ソユーズ36号とソユーズT-2の乗組員の来訪
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「ソユーズ35号」の記事における「ソユーズ36号とソユーズT-2の乗組員の来訪」の解説
プログレス9号は、5月20日にドッキング解除して、新しい乗組員を迎えるために後方ポートを空けた。ソユーズ36号は、ワレリー・クバソフとハンガリー人宇宙飛行士のファルカシュ・ベルタランを乗せて5月26日に打ち上げられた。元々は1979年6月5日の打上げを予定していたが、ソユーズ33号の失敗により延期となっていた。ソビエト連邦のインターコスモスプログラムの一環であり、友好国の宇宙飛行士が1週間、宇宙ステーションを訪れることになっていた。ファルカシュはサリュートで、乗組員が受ける放射線量の測定や無重力環境でのヒト細胞中のインターフェロンの形成の研究等の実験を行った。 クバソフとファルカシュは、長期滞在者のために新しいソユーズ36号の機体を残し、ソユーズ35号で地球に帰還した。その後ソユーズ36号は、90分間の手動操作でサリュート6号の前方ポートに移された。ソユーズ36号が乗組員の回収が可能な最も早い打上げ窓で打ち上げられ、また機体の移動が迅速に行われたことから、ソビエト連邦がソユーズ33号の失敗で失った時間を取り戻すために2度目のインターコスモスミッションを秘密裏に計画しているのではないかと推測された。実際に打上げはまもなく再開されたが、予測されたミッションではなかった。 ソユーズT-2は、ユーリイ・マリシェフとウラジーミル・アクショーノフを乗せて6月5日に打ち上げられ、ソユーズTの初の有人ミッションとなった。翌日、サリュート6号の後方ポートにドッキングした。単にソユーズの試験であったため、ミッションは2日間で終了し、地球に帰還した。 残った乗組員は、ステーションのKaskad姿勢制御装置を修理し、材料処理実験を行った。7月1日、ポポフとリューミンは、プログレス10号を迎えた。通常の補給品とともに、交換用の装置も補給船から降ろされた。補給品には、ポラロイドカメラ、カラーテレビモニター、ソビエト連邦のポップ音楽のテープ等も含まれた。補給船は、ステーションに燃料を移した後、7月17日にドッキング解除し、7月19日に軌道離脱した 。また7月19日には、ポポフとリューミンは、宇宙から1980年モスクワオリンピックの開会式が行われていたルジニキ・スタジアム(当時レーニン・スタジアム)に生中継で挨拶を送った。
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