ソユーズ40号
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/10 09:22 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ソユーズ40号 | |||||
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徽章
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ミッションの情報 | |||||
ミッション名 | ソユーズ40号 | ||||
乗員数 | 2 | ||||
コールサイン | Dnieper | ||||
打上げ日時 | 1981年5月14日 17:16:38 UTC ガガーリン発射台 |
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着陸または着水日時 | 1981年5月22日 13:58:30 UTC Dzhezkazgan南東225km |
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ミッション期間 | 7日20時間41分52秒 | ||||
周回数 | 124 | ||||
乗員写真 | |||||
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年表 | |||||
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ソユーズ40号(Soyuz 40、ロシア語: Союз 40)、1981年にソビエト連邦によって行われたサリュート6号への有人宇宙飛行である。
乗組員
- 船長:レオニード・ポポフ (2)
ソビエト連邦
- リサーチ:ドゥミトール・プルナリウ (1)
ルーマニア
バックアップ
ミッションパラメータ
- 質量:6800kg
- 近点:198.1km
- 遠点:287km
- 軌道傾斜角:51.6°
- 軌道周期:89.06分
ミッションハイライト
サリュート6号への16回目の飛行であり、9回目のインターコスモスとしてルーマニアから初の宇宙飛行士であるドゥミトール・プルナリウが参加した。共産圏の国民を宇宙へ運ぶインターコスモスプログラムの第1段階であるソユーズフェリーとしては最終回であった。このプログラムによって、1978年から1981年までの間に、合計で9カ国の宇宙飛行士が宇宙へ行った。
またソユーズ40号は、ソユーズ-Tに代わる前のオリジナルのソユーズ宇宙船の最後の飛行であり、サリュート6号とドッキングしたソユーズ宇宙船としても最後であった。プルナリウは地球の磁場の研究を行ったが、地球の観測は、飛行最終日にサリュート6号が日中にルーマニア上空を横切る時まで延期された。この時、乗組員は宇宙船の姿勢制御システムの試験も行った。
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「Soyuz 40」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は職を得ることができなかった.というのは40歳を超えていたからだ
- あのジャンボジェット機は400人乗れる
- メキシコシティーは海抜2,240mにある
- 彼は30歳から40歳くらいだ
- ヒッチコックの映画作家としての活動期間は40年以上にわたった
- このクラスは40人学級だ
- 借金は合計40ドル50セントになった
- その湖の深さは40メートルです
- 君の400ドルを返すよ.だから今はもう僕たちは貸し借りなしだ
- 5分の2をパーセントで表すと40%である
- きょうは先生の40歳の誕生日です
- 40割る10は4
- 「バスには何人いましたか」「40人くらいです」
- 今9時40分です
- 40人のメンバー
- 次の電車は8時40分に出発する
- このホテルは400人収容できます
- 彼女は40歳のときテニスをやってみた
- 10人の生徒だけが400点の目標に達した
- 北緯35度40分
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