ソユーズ33号の失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 02:57 UTC 版)
「ソユーズ32号」の記事における「ソユーズ33号の失敗」の解説
詳細は「ソユーズ33号」を参照 ソユーズ33号は4月10日に4度目のインターコスモスプログラムの乗組員を乗せて打ち上げられた。ブルガリア人宇宙飛行士のギオルギー・イワノフは船長のニコライ・ルカビシュニコフとともに宇宙ステーションを訪れた。しかし、宇宙船が1000mまで近づくと、予定された6秒間のうち3秒間の噴射を行ったところでエンジンが停止した。ルカビシュニコフは、機体が強い衝撃を受けないように、計器パネルを抑えていなければならなかった。エンジンの点火が再度試みられたが、また失敗した。ステーションから見ていたリューミンは、燃焼中、ソユーズの後方に異常な横方向の輝きがあったと報告した。地上管制員はミッションを中止し、乗組員に地球帰還の準備をするように告げた。これは、ソユーズの推進システムが軌道上で故障した初の事例となった。 ソビエト連邦がこの事態の深刻さを明らかにしたのは、1983年になってからだった。宇宙船は予備のエンジンを供えていたが、メインエンジンにより損傷されていた可能性もあり、乗組員は5日分の補給品で軌道離脱まで10日間を過ごさなければならなかったかもしれない。宇宙ステーションは、ドッキングが可能な1,000mまで近づくことができたが、両機は毎秒28mの速度で離れて行くため、手動操縦の計算をする時間が必要だった。いずれにしても、(サリュート6号に既にドッキングしている、ソユーズ33号と同型のエンジンを持つソユーズ32号を含め)ソユーズのエンジンは信頼できるものではなく、最良の選択だとは考えられなかった。 結局、予備のエンジンは、予定よりも25秒長く点火したため、ソユーズは異常に鋭い弾道軌道を描き、乗組員は10Gもの加速に耐えなければならなかったが、ルカビシュニコフとイワノフは安全に帰還できた。
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