ウラディスラフ・ボルコフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 学者・研究者 > 工学者 > ソビエト連邦の宇宙飛行士 > ウラディスラフ・ボルコフの意味・解説 

ウラディスラフ・ボルコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/22 10:20 UTC 版)

ウラディスラフ・ニコラエヴィチ・ボルコフ
Vladislav Nikolayevich Volkov
宇宙飛行士
国籍 ソビエト連邦
生誕 1935年11月23日
ソビエト連邦
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国モスクワ
死没 1971年6月30日
宇宙空間
他の職業 技術者
宇宙滞在期間 28日17時間01分
選抜試験 Civilian Specialist Group 2, 1966
ミッション ソユーズ7号, ソユーズ11号

ウラディスラフ・ボルコフロシア語: Владисла́в Никола́евич Во́лков, ラテン文字転写: Vladislav Nikolaevich Volkov, 1935年11月23日-1971年6月30日)は、モスクワ出身のソビエト連邦宇宙飛行士で、ソユーズ7号ソユーズ11号に搭乗した。

経歴

1935年、モスクワに生まれる。1959年にソ連空軍のモスクワ航空学校を卒業。戦闘機のパイロットを務めたのちに[1]コロリョフ設計局の航空エンジニアとして、ボストークボスホートの開発に携わった。

1965年に共産党に入党。その後宇宙飛行士として訓練を受け、1969年にソユーズ7号で初めて宇宙を訪れた。

1971年、ソユーズ11号で再び宇宙へ向かい、世界初の宇宙ステーションであるサリュート1号で23日間を過ごした。しかし地上へ帰還する途中に事故が発生した。大気圏再突入は通常通り成功したが、カプセルが開けられるとボルコフは他の2人の乗員と共に亡くなった状態で発見された。後の調査で、軌道を離れる直前にバルブが開いてカプセル内の空気が宇宙に逃げ、窒息死したことが分かった。これはソ連の有人宇宙飛行中に飛行士が死亡した2例目の事故だった。

ボルコフは、1969年10月22日と1971年6月30日の2度、ソ連邦英雄の称号を与えられている。またレーニン勲章も授与された。クレーターやモスクワの通り、小惑星ボルコフも彼にちなんで名づけられた。

ボルコフの遺灰はモスクワ赤の広場にあるクレムリン壁墓所に納められた。

脚注

  1. ^ 「いたましい死の帰還 ソユーズ11号」『中國新聞』昭和46年7月1日.3面

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウラディスラフ・ボルコフ」の関連用語

ウラディスラフ・ボルコフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウラディスラフ・ボルコフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウラディスラフ・ボルコフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS