アメリカ施政権下の小笠原諸島
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住民
欧米系島民およびその配偶者と米軍関係者が在住しており、島民はアメリカ施政権下でも日本国籍を保持していた[39]。また、島民男性の中には米軍から許可をもらい、日本本土でお見合いをする者もいた[72]。なお、1967年(昭和42年)時点での人口は以下の通りである[5]。
島 | 民間人 | 海軍軍人 | 空軍軍人 | 沿岸警備隊員 | 軍属 | 米軍関係者計 | 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
父島 | 205 (34世帯) |
31 | 0 | 0 | 60 (内日本国籍者57) |
91 (内日本国籍者57) |
296 |
硫黄島 | 0 | 0 | 39 | 35 | 0 | 74 | 74 |
南鳥島 | 0 | 0 | 0 | 34 | 5 (アメリカ国立気象局職員) |
39 | 39 |
計 | 205 | 31 | 39 | 69 | 65 | 204 | 409 |
公用語は英語であったが、島民たちは日英混合の小笠原方言を話しており、家庭によって日本語や英語の理解度が異なっていた[73]。そのため、島民の中には日本語の読み書きや敬語を上手に使えず、返還後に来島した東京都職員などとトラブルになるケースもあった[74]。
産業
帰島当初、島民たちは農業、漁業を共同で行い、得た食料は全て世帯あたりの人数に応じて分配していた[29]。1948年(昭和23年)に島民の積立金と米軍からの借入金を元に小笠原諸島貿易会社(Bonin Islands Trading Company 略称:BITC)が設立される[30]と、各家庭で買い物ができるようになり[29]、島で手に入らない食料品や日用品、衣類や玩具などの買い物についてはシアーズ(Sears)百貨店のカタログ販売が利用された[75][76]。
島民の産業は農業、漁業が主であり、島民たちの多くは小笠原諸島貿易会社を介して農産品や海産物をグアムやサイパンへ輸出し、現金収入を得ていた[29]。農業はバナナ、オレンジ、パパイヤなどの果物類、トマト、ブロッコリー、大根、ゴボウ、ニンジンなどの野菜類が栽培[77]されたほか、製塩や養蜂も行われた[31]。漁業はサワラ、マグロ、イスズミなどの魚類やウミガメが獲られ、島内で干物に加工されたのち輸出された[29]。これらの産品によって、小笠原諸島貿易会社は設立1年後の時点で10,000ドルあまりの利益を得ていた[30]。
この他に屑鉄拾いも行われ、遺棄された武器弾薬を山で拾い、その中から真鍮、鉄、銅を集めてグアムへ輸出していた[78]。また米軍関係の仕事に就く者もおり、米軍基地内のバーでバーテンダーとして働く者やアメリカ海軍の掃海艇に乗り組む者もいた[79]。
文化
アメリカ文化の影響
島民はプロテスタント(聖公会[80])が多かったため、クリスマスを祝ったり[81]、復活祭にイースター・エッグを作るといった宗教行事も行われた[82]。また、ハロウィン[83]やアメリカ独立記念日[81]にはパーティが行われた。
銃の所持も自由であったため、ハンティングが盛んに行われた[84]。ハンティングでは主に野生化したヤギやブタを狙い、父島島内だけでなく弟島や聟島列島まで船を出すこともあった[85]。しかし、返還後日本の法律が適用されたことにより、自由に銃を扱えなくなった上、狩猟場におけるヤギの屠殺が禁止された[注 5]結果、弟島や聟島列島ではヤギが異常繁殖して植生破壊を引き起こした[84]。
日本文化の影響
食文化に関しては、パンやダンプリングのほか、沖縄と同様にスパムやコンビーフ、チリコンカーンの缶詰も食べられた[86]。しかしながら、米食をはじめ日本の影響も強く、鉄火味噌や糠漬けも食べられた[87]。茶や味噌、醤油などは島では稀少であったため、台風の際に父島の湾内へ避難してきた日本船の船員から、果物と物々交換で入手することもあった[77]。
注釈
- ^ 最初の入植者である25人の出身地は、欧米人はアメリカ人2名、イギリス人2名、デンマーク人1名で、太平洋諸島出身者はハワイ諸島出身者7名をはじめ、マリアナ諸島、カロリン諸島のポンペイ島、ギルバート諸島、マルキーズ諸島、タヒチなど、ポリネシアやミクロネシア各地からの出身者で構成されていた。田中 pp41-42, p62
- ^ ボニン諸島(Bonin island)とは小笠原諸島の別名で、江戸時代の日本人が小笠原諸島を無人島(ぶにんじま)と呼んでいたのが語源である。林子平の『三国通覧図説』にも無人島と記されており、それがヨーロッパに伝わった。
- ^ 最終的に、アメリカは小笠原諸島を信託統治下に置く提案を国際連合に対してしなかったため、日本は小笠原諸島を放棄せずに済んだ。
- ^ 返還後、小笠原支庁は再設置された。
- ^ 日本の法律では屠畜場法により、牛、馬、豚、ヒツジ、ヤギの5種類の家畜を屠畜場以外の場所で屠殺することは禁止されている。
- ^ 1965年(昭和40年)5月の墓参は、硫黄島班25名と父島・母島班37名に分かれ、硫黄島班は日本航空のチャーター便を利用し、父島・母島班は海上保安庁の巡視船宗谷を利用した。その後、1966年(昭和41年)に第2回、1967年(昭和42年)に第3回墓参が行われた。
出典
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