アメリカ施政権下の小笠原諸島 住民

アメリカ施政権下の小笠原諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 16:40 UTC 版)

住民

欧米系島民およびその配偶者と米軍関係者が在住しており、島民はアメリカ施政権下でも日本国籍を保持していた[39]。また、島民男性の中には米軍から許可をもらい、日本本土でお見合いをする者もいた[72]。なお、1967年(昭和42年)時点での人口は以下の通りである[5]

1967年(昭和42年)時点での人口
民間人 海軍軍人 空軍軍人 沿岸警備隊員 軍属 米軍関係者計
父島 205
(34世帯
31 0 0 60
(内日本国籍者57)
91
(内日本国籍者57)
296
硫黄島 0 0 39 35 0 74 74
南鳥島 0 0 0 34 5
アメリカ国立気象局職員)
39 39
205 31 39 69 65 204 409

公用語英語であったが、島民たちは日英混合の小笠原方言を話しており、家庭によって日本語や英語の理解度が異なっていた[73]。そのため、島民の中には日本語の読み書きや敬語を上手に使えず、返還後に来島した東京都職員などとトラブルになるケースもあった[74]

産業

帰島当初、島民たちは農業漁業を共同で行い、得た食料は全て世帯あたりの人数に応じて分配していた[29]1948年(昭和23年)に島民の積立金と米軍からの借入金を元に小笠原諸島貿易会社(Bonin Islands Trading Company 略称:BITC)が設立される[30]と、各家庭で買い物ができるようになり[29]、島で手に入らない食料品や日用品、衣類玩具などの買い物についてはシアーズ(Sears)百貨店のカタログ販売が利用された[75][76]

島民の産業は農業、漁業が主であり、島民たちの多くは小笠原諸島貿易会社を介して農産品や海産物をグアムやサイパンへ輸出し、現金収入を得ていた[29]。農業はバナナオレンジパパイヤなどの果物類、トマトブロッコリー大根ゴボウニンジンなどの野菜類が栽培[77]されたほか、製塩養蜂も行われた[31]。漁業はサワラマグロイスズミなどの魚類やウミガメが獲られ、島内で干物に加工されたのち輸出された[29]。これらの産品によって、小笠原諸島貿易会社は設立1年後の時点で10,000ドルあまりの利益を得ていた[30]

この他に屑鉄拾いも行われ、遺棄された武器弾薬を山で拾い、その中から真鍮を集めてグアムへ輸出していた[78]。また米軍関係の仕事に就く者もおり、米軍基地内のバーバーテンダーとして働く者やアメリカ海軍の掃海艇に乗り組む者もいた[79]

文化

小笠原聖ジョージ教会

アメリカ文化の影響

島民はプロテスタント聖公会[80])が多かったため、クリスマスを祝ったり[81]復活祭イースター・エッグを作るといった宗教行事も行われた[82]。また、ハロウィン[83]アメリカ独立記念日[81]にはパーティが行われた。

の所持も自由であったため、ハンティングが盛んに行われた[84]。ハンティングでは主に野生化したヤギブタを狙い、父島島内だけでなく弟島聟島列島まで船を出すこともあった[85]。しかし、返還後日本の法律が適用されたことにより、自由に銃を扱えなくなった上、狩猟場におけるヤギの屠殺が禁止された[注 5]結果、弟島や聟島列島ではヤギが異常繁殖して植生破壊を引き起こした[84]

日本文化の影響

食文化に関しては、パンダンプリングのほか、沖縄と同様にスパムコンビーフチリコンカーン缶詰も食べられた[86]。しかしながら、米食をはじめ日本の影響も強く、鉄火味噌糠漬けも食べられた[87]味噌醤油などは島では稀少であったため、台風の際に父島の湾内へ避難してきた日本船の船員から、果物と物々交換で入手することもあった[77]


注釈

  1. ^ 最初の入植者である25人の出身地は、欧米人はアメリカ人2名、イギリス人2名、デンマーク人1名で、太平洋諸島出身者はハワイ諸島出身者7名をはじめ、マリアナ諸島カロリン諸島ポンペイ島ギルバート諸島マルキーズ諸島タヒチなど、ポリネシアミクロネシア各地からの出身者で構成されていた。田中 pp41-42, p62
  2. ^ ボニン諸島(Bonin island)とは小笠原諸島の別名で、江戸時代の日本人が小笠原諸島を無人島(ぶにんじま)と呼んでいたのが語源である。林子平の『三国通覧図説』にも無人島と記されており、それがヨーロッパに伝わった。
  3. ^ 最終的に、アメリカは小笠原諸島を信託統治下に置く提案を国際連合に対してしなかったため、日本は小笠原諸島を放棄せずに済んだ。
  4. ^ 返還後、小笠原支庁は再設置された。
  5. ^ 日本の法律では屠畜場法により、牛、馬、豚、ヒツジ、ヤギの5種類の家畜を屠畜場以外の場所で屠殺することは禁止されている。
  6. ^ 1965年(昭和40年)5月の墓参は、硫黄島班25名と父島・母島班37名に分かれ、硫黄島班は日本航空チャーター便を利用し、父島・母島班は海上保安庁の巡視船宗谷を利用した。その後、1966年(昭和41年)に第2回、1967年(昭和42年)に第3回墓参が行われた。

出典

  1. ^ a b c d e エルドリッヂ p210
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  4. ^ a b c d e f g h 沿革 « 小笠原村公式サイト
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  6. ^ エルドリッヂ p459
  7. ^ 田中 pp2-9
  8. ^ 田中 p28
  9. ^ 田中 p29
  10. ^ 田中 pp41-42
  11. ^ 田中 p150
  12. ^ 田中 p185
  13. ^ 田中 pp205-206
  14. ^ 田中 p248
  15. ^ a b 田中 p250
  16. ^ 歴史:硫黄島 « 小笠原村公式サイト
  17. ^ a b c d e 歴史:南鳥島 « 小笠原村公式サイト
  18. ^ 田中 p260
  19. ^ 田中 p262
  20. ^ ロング p68
  21. ^ 山口 p130
  22. ^ a b エルドリッヂ p143
  23. ^ a b 連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号 独立行政法人 北方領土問題対策協会
  24. ^ 山口 pp121-122
  25. ^ 山口 p134
  26. ^ a b c エルドリッヂ pp207-208
  27. ^ a b 田中 p264
  28. ^ エルドリッヂ p209
  29. ^ a b c d e f 山口 p143
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  31. ^ a b 山口 p159
  32. ^ エルドリッヂ pp166-167
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  34. ^ エルドリッヂ pp182-183
  35. ^ a b c エルドリッヂ pp183-186
  36. ^ a b c エルドリッヂ pp186-187
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  38. ^ a b 日本国との平和条約(外務省-日本外交文書)
  39. ^ a b エルドリッヂ p229
  40. ^ 平和条約以後の沖縄と日本外交
  41. ^ a b c 山口 p165
  42. ^ a b c エルドリッヂ pp263-264
  43. ^ a b ロング p71
  44. ^ a b c 山口 pp166-167
  45. ^ a b エルドリッヂ pp222-223
  46. ^ エルドリッヂ p260
  47. ^ a b “有事の核持ち込み、日米が小笠原返還時に秘密協定”. 日本経済新聞. (2011年2月18日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1702Q_Y1A210C1NN0000/ 2016年5月23日閲覧。 
  48. ^ エルドリッヂ pp232-233
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  52. ^ a b c 山口 pp168-169
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  54. ^ エルドリッヂ p291
  55. ^ 参議院 予算委員会第二分科会会議録第二号 pp9-10
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  63. ^ a b 参 - 本会議 - 23号 昭和43年05月22日 国会会議録検索システム
  64. ^ a b c d e エルドリッヂ pp423-424
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  66. ^ 山口 p174
  67. ^ わが外交の近況 昭和43年度(第13号) 第3部資料 4.日本の締結した重要国際取決め 外務省外交青書
  68. ^ a b c d e エルドリッヂ pp235-236
  69. ^ a b 山口 p195
  70. ^ エルドリッヂ p192
  71. ^ a b c d e エルドリッヂ pp215-219
  72. ^ 山口 pp153-154
  73. ^ 山口 p198
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  77. ^ a b c d 山口 p148
  78. ^ 山口 p152
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  80. ^ 小笠原聖ジョージ教会 日本聖公会東京教区
  81. ^ a b 山口 p245
  82. ^ 山口 p200
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  84. ^ a b 山口 p193
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  88. ^ エルドリッヂ p210
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  93. ^ 山口 p141
  94. ^ エルドリッヂ p219
  95. ^ エルドリッヂ p237
  96. ^ 沿革概要|東京都立小笠原高等学校
  97. ^ a b c 山口 p196
  98. ^ 山口 p242
  99. ^ 山口 pp198-199
  100. ^ 山口 p214
  101. ^ 山口 pp209-210
  102. ^ 山口 p211





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