Zマシンの誕生と初期の運用 1996年~2006年
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ロシアとの共同研究の成果として、1995年に Saturn はタングステン製ワイヤーアレイを用いたZピンチにより、X線のピーク出力を40テラワットまで高めるに至った(この成果は現在では「1995年のブレークスルー」と呼ばれている)。一方、 PBFA II によるイオンビーム融合研究は数年に渡って停滞していた。Saturn の成果を受けて、1996年には Saturn と基本構造は同じである PBFA II に若干の改造を施した、PBFA-Z と呼ばれる暫定的な実験装置でのZピンチ実験が実施され、予想以上の成果が得られた。 PBFA-Z による成功のインパクトは非常に強く、1997年にサンディア研究所はイオンビーム融合研究を放棄し、以降はZピンチ技術を用いた慣性閉じ込め方式核融合研究に専念することを決定し、これに伴い PBFA II はZマシンに改名された(Zマシンの誕生)。この当たりのことは、やはり Yonas (この時点ではサンディア研究所副所長)が1998年8月発行のサイエンティフィック・アメリカン誌に、"Fusion and the Z-Pinch"(日本語版「急浮上するZピンチ核融合」、日経サイエンス 1998年11月号)として成果を紹介し、Zピンチによるアプローチが公衆の目に触れることとなった。 この時点でZマシンのピーク電流は18メガアンペア、パルス幅は100ナノ秒以下に達しており、Zピンチ実験装置としてもX線発生装置としても世界で比肩するものがない性能を持っていた。 1999年にサンディア研究所は、チタン製のネスティッドワイヤーアレイを用いた実験を開始した。 これはワイヤーアレイの内側にさらに小さなワイヤーアレイを置く構成であり、爆縮の安定性の向上に効果があった。 1998年に、ローレンスリバモア研究所は国立点火施設の大型レーザー発生器 Beamlet を解体してサンディア研究所に移譲し、サンディア研究所はこれによって発生させた強力なX線により、Zピンチによるペレットの爆縮現象のストロボ撮影を行うこととなった。この装置は Z-Beamlet と呼ばれることになり、これを用いた最初のZピンチ実験は2001年の夏に行われた。 2003年4月7日、サンディア研究所は、3月に行われたZピンチ実験において中性子の発生を観測し、遂に核融合に到達したと発表した。使用したペレットは直径2mmの球形で、透明なプラスチック製シェルの中に重水素のみを封入したものであり、これをホーラム( foam cylinder と表現されているが詳細は不明)の中に入れて、ZピンチによるX線で爆縮を起こさせた。観測された中性子の数は約100億個であった。 2006年初頭、サンディア研究所はZマシンが20億ケルビン(20億°C)を超える高温のプラズマの生成に成功したと発表した。これは恒星内部の温度より高い。このとき用いられたワイヤーアレイは通常使われるタングステン製ではなく、スチール製で、直径55mmと80mmのネスト構造のものであった。この実験では妙なことが起こった。衝突直前までにワイヤー(=線状プラズマ)が獲得したエネルギーの総量よりも、放出されたX線の全エネルギーの方が4倍も大きかったのである。この実験では燃料ペレットは用いていないので、外観的にはエネルギー保存則が破れているように見える。 この余分なエネルギーがどこから来たのかについては、Zマシンのパルスエネルギーの大きな部分はプラズマの近くの空間に磁気エネルギーとして蓄えられることから、プラズマの衝突によって発生する小さなスケールのプラズマの乱流と磁場が電磁流体力学的な相互作用を起こし、粘性によって磁気エネルギーの一部がスタグネーションの熱エネルギーに転換されるという説が発表されている。その後の検証がどうのように進展したかは不明である。
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