ソユーズ36号とソユーズT-2の乗組員の来訪とは? わかりやすく解説

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ソユーズ36号とソユーズT-2の乗組員の来訪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 03:57 UTC 版)

ソユーズ35号」の記事における「ソユーズ36号とソユーズT-2の乗組員の来訪」の解説

プログレス9号は、5月20日ドッキング解除して、新し乗組員迎えるために後方ポート空けたソユーズ36号は、ワレリー・クバソフハンガリー人宇宙飛行士ファルカシュ・ベルタラン乗せて5月26日打ち上げられた。元々は1979年6月5日打上げ予定していたが、ソユーズ33号の失敗により延期となっていた。ソビエト連邦インターコスモスプログラム一環であり、友好国宇宙飛行士1週間宇宙ステーション訪れることになっていた。ファルカシュサリュートで、乗組員が受ける放射線量測定無重力環境でのヒト細胞中のインターフェロン形成研究等実験行った。 クバソフとファルカシュは、長期滞在者のために新しソユーズ36号機体残しソユーズ35号地球帰還したその後ソユーズ36号は、90分間の手操作サリュート6号前方ポート移された。ソユーズ36号乗組員回収可能な最も早い打上げ窓で打ち上げられ、また機体移動迅速に行われたことから、ソビエト連邦ソユーズ33号の失敗失った時間取り戻すために2度目のインターコスモスミッションを秘密裏計画しているのではないか推測された。実際に打上げはまもなく再開されたが、予測されミッションではなかった。 ソユーズT-2は、ユーリイ・マリシェフウラジーミル・アクショーノフ乗せて6月5日打ち上げられソユーズTの初の有人ミッションとなった翌日サリュート6号後方ポートドッキングした。単にソユーズ試験であったため、ミッション2日間で終了し地球帰還した残った乗組員は、ステーションのKaskad姿勢制御装置修理し材料処理実験行った7月1日ポポフリューミンは、プログレス10号迎えた通常の補給品とともに交換用の装置補給船から降ろされた。補給品には、ポラロイドカメラ、カラーテレビモニター、ソビエト連邦ポップ音楽テープ等も含まれた。補給船は、ステーション燃料移した後、7月17日ドッキング解除し、7月19日軌道離脱した 。また7月19日には、ポポフリューミンは、宇宙から1980年モスクワオリンピック開会式が行われていたルジニキ・スタジアム当時レーニン・スタジアム)に生中継挨拶送った

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