ソユーズT-1とは? わかりやすく解説

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ソユーズT-1

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 02:59 UTC 版)

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ソユーズT-1
所属 ソビエト連邦
国際標識番号 1979-103A
カタログ番号 11640
状態 運用終了
目的 {{{目的}}}
打上げ機 ソユーズU
打上げ日時 1979年12月16日12:30 UTC
運用終了日 1980年3月25日21:47 UTC
質量 6450kg
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ソユーズT-1(Soyuz T-1、ロシア語: Союз Т-1)[1]は、1979年から1980年にかけて行われたソビエト連邦の新しいソユーズの無人試験飛行で、サリュート6号とのドッキングが行われた。

ミッションパラメータ

  • 宇宙船:ソユーズ7K-ST
  • 質量:6,450 kg
  • 乗組員:なし
  • 打上げ:1979年12月16日
  • 帰還:1980年3月25日

ハイライト

サリュート6号の最後の乗組員(ソユーズ32号)が帰還してから4ヵ月が経ち、1979年12月の打上げは現実のものと思われていた。ソビエト連邦はその月に打上げを行ったものの、それは期待されていたものと違うものだった[1]

ソユーズT-1は12月16日にバイコヌール宇宙基地ガガーリン発射台から打ち上げられた。改良型ソユーズの4度目の無人試験飛行であり、一連の無人試験で「ソユーズ」の名が与えられた初めての飛行となった[2]。2日後、サリュート6号に近づいたが、通り過ぎてしまった。2度目のドッキングの試みは12月19日に行われ、ソユーズT-1は前方ポートへのドッキングに成功した[2]

ソユーズは、12月25日にサリュート6号の軌道を押し上げ、95日間はドッキングしたままであった。その間、サリュート6号は無人の状態であった。1980年3月23日にドッキングは解除され、数日間の試験を行い、その後3月25日に軌道を離れた[2]。ソビエト連邦は、次の4月の打上げウィンドウでソユーズ35号を打ち上げることを計画していたため、着陸日は通常の着陸ウィンドウからは外れていた[1]

このミッションは、いくつかの理由から珍しいものであった。以前の長期無人ミッションとは異なり、ソユーズT-1はサリュート6号とドッキングしている間、電源を落とさなかった。さらに、通常ののソユーズのミッションでは、軌道から離脱するまでの間は全てのモジュールは結合したままだが、ソユーズT-1では推進剤を節約するために、逆噴射に先立って軌道モジュールを切り離した。これにより、軌道を離脱する前に多くの軌道マヌーバを行えるようになった[1]

出典

  1. ^ a b c d Clark, Phillip (1988). The Soviet Manned Space Program. New York: Orion Books, a division of Crown Publishers, Inc.. ISBN 0-517-56954-X. 
  2. ^ a b c Newkirk, Dennis (1990). Almanac of Soviet Manned Space Flight. Houston, Texas: Gulf Publishing Company. ISBN 0-87201-848-2. 

関連文献




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