ニコライ・ルカビシュニコフとは? わかりやすく解説

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ニコライ・ルカビシュニコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 06:42 UTC 版)

Nikolai Nikolayevich Rukavishnikov
宇宙飛行士
国籍 ソビエト連邦
生誕 1932年9月18日
ソビエト連邦
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国トムスク
死没 2002年10月19日(2002-10-19)(70歳)
ロシアモスクワ
他の職業 物理学者
宇宙滞在期間 9d 21h 09m
選抜試験 Civilian Specialist Group 2
ミッション ソユーズ10号, ソユーズ16号, ソユーズ33号

ニコライ・ニコラエヴィチ・ルカビシュニコフロシア語: Николай Николаевич Рукавишников1932年9月18日 - 2002年10月19日)はソビエト連邦宇宙飛行士ソユーズ10号ソユーズ16号ソユーズ33号に搭乗した。

経歴

1957年にMoscow Engineering and Physics Instituteを卒業し、ソ連の宇宙開発産業に従事する。1957年から1967年までコロリョフ設計局のエンジニアであり、1968年5月27日宇宙飛行士に選抜される。

ソユーズL1ミッションの訓練を受けていたが、1969年にこの計画は中止となる。

1971年ソユーズ10号にテスト・エンジニアとして搭乗し、世界初の宇宙ステーションサリュート1号へのドッキングを行うはずだったが、完全なドッキングは出来なかった。

1974年ソユーズ16号にフライト・エンジニアとして搭乗し、アポロ・ソユーズテスト計画のリハーサルを行う。

1979年ソユーズ33号にコマンダーとして搭乗し、サリュート6号へのドッキングを果たす予定だったが、これもエンジンの不調により失敗。

宇宙ステーションを訪れる最後のチャンスとして1984年ソユーズT-11の搭乗する予定だったが、重度の風邪を患いメンバー交代となった。

1987年7月7日、宇宙飛行士を引退。コロリョフ設計局(後にNPO エネルギア)に戻った。

趣味はアマチュア無線ドライブ

2002年10月19日心臓発作で死去。

参考文献




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