VOD法・AOD法の発明
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「ステンレス鋼の歴史」の記事における「VOD法・AOD法の発明」の解説
ステンレス鋼製造を大きく進歩させた酸素脱炭法であったが、スラグ中のクロムの還元量に限界があり、さらに極低炭素鋼種の製造でも生産効率が悪かった。一方で、高耐食性化の要求などから、ステンレス鋼における極低炭素鋼種の需要は1950年代に入ると急激に増加していった。また、後述の圧延技術の発達もあり、ステンレス鋼製造工程の中で製鋼工程の能力不足が問題となっていった。このような状況を受けてステンレス鋼生産性向上のための研究開発が活発化し、様々な製鋼方法が提案された。今日では明確になっていることだが、クロム酸化を抑制しつつ効率良く脱炭するには、脱炭反応過程で生じる一酸化炭素ガスの分圧を下げることが非常に効果的である。当時の製鋼方法の模索は、最終的に、この原理にもとづくVOD法 (vacuum oxygen decarburization process, 真空酸素脱炭法) とAOD法 (argon oxygen decarburization process, アルゴン酸素脱炭法) という2つの炉外精錬法に到達した。 VOD法とは、溶鋼を真空減圧下に移して酸素ガスを吹き込み、脱炭時の一酸化炭素ガス分圧を下げることによって効果的に脱炭する方法である。クロム・鉄合金に対して真空を利用して脱炭する方法は、1939年のドイツのアレクサンダー・ヴァッカーの特許まで遡る。この特許の中でヴァッカーは、酸素脱炭法では高炭素フェロクロムを 0.45 % 以下に脱炭することは困難だが、減圧下では外部加熱無しで 0.06 % まで脱炭できることなどを述べており、VOD法の基礎アイデアに到達している。ただし、このアイデアを実際に工業的に活用するには、第二次世界大戦を経た真空処理の工業技術の発展を待つ必要があった。大戦後も真空利用の脱炭法の開発はドイツで進み、ボーフマ・フェアアイン社(ドイツ語版)が鉄鋼材料に対して真空処理による脱炭精錬法を1952年に初めて実用化させた。これによって、原料から溶鋼を作る炉とは別に器を用意し、そこに溶鋼を移して精錬を専ら行わせる炉外精錬という手法も初めて実用化された。その後、西ドイツのエデルシュタールヴェルケ・ヴィッテン社が1957年ごろからステンレス鋼製造を進めてきた。エデルシュタールヴェルケ・ヴィッテン社は、転炉での酸化還元、真空処理による脱炭、真空処理中の鉱石法といった試行錯誤を経て、VOD法の手法へ至った。1967年、エデルシュタールヴェルケ・ヴィッテン社は真空機器メーカーのシュタンダード・デュイスブルク・メソ社と共同開発したVOD法を発表した。 AOD法とは、大気中の溶鋼にアルゴンと酸素の混合ガスを下部から吹き込み、アルゴンガスによる希釈によって脱炭時の一酸化炭素ガス分圧を下げ、効果的に脱炭する方法である。AOD法を発明したのは、米国のユニオンカーバイド社の研究員だったウィリアム・クリフスキーである。クリフスキーは、クロム・炭素・鉄系の熱力学的平衡値が先行研究同士で異なっていることに気づいた。この差異を検証する過程で、酸素の発熱反応を抑えるつもりでアルゴンガスで酸素を希釈して吹き込んだところ、とても低い濃度まで脱炭が達成された。これがAOD法の原理の発見となった。研究所内での追試を経て、AOD法の基本となる特許が1956年に出願された。1960年、ユニオンカーバイド社はより大きな炉を使って実験するためにステンレス鋼メーカーのジョスリン・ステンレス・スチールと提携関係を結び、実用化に向けて歩を進めた。実用化にあたってはアルゴン・酸素混合ガスの吹き込み口の構造に苦心したが、二重管構造を採用することで最終的に解決した。1968年、ジョスリン・ステンレス・スチールにてAOD法による商用生産が開始され、AOD法が実用化された。 実用化されたVOD法とAOD法は、炉外精錬という新たな工程の追加への抵抗や効果への疑問などを最初は持たれたが、数年内に他メーカーから採用され、世界的に広まっていく。VOD法とAOD法の登場により、ステンレス鋼の生産能力・品質は大きく向上し、ステンレス鋼の製造コストは一般の人々の身近でも利用可能な水準となった。
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