆島の西方3.7kmに位置する豊島も、行政区分は香川県小豆郡に属す。
- ^ 瀬戸内海では他に大崎上島(広島県)、直島(香川県)などが離島振興法の指定を受けている。
- ^ 1952年(昭和27年)に発表された小説の『二十四の瞳』では、冒頭に「瀬戸内海べりの一寒村」とあるだけで、全編にわたって具体的な地名は示されず、「離島」か「本土」かも示していない。しかし、2年後の1954年(昭和29年)公開の映画『二十四の瞳』では、舞台を、作者の故郷である香川県の小豆島と設定した。
- ^ 原作では小豆島が舞台だと明言されて無いが、作者の山本崇一朗が小豆島出身であり、アニメの作中において小豆島に実在する街並みが登場している。
出典
- ^ 『日本歴史地名大系』平凡社[要文献特定詳細情報]。
- ^ うどん県旅ネット「オリーブの歴史と品質」2020年2月2日閲覧
- ^ “香川県のしまっぷ”. 海上保安庁. 2020年8月15日閲覧。
- ^ 2013年6月25日『四国新聞』記事より。
- ^ しし垣 小豆島ぐるり 後世に/江戸時代の土壁 獣から農作物守る/香川「考える会」認知度向上へ調査取り組む『日本農業新聞』2020年10月29日
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典37 香川県』角川書店、1985年9月、419頁。ISBN 978-4-04-001370-1。
- ^ 地名大辞典 1985, p. 420.
- ^ 橋詰茂「東瀬戸内海島嶼部における大坂城築城後の石の搬出 -小豆島を事例として-」『戦国・近世初期 西と東の地域社会』橋詰茂 編、岩田書院、2019年6月。ISBN 978-4-86602-074-7 P481-507.
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、34頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 「土石流、家をなぎ倒す 瀬戸内3島 逃げる背に迫る岩」『朝日新聞』昭和44年(1974年)7月8日朝刊、15版、11面
- ^ 『世界大百科事典』、平凡社[要文献特定詳細情報]。
- ^ 「小豆島で五百ヘクタール焼く 自衛隊も出動 強風・水不足が災い」『中國新聞』昭和46年1月14日 15面
- ^ “ギリシャ風車”. 道の駅小豆島オリーブ公園. 2021年8月12日閲覧。
- ^ a b c d “当該提携の概要 小豆島2町 ミロス”. 姉妹(友好)提携情報. 自治体国際化協会. 2020年1月15日閲覧。
- ^ a b c d e “香川県小豆島 - ミロス島”. 在ギリシャ日本国大使館. 2020年1月15日閲覧。
- ^ “小豆島エンジェルライン株式会社の事業休止について” (PDF). 国土交通省四国運輸局 (2013年4月9日). 2015年10月7日閲覧。
- ^ “小豆島エンジェルライン株式会社(香川県小豆郡)破産手続き開始”. ジャパンビジネスレポート (2013年6月10日). 2015年10月7日閲覧。
- ^ “THE MAYOR①”. 瀬戸内しまラジ!. エフエム香川 (2022年7月4日). 2024年6月1日閲覧。
- ^ 西尾市史編さん委員会(編)『幡豆町史 本文編3 近代・現代』西尾市、2013年、316-317頁。
- ^ 「小豆島」なぜ商標申請? 中国で知名度低い地名標的『産経新聞』2019年12月29日
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