ソユーズ10号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 23:59 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ソユーズ10号 | |||||
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徽章
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ミッションの情報 | |||||
ミッション名 | ソユーズ10号 | ||||
質量 | 6800 kg | ||||
乗員数 | 3 [1] | ||||
コールサイン | Гранит (Granit - "Granite")[1] | ||||
発射台 | ガガーリン発射台[2] | ||||
打上げ日時 | 1971年4月23日23:54:06 UTC | ||||
着陸または着水日時 | 1971年4月25日23:40:00 UTC カラガンダ北西120km |
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ミッション期間 | 1d/23:45:54 | ||||
周回数 | 32 | ||||
遠地点 | 258 km | ||||
近地点 | 209 km | ||||
公転周期 | 89.1 分 | ||||
軌道傾斜角 | 51.6° | ||||
年表 | |||||
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ソユーズ10号(ロシア語: Союз 10, Soyuz 10)はソ連の有人宇宙船。世界初の宇宙ステーション、サリュート1号へのドッキングを試みるが失敗し、ステーションに入ることなく地球に帰還した。
ミッション
ソユーズ10号は1971年4月23日に打ち上げられた。ウラジーミル・シャタロフ、アレクセイ・エリセーエフ、ニコライ・ルカビシュニコフの3名をステーションまで送り届けたが、ドッキングには成功しなかった。ソユーズは物理的にサリュートへ結合したものの、宇宙飛行士らが安全にステーションに入れる状態にはならなかった[1]。さらにソユーズのハッチがサリュートから抜けなくなってしまった。
最終的にソユーズをサリュートから切り離すことができたが、大気圏突入時にさらに問題が生じた。カプセル内部に有毒なガスが流れ込み、ルカビシュニコフが一時意識を失った。カプセルはカラガンダ北西120kmに着陸し、3人は無事に回復した。
搭乗員
- コマンダー: ウラジーミル・シャタロフ(3)
- フライトエンジニア: アレクセイ・エリセーエフ(3)
- テストエンジニア: ニコライ・ルカビシュニコフ(1)
支援搭乗員
- コマンダー: アレクセイ・レオーノフ
- フライトエンジニア: ワレリー・クバソフ
- テストエンジニア: Pyotr Kolodin
予備搭乗員
- コマンダー: ゲオルギー・ドブロボルスキー[1]
- フライトエンジニア: ウラディスラフ・ボルコフ[1]
- テストエンジニア: ビクトル・パツァーエフ[1]
ミッション情報
- 重量: 6800kg
- 近地点: 209km
- 遠地点: 258km
- 軌道傾斜角: 51.6°
- 周期: 89.1 分
脚注
- ^ a b c d e f Mir Hardware Heritage - 1.7.3 (wikisource)
- ^ “Baikonur LC1”. Encyclopedia Astronautica. 2009年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月4日閲覧。
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ソユーズ10号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/07 00:14 UTC 版)
4月22日、宇宙ステーションへ宇宙飛行士3人を送り届けるためにソユーズ10号が打ち上げられた。4月23日、ソユーズはサリュート1号とのドッキングを試みた。途中で自動装置が故障したため、手動操作による接近が行われた。ソフトドッキング(完全な結合の前段階として宇宙船を固定すること)に成功したものの、完全なドッキングには失敗し、宇宙飛行士がステーションに移乗する事はできなかった。5時間30分後、ソユーズはサリュート1号から離れ、24日に地上に帰還した。
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