ケータイ小説 ケータイ小説の概要

ケータイ小説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 09:28 UTC 版)

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ケータイ小説の閲覧によく使われる携帯電話(参考写真)

PCを用いて執筆されることもあるが、多くは携帯電話を使用して執筆され[1]、多くのケータイ小説サイトは携帯電話以外からのアクセスも可能である[2]スマートフォンの普及で厳密にこのジャンルが「ケータイ」小説ではなく、インターネット小説の一形態でこの語をあえてほとんど使うことはないとするケータイ小説編集者もいるが掲載サイトでは独特の形態が形成され、読者にネット上を中心に使われている[3]

携帯電話からのブラウジングを明確に意識した小説を、独自に発表したという意味においてYoshiが祖であると言われる。ケータイ小説はゼロ年代に誕生した若者文化として注目され、文学社会学教育マーケティング論メディア研究など各種方面から言及された。

発生から現状までの経緯

発生以前のネット上の小説

1980年代パソコン通信が普及して以降、アマチュアの作家が自身の執筆した作品をオンライン上で公開するオンライン小説というジャンルが誕生し、一般の書き手(アマチュア作家)による投稿(発表)と読み手からの感想・批評が相互に行われた[4]。パソコン通信のブームが去った後は、ネット上の小説投稿サイトにその舞台が移った。しかし、PCサイトでのオンライン小説から、後述のケータイ小説書籍のヒットに匹敵するような爆発的なブームは起こらなかった[5]

ケータイ小説の誕生

21世紀になってから(2001年以降)は、携帯電話による通信が生活に密着したレベルで飛躍的に普及し、さらに日本では2000年代に既にインターネット接続機能(携帯電話IP接続サービス)が一般化したことによって、場所や時間を選ばずに行われる様々な世代による電子コミュニケーションが可能となった。特に日本の若年者層においては、生まれながらに高度に発達した"ケータイ環境"が存在するようになった。そのような中で、「ケータイ」で表現し「ケータイ」で読むというケータイ小説が受容されていくようになる。

当時の携帯電話のインターネットはcHTMLによる制限されたインターネットであり、PCに比べ、制約と制限が伴った。携帯から利用できるSNSやブログの登場といった、若年層を中心に広がる携帯電話コミュニティ文化の興隆、および魔法のiらんどのブック機能にみられるような入力支援機能などの実装が一助となった。

ケータイ小説の始祖ともいえるのがYoshiが個人サイト上で連載していた『Deep Love』であり、これが出版・シリーズ化されベストセラーとなった2002年から2005年頃までが「第一次ケータイ小説ブーム」とされる[6]。2003年から2004年にかけては、「ケータイ小説の女王」ともいわれるプロ作家の内藤みかによる『いじわるペニス』『ラブ・リンク』がケータイ小説として有料配信され、ヒットしている[7]

ケータイ小説のブーム

その後、第一次ブームのときとは違い[8]、無料ホームページ作成サイトの魔法のiらんど上での素人による小説投稿のブームが発生し、そこからchacoの『天使がくれたもの』を皮切りに美嘉の『恋空』やメイの『赤い糸』といった作品が人気となり、やはり書籍化されるとベストセラーとなった(魔法のiらんどへのアクセスが急増した背景には、当時パケット定額制が普及したことがあると考えられる[9])。これらのように、実話を元にしたとされる素人によるケータイ小説は「リアル系」・「実話系」・「素人系」ケータイ小説などと呼ばれ[注 1]、ケータイ小説を巡る言説では、リアル系ケータイ小説のことを単にケータイ小説と呼んでいることが多々ある[12]。また『恋空』は映画化作品もヒットした。これが2006年以降の第二次ケータイ小説ブームとされる[13]。2007年のトーハン調べの文芸書のベストセラーランキングではトップ3をケータイ小説書籍が独占し、トップ10の中にも5作品が食い込んでいる[14][15]。第一次のときはブームといってもほぼYoshiによるもので内藤などは既にデビューしていたプロ作家であり、ネット発の小説が市場で初めてブームとなり、第二次のように複数の素人による作品がブーム化してメディアで注目されのは初めてだった[16]

ケータイ小説がブームになった頃は実際に誰が愛読しているのかはっきりせず、マーケティングの文脈において「統計上は大ヒットしているが売れているという実感の伴わない商品」の例として挙げられたこともある[17]

ケータイ小説ブームのきっかけをつくった作品は『Deep Love』といえるが、この作品の当時の読者とその後ブレイクしたリアル系ケータイ小説書籍の読者層はリンクしていないと見る編集者もいる。また、『Deep Love』の作者であるYoshiは男性作家であり「ふだんあまり小説を読む習慣がない10代」を読者として想定し戦略的に執筆を行ったが、その後のリアル系ケータイ小説の作家は大半が女性であり、「書きたい、読んでもらいたい」といった純粋な動機から執筆をしており戦略的な意図をもっていないケースが多い[18]飯田一史スターツ出版へ取材したときにはYoshiのケータイ小説を読んで執筆を始めた人もおり、ケータイサイト上では重複していないが多かったが書籍の読者は一部に重複がみられたと回答されている[19]

この頃のヤンキー文化とケータイ小説は繋がっており、泉子・K・メイナードはともに本流を拒絶して反体制的な態度がよくみられ、ともに進学や出世志向ではなく、純文学のような権威ではなくサブカルチャーとしての文芸なのがケータイ小説で、上昇志向ならヤンキーではなくケータイ小説とも無縁だと指摘した[20]

ケータイ小説の流行がはじまったころは文壇からは黙殺された状態で、サブカルチャー情報誌に特集が組まれる程度であったが、ケータイ小説の書籍化作品が売り上げランキングで上位を占め無視できない存在になると、『文學界』で座談会が組まれるなど文壇からケータイ小説への言及がはじまった。そしてその後、インターネット上などで識者・インテリ層を中心にバッシングがおこった[21]

ケータイ小説に対する批判の主な内容は、短絡的・類型的なストーリー展開、語彙の少なさや文章表現の稚拙さ、投稿される際の推敲の不十分さ、安易な性的・暴力的描写などである[22]

小説家・著述家の本田透は、文学において新しいジャンルが興隆したとき、「まず黙殺し、次に否定し、そのあと制度内にそのジャンルを取り込もうとする」という、かつて漫画ライトノベルが辿ったのと同じ流れをケータイ小説はなぞりつつあるし、ケータイ小説についても「制度への取り込み」が始まる可能性を示唆した[23]小池未樹嵯峨景子は昭和初期に吉屋信子の『女の友情』を酷評した小林秀雄と通ずる点もあり、女性向けコンテンツが男性向けより下に見られている傾向があり、文学や批評が男性中心に作られたことで女性向けへの言及がされ難くく、小林のようになんとなく立腹する、自分のリテラシーでは読めない作品がヒットしたことへの苛立ち、ベストセラーになったことが我慢できず、語るのが難しいとしながらもレイプや妊娠、不治の病の詰め合わせでそれらを軽く扱っていることが一番許し難かったのではないかとみている[24][25]。飯田一史も2010年代以降のなろう系への批判と比べて強いバッシングがあったのはミソジニーによるもので年長者中心の規範とは違う価値観、流れによるものだったのに加えて当時の電子書籍市場が小さかったため、ケータイサイトで売れるとなっても紙の書籍に比べれば収益が得られない感覚から、ケータイやネット発の小説や書籍を蔑んだり敵としてみたり軽く扱ったりする空気が生まれたとみている[26]。また大宅壮一が文壇は素人と玄人を判断して素人が社会現象を起こそうものなら難癖を付けて外来者が侵入するのを防いできたが、文壇で評価されなくても芸術性が欠けていても面白いと感じれば読者の人気を得られ、素人でも文壇以外で地位を築いていっていることに言及しており、ケータイ小説などネット小説も同じであるとする[27]。そして児童文学ヤングアダルト小説では情報、心理描写がなく次々に事件が展開される出来事と会話メインの文章であり、赤木かん子は心理などの描写がなく事件や会話を追えば読める小説こそフィクションだけでなくリアル系しか読まない、読めない子も好む例外であるとしており、実話を元にしているとされ文章もかなり簡潔な物語なら支持されるのは必定とも言えるが、2000年代のケータイ小説の言説ではリアル、実話、内面のなさにおいてはヤングアダルトや児童文学の経験則が無視されていた[28]

沈静化

2008年からは紀伊国屋書店年間ベストセラーランキングのトップ100にも入らない作品が増えたため、ブームは過ぎたと見られた[29]。『日経エンタテインメント!』の永江朗は、そもそもブームは一時的なものなので1、2年たてば、市場が冷めてくるのは当然であると述べた[30]。永江はブームは過ぎた要因はいくつかあるが、中でも読者対象であった女子中高生に飽きられたことが大きいと分析している[30]。話題性から1冊は購入してみたものの、それ以上何冊も買って読むには至らず、リピーターを生むような引き付け方が出来なかった。結果、マーケティング全体に行き渡ったところで、ブームが終わった[30]。しかし、ブームが去った後もケータイ小説を原作とした映像作品は次々に制作されているため、ブームの再燃を期待する声も業界内にはあり、今後もこの市場の動向は注目すべきだろうとしている[30]。ケータイ小説書籍の売り上げが2008年から落ちているのは、魅力的な作品がほぼ出版されつくしたからだという意見もある[31]

ブームが沈静化したこの2008年頃から、ケータイ小説に言及する書籍や論文が増え始め[32][33]、ケータイ小説を新しい文学の波として賞賛・歓迎するような言説もみられるようになる[12]。ただし、日本文化研究者のジョナサン・エイブルは、ケータイ小説が新たなリアリズムを表現しているといった主張は誤りであり、プロレタリア文学から派生したルポルタージュ小説の存在などを考えればわかるように、過去にも自身の新しさを強調して登場したリアリズムが存在したことを忘れていると述べている[34]。その後、ケータイ小説が議論の俎上に載せられること自体も減少していったが、ジャンルとして消滅したわけではなく、地方を中心にその市場は依然として残っている[35]

スマホ化とオタク化

ブーム沈静化以降は、実話テイストのあるリアル系作品よりもオタク的な感性のもの(あるいはファンタジーもの[36])の割合が増えており、主人公の少女が「俺様系王子」や「不良男子」に助けられて付き合い始めるといった作品がケータイ小説サイトのランキングに頻繁に入るようになっていく[37]

2011年頃になると、高機能携帯電話スマートフォンの普及に伴ってスマホ小説が浸透していき、ケータイ小説と同様に素人による作品投稿が大部分を占めた[38]。ケータイ小説では、後述するように従来の携帯電話(いわゆるガラケー)の比較的小さなディスプレイでの表示を前提とした簡素な文体になっていることが多いが、より大きなディスプレイを備えたスマートフォン向けのスマホ小説ではそういった制約が無いため表現の幅が広がっていった[39]。それにより画面サイズをあまり気にせず一行が長くなり一般小説の表現に近付いていくようになり、画面を活かすためにイラストなどで演出効果をもたらす作品も増えた[40]。主な対象を子供とする野いちごに大人の女性の投稿が増加、その内容は大人の恋愛が少なくなったことから住み分けのために2011年10月にBerry's Cafeを開設[41]、第二次ブーム時に大人の投稿者は存在したがそこから数年経って目立つようになった[42]

一方、スマホへの移行に伴い、従来から存在するPCベースの小説投稿サイト(小説家になろうなど)との境界が消滅しつつあることから、ジャンルとしての「ケータイ小説」は衰退し、最終的に電子書籍に吸収されることが予想された[43]

2010年代初頭以降もヒット作を続けて出すことができたのは野いちご程度で、魔法のiらんどはアスキー・メディアワークスに買収されたことで出版が同社優先となり(他社から出すときはサイトの名を使えず、魔法のiらんどの筆者のページで宣伝することも規約で不可)、第二次ブームとともに同サイト発作品の存在感は急速に衰えていき、スターツ出版とは逆に作品ラインナップや出版形態と時代に適応させられずに2018年3月をもって魔法のiらんど文庫から一時撤退した[44]角川歴彦はサイトへ手を差し伸べようとしていたが独占を狙って自滅、スターツ出版とは2000年代半ばまで盟友、以降はライバルとしてジャンルのシーンを彩ったが2010年代になって明暗が分かれた[45]

ネットメディア「ねとらぼ」は、ケータイ小説が急速に廃れた背景として、スマホが登場するもケータイ小説サイトの多くが機種に対応していなかったため閲覧数が減少、「代用品」がたくさん生まれた点を挙げ、ケータイ小説に大きな影響を与えた浜崎あゆみに代わって音楽界に若者のリアルよりもみんなで楽しむタイプの出現、Twitterの登場で身内や地元だけの繋がりから他の新しい世界に目を向けるようになったとしている[46]

小池未樹は、上記のねとらぼなど急速に廃れたとすることに反論する形で、ブームは完全に終わりミリオンヒットが今後出る可能性も低いが[47]、2017年時点の魔法のiらんどの月間ページビューは15億で「小説家になろう」と同等、書籍化も毎月一定量行われているとし、廃れたり風前の灯火とする論調を否定、簡単に過去のものとなったとする風潮になってしまうのは年齢を重ねて対象年齢より上になり関心が下がった、視界に入らざるを得ないほどの物量で見かけることはさっぱりなくなった、ねとらぼでは東京都内の女子高校生に読んでもらって感想を聞いているが本来の読者層は地方がメインとして、ブームは終わったが内容の質は過去より上昇して定着した文化になったとした[48]

ケータイ小説の特徴

文体の特徴

ケータイ小説を語る上では、しばしば内容だけでなくその文体が関心の的となる[49]。ケータイ小説の文体には、以下のような特徴が見られる。

改行を多用することにより余白が多く生まれることになるが、これは実際にケータイの画面上で読んでいるときのスクロール速度を想定して適当な「間」をつくるために行われている。場合によっては空白のページを1つ挟むこともある[59][60]

文章の末尾に句点をつけず、改行やスペースによって文章の区切りを示すこともしばしば行われるが、これは歌詞や漫画のふきだしでの表記でみられるもので、ケータイ小説の文体はこれらから影響を受けている面がある[注 2][61]。中には絵文字が使われる作品も存在するが、ケータイ小説全体の中ではそれほど多くは使用されていない[62]

これらの文体上の特徴のうち横書きであったり文章が短いといった部分は携帯電話というデバイスの特性によるものであり、会話ばかりで描写が浅いといった部分は若年の素人の書き手が直接サイト上に投稿するシステムの特性によるものである[55][63][64]。また一文が短いのは考えや感情の流れを思ったそのまま示しているからで、泉子・K・メイナードは東浩紀の言う、ケータイのメールでは人は理念やシンボルでは繋がれないが情報回路のみは繋がれる可能性を用いて、詳しい話よりなんとなくな繋がり、共感や感情に重きを置いているのがケータイ小説の一文の短さにもそのまま影響しているとする[65]

情景描写が少ないのはケータイ小説はスピーディーな展開が多いためその結果である[66]絵本作家相原博之は、1995年以降に日本のサブカルチャー領域を中心に台頭したとされるセカイ系と呼ばれる作品類型を、「「私=キャラ」が客観的な中間項のすべてを呑み込むように肥大化し、ついには世界そのものと同化してしまう」ような作品である捉えなおし、客観的な情景描写が欠落し主観的な独白や会話文であふれたケータイ小説の文体はまさにそれにあてはまっていると述べている[67]。泉子・K・メイナードはセカイ系作品におけるキミとボクの関係性がケータイ小説のワタシ/アタシとカレシの関係と共通し、それは特定の中間項と繋がることはあっても社会的な流れからは切り離されているのも同じで両ジャンルにある社会に対する関心の無さはポストモダンの影響を指摘、また主人公が無力ながら立ち向かって小さな偶然から結実させる点も共通して多いことを挙げている[68]瀬名秀明は200、300文字程度まで表示する一画面では感情の起伏や山場がを書くには足りず、一瞬で何かを感じさせる必要があり、セオリーによる感情表現でないと読者が付いて来られず、ケータイ小説で表現できるのは喜怒哀楽のような単純な感情が向いているが、読めば感動はしても動物の本能のようでカタルシスとしてはいいが複雑な感情、主人公への感情移入やそういう人生もいいかもしれないと思わせるのは難しいのではないかとしている[69]

ゴマブックスは日本の名作文学を横書きにするなどケータイ小説に近い文体に直して出版している[70]。評論家の福嶋亮大によると、インターネット上でもケータイ小説の文体を模倣する遊びが行われることがあるなど、既存の物語に対する変換装置として文体が機能しているともいえる[71]。ケータイ小説の文体は、日本語の可塑性の高さの極限を表しているとみることもできる[72]

後述するように、人気が出た作品は書籍化されることもある。この場合、日本語の出版小説の一般的な体裁(縦書き、右開き)をとらずに、横書きで左開きという特殊な体裁(ノートと同じ)で出版される。ただし、書籍化するときに縦書きに直すことを望む著者もいる[73]。2009年にケータイ小説文庫が創刊されてからは縦書きが主流となり[74]、2019年時点ではローティーン向けの一部を除いてほとんどの作品は書籍化の際は縦書きになっている[75]

小池未樹はケータイ小説の条件に物語がポエム調の文章で始まることを挙げ[76]、他の場面でもあるこの場合のポエムは詩人とは違い、何かを語っているようで何も語っていない抽象的な文で、具体的な固有名詞ができるだけ削られたケータイ小説には相性が良く、その結果による「私の物語でない、と思わせる要素を極限まで除去した、安全な世界」の物語であるとの見方を示した[77][78][79]。また嵯峨景子はヒロインの虚無感、孤独の様がどこか心地よく内面描写がないと否定的にみられているのとは違い、小池は深みがない意味で内面描写がないと言われるが精神が発達途上の子からするとその方が助かり、自分と近い印象を持つと肯定している[80]

従来の小説の作話は決まった語り手視点であるべきとされ、一人称と三人称が混ざることは回避されるべきと考えられていたがケータイ小説は語り人称の混用がされており[81]、泉子・K・メイナードは『恋空』を例に筆者は読者に向けて昔からの友達に話すようにしながらも三人称語り視点で一定の距離を置いた物語のようにも描いているとみる[82]。またカッコが付けられた会話が多いだけでなく語りでも会話しているような文章で語り手が時折垣間見えながら読者に話しかける会話性になっているとしている[83]

ケータイ小説家には携帯電話で書いていたのを一旦パソコンでやり始めてたところ、ケータイ小説らしいリズムにならず携帯電話で再び書き始めたという者や作文はパソコンの方が慣れているがそれで小説を執筆すると一文が長くなってしまい、携帯電話で閲覧すると読みづらくなってしまうため書くのは携帯電話にしたという者がいた[84]

内容の特徴

ジャンルとしてはSFファンタジーホラーミステリ歴史ものBL[85]など多岐にわたるが[86][87]、特に少女を主人公とした恋愛ものが多くを占める。

特にリアル系ケータイ小説では悲劇的な出来事が矢継ぎ早に主人公の少女に襲い掛かるものが多い。その悲劇的な出来事として、ゲームクリエイター米光一成は「いじめ、裏切り、レイプ輪姦)、妊娠流産薬物、病気、恋人の死、自殺未遂、リストカット」を挙げている[88]。本田透は、リアル系ケータイ小説でしばしば題材として描かれる売春援助交際)・レイプ・妊娠・薬物・不治の病(エイズ)・自殺・真実の愛の7つを「ケータイ小説七つの大罪」と呼んでいる[89]。実際、ケータイ小説がヒットするきっかけとなった『Deep Love』では、これらの大罪全てが描かれている[90]。「七つの大罪」について、ライターの速水健朗はこれら大罪の中に明らかにDV(デートDV)が漏れていると指摘し、援助交際・妊娠・薬物・不治の病よりもDVのほうがケータイ小説には頻繁に登場しており、例えば『恋空』や『赤い糸』の主人公と恋人の間の関係にデートDVの構造が見て取れると述べている[91]エッセイスト杉浦由美子もケータイ小説・少女漫画などのギャル層が好むコンテンツにDV描写が多いことを指摘している[92]。書評家の豊崎由美はケータイ小説における『1年間ほどにおける一人称語りのヒロインの恋愛、失恋、性交、妊娠、レイプ、DV、中絶、自殺未遂(リストカット)、不治の病、動物、死』という詰め込み展開のパターンをコンデンスライフ(濃縮人生)と批判的に呼んでいる[93]。社会学者の大澤真幸は、ケータイ小説における羅列的に連続する悲劇を、これが現実なんだとリアルさを実感させるものという意味で「現実」と表現し、従来の「現実から逃げる」という形での現実逃避ではなく「想像された「現実」へ逃げる」という形での新しい現実逃避が起こっているのだとみている[94]。また、これらの悲劇は哲学者のカトリーヌ・マラブーが提唱した「新しい傷」に相当するものともいえると指摘し、物語的想像力を失った現代を象徴する現象の1つとみている[95]。現代社会の負の側面を映し出すような壮絶な事件の連続の最後にはヒロインが真実の愛に目覚めて救済されることによって物語を終えることが多く[96]、ケータイ小説は映画『世界の中心で、愛をさけぶ』や韓国ドラマ冬のソナタ』のヒットに代表される「純愛ブーム」のひとつ(純愛小説)であるとも考えられる[97][98][99]。また、いじめがテーマの1つになるのは筆者が学校に属する者かそういう生活を体験したからが多いとみられ、取り入れやすいからである[100]

また、レイプや援助交際のような性的描写がケータイ小説の特徴としてよく挙げられるが[101][102][注 3]、ケータイ小説七つの大罪が混ざった作品は初期の頃に多く[104]、性的描写の占める割合はケータイ小説全体では下がっている。その背景には、ケータイ小説書籍の購入層には実際に小説を読む中高生の母親が多く含まれており、過激な性描写を多くするとそういった層へのイメージが悪くなることもあると考えられる[105]。ケータイ小説の中には、ケータイ世代の読者に避妊性感染症の正しい知識を身につけてもらうための、産婦人科医が執筆した「教育的」な作品も存在する[106]。強姦や妊娠などが描写される背景として、ヒットした当時の若者の性関係の実態を反映したものであると指摘されることもある[注 4]

このほか、文学研究者の石原千秋は、リアル系ケータイ小説においてレイプされた女性が自分を「汚れている」と感じることや、男性が女性に愛の告白をすることが重要な意味を持つなどの特徴の大枠をホモソーシャルの構図で説明できるとしている[108]

福嶋亮大は、ケータイ小説全般において「負債と償却のサイクル」(起こった出来事やしたことのツケを支払わなければならないということ)をモチーフとした作品が多いと述べており、その例として『呪い遊び』『イン ザ クローゼット 〜blog中毒〜』『恋空』を挙げている[109]

泉子・K・メイナードはケータイ小説を物語というよりも私語りであり、それは一人称の語り手と作中に登場する主人公が同一だと思われやすいように示され、語り手の周囲で起きた出来事を読者を考えて告白、伝えるという姿勢である大衆文芸の一種と捉え、私からみた恋愛対象を中心とした周辺のユニバースで私の感情をメインとして行われる私語りはケータイ小説ならではの文芸を成立させているとし、似た考えとして中西新太郎が提唱する「マイ・ストーリー」を用いて、ケータイ小説のように自分の感情メインに語られる告白タイプの作品で相手の恋愛感情や離れた見方をすることがあまりなく、交際経緯の詳細は明かされず、自らの感情を吐き出し続けるというのである[110]

ケータイ小説論はコミュニケーションの問題と切り離せないものとしばしば指摘され[111][112][113][114]、ケータイ小説の作品内でも物語のプロットを進行させるアイテムとして携帯電話を中心にブログ手紙など様々なコミュニケーションツールが用いられている[115](速水健朗は、リアル系ケータイ小説全般においては『赤い糸』での絵馬・『恋空』での闘病ノートといった旧来的なメディアが重要な鍵として扱われていることが多いことを指摘している[116])。泉子・K・メイナードは手紙は私視点で個人の言説で私語りをすることができ、一人称告白タイプのケータイ小説には使い勝手がよく、ケータイ小説では表現しにくい深い心情を手紙に委ね、ケータイ小説のスタイルから離れて深くゆったりとした感情表現が可能となるとみている[117]。現代の若者が(特に携帯電話のメールを通じて)行うコミュニケーションは、情報の意味内容の交換というより相手とつながること自体を目的とした形式的・接続志向のものであると論じられるが[注 5]、ケータイ小説の内部で登場人物たちが交わすコミュニケーションの様式もこれにあてはまったものとなっている[118]。そして批評家の濱野智史は、『恋空』を例にとって、そこには通常のストーリーの水準のリアリズムではなく、登場人物が行う形式的な携帯電話の操作ログの集積という形でのリアリズムが存在すると述べている[注 6]

ブームが既に去った2017年時点では上記のDV、性犯罪や死がよくある要素ではなくなり主流の1つとして「暴走族と姫」が挙げられ[119]、女子中高生の家庭や学校に居場所のないヒロイン、関東や全国ナンバーワン暴走族で族幹部はみんなイケメンで熱狂的ファンもいる町のアイドルのような存在でリーダーの彼女となって姫と呼ばれ、彼から溺愛され他のメンバーからは奉仕を受ける存在だという逆ハーレムタイプが2009年頃から大きく増え、実話告白タイプより妄想全開のシンデレラストーリータイプの方が支持を受けやすくなり[120][121]、姫ジャンルの誕生は2009年頃に暴走族総長の彼女を姫と呼ぶユウの『ワイルドビースト』が魔法のiらんどで大ヒットして書籍化されたことがきっかけであるとみられている[80][122]。第二次ブームの頃にはギャルやリア充に好まれるヤンキー文化だがオタクが好きなライトノベルとは水と油だとされ、ライトノベル読者から敵視される向きもあったが、2010年代中頃には一部が合流、同年代以降のケータイ小説はヤンキー文化ではなく『ワイルドビースト』から確立された現実の不良や暴走族と大きく隔たりのある逆ハーレムや溺愛を作り上げるお約束の世界であってギャルやヤンキーが好むものではなくなっている[123][124]

溺愛志向は女性向け作品、孤立したヒロインと世間で通用する力を持ったヒーローはお嬢様モノの童話のように昔からよくあるパターンだがケータイ小説では童話のような中世西洋ファンタジー設定はない日本舞台では難しいようにも思われるがそうではなく、通常の少女小説や少女漫画では矛盾や説明不足の指摘を受けるがそれが起きづらいのが本ジャンルで、具体性を排除した描写の強みである[125]。ブーム当時に「ギャルが自分たちのための物語を紡ぎ始めた」ジャンルと言われたがギャル文化の変化があってもケータイ小説は残り続け、他の女性向けコンテンツから弾かれたのはギャルという自己表現ではなくそれに付随すると周りから思われ、清らかではないとの一種のタグであり、溺愛志向になってからも清らかではない少女を救うことで方向性は受け継がれた[126]

小池未樹はブームが去って以降は切ない実話タイプでは全く受けず、魔法のiらんどや野いちごに『恋空』『赤い糸』のような作品は皆無でヒロインが男を乗り換えたりレイプや流産、最愛の相手との死別のような波乱万丈ストーリーがアピールされることはまずなく、溺愛されて悲惨な実話と謳わず非現実的な上に激甘なフィクションの方がずっと受けているが[127]、七つの大罪と呼ばれた要素が消えたわけではなく甘さや幸福も確保しつつ虐待や売春、重いいじめなどエグさを詰め込んでいる作品は多く、薬物や不治の病はあまりにも未来に禍根を残し過ぎる溺愛を妨げるため排除され、死などの本格的な悲劇はなくなるも大罪は残ったとしている[128]。本田の提唱する七つの大罪のうち自殺は自殺未遂を含み、真実の愛はヒロインによる自己完結的な愛の誓いと言い換えた方が本田が言うニュアンスとして正確かもしれないとする[129]。七つの大罪と誰主体かを問わず罪としていることに対して、それはヒロインの罪の意識と一緒にある苦難、罰であり、好きでもない男性とのセックスやレイプのように穢された、汚いと感じるヒロイン、性体験なしに罰のみを受ける場合も自己肯定感が低く、ともに自分は価値はなく汚い(罪深い)からどんな目(罰)にあっても仕方がないと甘受、そこに救いの手、絶対的な愛を受けて初めて自己肯定感を回復する[130]。自己肯定感の低いヒロインがヒーローに愛されて自己肯定するようになるのも女性向け作品にはよくある展開だが、普通のその手の作品では「世界一好きな人と適切なタイミングで行う清らかなセックス」が許され、少女漫画で通常は避ける自分の居場所のための売春や権力を持つ者からのレイプ、セックスフレンドとの虚しい性行為、ヒロインが自分が穢れていると決定的に思い込むことを描写、ケータイ小説が官能小説に変化しなかったのは若い女性向けながら単なる性描写ではない「脅かされる性」が描かれ、罪と罰の繰り返しを断たせるヒーローの存在で、それを描ける少女向けジャンルはボーイズラブと二次創作のような脅かされた性をかなりねじって表現されるもの以外はほとんどなく、他の作品にはない救済を求めた女性が癒されるためにケータイ小説に集まってきた[131][132]。罪と罰の意識があるヒロインが救済されていることで七つの大罪は消えず、本田は不幸を乗り越えて真実の愛を見つければ全ての不幸がキャンセルされて幸福になる信仰なのがケータイ小説だとしていることについて、どれだけ汚れても真実もの愛を見つければ救われる希望が本ジャンルをそうたらしめるのが根幹にあるが大きな危うさもあり[132]、王子様がいないとヒロインが絶対に救われない、真実の愛を得ないと汚れた少女は救われない絶望で、少女の無力さは変化せず、脅威に抗う社会的な力を持たないままなのは本当に救済なのかと言い[133]、創作として楽しむ視点もあるとしつつ、力を持った男性に支配される志向性がむき出しになっている点に現実社会の規範の再生産の面を感じている[134]

作風の変化は野いちごのように子供にリーチすることを考えてサイトのブランド価値を毀損する性描写を禁止していることや飯田一史は若者の性行動への関心が減退、親などへの反抗心も薄らぎ若年層のクリーン化で性、暴力描写がソフトになったと指摘、好まれる男性像が2015-2016年頃から強引な俺様系からクールや無気力系のようだがヒロインには一途なタイプに変化、ヒロインを大切にしないと読者にうけなくなっている[135][136]。ハッピーエンド徹底のために両想いになった後に男性視点の描写を短く入れて多くの場合は出会ったときから主人公のことが好きだったとわかるようになっているパターンも確立された[137]。ケータイ小説家の映画館は恋愛に淡泊な人が増えたとする論調には疑問で自分の作品の読者からして激しめの関係を求めている人はむしろ増えているのではないかと考え、小池未樹はそういう人が不良でイケメンな男が自分を愛してくれる展開を好んでおり、ダークな設定を受け入れる土壌のある映画館の活動する魔法のiらんどにはそのニーズに合った作品が多いとしている[138]

2015年時点で岡田伸一はかつてよくあった風俗嬢の日記のような職業系エッセイが少なくなり、過去の作家が低かったわけではないが作家の平均点が向上して80から100点以上を出せる人が増えたとしている[139]

執筆過程での特徴

ケータイ小説が執筆される過程には、双方向性という特徴がある。すなわち、携帯電話用の小説投稿サイト上での連載中に、読者から作家へ感想などが届き、それに対して作家がその後の物語の展開を変えるなどの反応をするといったふうに、作家と読者の間に直接的な交流が生まれる。このことは、後述するケータイ小説の持つ「リアル」「リアリティ」といった問題とも深く関わっている[140]

読者から直接的に反応を受け取ることができるということが作家にとって執筆の強い動機付けとなる反面[141]、人気ランキングで上位に入る小説を連載していたにもかかわらず、内容に読者からの批判が集まったことがきっかけで執筆を途中で断念してしまうようなケースもある[142]ジャーナリスト佐々木俊尚は、ケータイ小説の執筆過程における双方向性をふまえると、ケータイ小説家の役割とは若い女性の間での無意識を集合知としてすくい上げてメディア化することだと述べている[143]。内藤みかはポエムから始まる作品が多数ありそれを否定するわけではないがテーマを冒頭のポエムで表現しようと力を入れ過ぎてそこで疲れ切って書き始めたところで更新が止まる人も多いとしている[144]

ケータイ小説以外で、ネット上での書き手・読み手の相互作用により作品が成立した例としては、2004年に書籍化された『電車男』がある(このような作品はユーザー生成コンテンツといわれる)。ただし、『電車男』は実際の掲示板上での書き込みを出版社側が適当に取捨選択し編集して感動的な純愛物語に仕立て上げたのに対し、ケータイ小説は書籍化される際も元のテイストをなるべく維持するように配慮されている点が異なる[145]


注釈

  1. ^ リアル系・実話系・素人系のケータイ小説を単にケータイ小説と呼ばれることもあるが[10][11]、この「リアル系」は後述する赤木かん子の用いる「リアル系」とは異なる。
  2. ^ ケータイ小説とこれらの文化との関係については#関連する文化の節も参照。
  3. ^ 本田透は、「ケータイ小説=エロ小説」というイメージは『Deep Love』の冒頭部分がルーツではないかと述べている[103]
  4. ^ 浅野智彦によれば、ケータイ小説がヒットした2006年頃、強姦・妊娠・中絶・性感染症といった性のトラブルが都内の中高生からの聞き取りで多発していたという[107]
  5. ^ 社会学者の北田暁大はこれをつながりの社会性と呼んでいる。
  6. ^ 恋空#評価を参照。
  7. ^ 米光一成は「ケータイ小説の新しさと古くささ」(『國文學』2008年4月号)にて、「少女的リアル」「大人的リアル」と使い分けている。
  8. ^ 恋空#真実性を参照。

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